ライブの意味
「ありがとうな。糸佳……」
二曲目『Stairs』を真奈海が歌い始めた頃、僕は糸佳にそう溢していた。イヤホン越しに聴こえてくる真奈海の歌声は、僕の頭の中をすっと駆け抜けていく。それはいつもの春日瑠海であることを確認できるくらいまでに回復していた。
「もう〜。どうしたんですか? お兄ちゃんも真奈海ちゃんもらしくないですよ?」
糸佳は唇の先を尖らせて、僕に抗議してくる。まったく、今朝『大丈夫じゃない』と言っていた糸佳はどこへ行ったのか。あまりに本末転倒すぎて、ますます調子が狂ってしまう。もっともいい意味でだけど。
「イトカだってもちろん不安なんです。美歌ちゃんのことを思うと……」
「ああ……」
それには僕も気づいていた。それでも僕らはエンターテイナーとして――
「でも今は本番中なんですよ? 不安なのはみんな……真奈海ちゃんやお兄ちゃんだけじゃなくて、ここにいる観客全員が不安なんです。だからここにいるワタシ達が元気を出さないで、誰が元気になるって言うんですか!!」
今日の糸佳は落ち着きのない時の悪い癖が出ていた。ヘッドホンで流れてくる音楽を聴いていると、ミキシングがやや暴れ気味なんだ。観客のほとんどは気づいていないだろうけど、聴く人が聴けば音のバランスが時折悪くなっていることに気づいてしまう。それでも糸佳は何とかステージを盛り上げようと、自分自身と戦っている。それは僕も、真奈海だってそうかもしれない。
それにしても糸佳って、本当に母親の文香さんに似てきたよな……。
「真奈海ちゃん、今日も飛び跳ねてて、いい声してる……」
「ああ。そうだな」
ステージの上では真奈海の笑みが空高く舞いながら、舞台を作り上げていた。
はち切れんばかりのとびっきりの笑顔は、大階段の最上段まで必ず届くはず。
間もなく二曲目を歌い終わると、改めて春日瑠海のMCが始まった。
二曲目が終わった瞬間、僕もまだ少しだけ不安が残っていたけど、それは次の真奈海の力強い声のおかげですぐに解消された。糸佳の喝はちゃんと真奈海にも届いていたようだ。
――でも真奈海のやつ、確か八月のときは糸佳の挑発でも立ち上がれなかったよな?
「みんな〜! 改めまして、春日瑠海で〜す!!」
二曲目が終わったタイミングで自己紹介するって、そもそもライブとしてどうなんだ?
とは思ったけど、そんな僕の余計な疑問もかき消されるように、『ルミ〜』という大きな歓声が空から降ってくる。日の光に照らされた『BLUE WINGS』定番の青いひらひらのアイドル衣装が、春日瑠海をより一層輝かせていた。
「今日もみんな、元気かな〜?」
「「いぇ〜い!」」
春日瑠海の声に、大歓声が反応してくる。やはりいつもどおり。
「だけどざんね〜ん! わたしは少し元気ないかな〜」
「「え〜!!???」」
と思ったのも束の間、瑠海はそんな歓声とは真逆の反応を返してしまう。もっともそれは僕もよく知る真奈海らしさであって、いたずらっぽい態度にどこかほっとしてしまったのも事実だったけど。
「糸佳ちゃん。さっきはありがとね……」
聞こえるか聞こえないかもわからないくらい小さな真奈海の呟き声も、マイクはしっかり拾っている。観客に聞こえてしまったかはわからないけど、これなら真奈海も大丈夫そう。その言葉でそう確信したんだ。
「今日はね〜、わたしひとりなの〜」
「…………」
案の定とも言うべきか、会場はまたしてもしんと静まり返った。『ルミ〜、頑張れ〜』などという声援もわずかに聞こえてくる。それに瑠海は軽く手を振って応えるだけ。
「みんなはもう知ってると思うけど、今日はわたしの相棒がお休みです」
次にどこかから『未来ちゃ〜ん』と男性の声が聞こえてきた。この会場ってちゃんと男性ファンもいたのかと改めて気付かされたけど、春日瑠海はともかく未来の方は案外男性ファンも多いのかもしれない。本人は男性恐怖症じゃないかって思えるくらいの性格をしているが、それについてはここだけの秘密。
「その未来なんだけどね……病院でまだ目を覚まさないんだ……」
ただし今度は歓声や声援というより、どよめき声が会場中から湧き上がってきた。確かに報道発表では『未来が意識不明の重体』と告知はされていたが、その事実を春日瑠海の声からも聞かされると、漠然とした恐怖が僕らの前に姿を現す。目の前で起きているあまりに過酷な現実に、当然受け止めきれない女性ファンだっているはずだ。ここ舞台袖から覗く限りだって、『未来』と書かれた団扇も持った女子高校生が何人も確認できる。ひょっとしたら今日は未来も来るかもしれない、そう信じていたファンだっていたかもしれないんだ。
「わたしだって今日は本当に歌えるか、さっきまで自信なくしかけてた。MCだって、いつものムカつく茜の進行台本が今日は真っ白になっちゃったわけだし……」
冗談なのか本気なのか……。おい真奈海。それ以上内輪ネタで観客を混乱させるのはそれくらいにしてもらおうか。後で茜と喧嘩になっても、僕は責任を取るつもりは一切ないからな。
「だけどさ、わたしが歌わなければ、みんなが元気出さなくちゃ、未来も元気にならないんじゃないかって、そう思うんだよね!」
それは、どよめきから再びの歓声へと変わった瞬間だった。
一瞬にして観客を虜にしてしまうのは、やはり春日瑠海の十八番だ。
「だから、今日はみんなで歌お!」
笑っている人もいる、悲しんでる人もいる、泣いている人もいる。
だけどやはり、春日瑠海は笑っていた。
「みんなで歌えば、きっと未来にも届くはずだから!!」
そんな多くの感情が折り重なり、一つになっていくのが今日のライブなのかもしれない。
秋らしい明るい日差しと身体を叩くような冷たい秋風が、京都の大階段を駆け下りてくる。
まだライブは、始まったばかりだ。
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