春日真奈海への視線

 平安神宮は朝六時に開門する。こんな薄暗い時間から開くなんてあたしも知った時はやはり驚いたたけど、あたしたちが朝練を行うのは、その平安神宮の前に広がる岡崎公園だ。この辺りはちょっとした広場のようになっていて、すぐ隣には京都市美術館、さらにその隣には京都市動物園などもある。見た目は街中に存在するやや小振りな動物園という具合ではあるけど、その実態はと言うと凶暴そうなトラやジャガーもいたりするらしい。まさか誤って脱走するなんてことは……まぁ日本で二番目に古い動物園らしいので、きっとその辺りは大丈夫なのだろう。


 あたしと真奈海は岡崎神宮の中でも一番人通りの少ない隅っこの方を陣取った。二個セットのワイヤレスイヤホンをお互い片耳ずつ使い、真奈海がプレイヤーの再生ボタンを押す。すると二人の耳の中で同時に曲が流れ始める。今日は朝練なので、歌は振りのみ。どちらかというとダンスの合わせ練習だ。

 真奈海は『三人でやってた時はイヤホンが使えないから大変だったんだよ〜』なんて話していたこともある。確かに二人であれば、完全独立型ワイヤレスヘッドホンの右耳用を真奈海、左耳用をあたしという具合で同時に使えるわけだけど、三人の時はラジカセでも使わない限り合わせ練習は無理そうだ。こんな風に人さえ揃えばどこでも練習ができるというわけでもなかったそうで、スタジオが使えない地方巡業の時などは練習場所に困ったことがあったとか。でも千尋さんと胡桃さん、そして真奈海のパフォーマンスだったら、そんなに集まらなくても、自力でなんとかしちゃいそうだけどね。

 その点、あたしはまだまだだ。確かに歌には多少自信ある。けど、ダンスとなるといつまでたっても真奈海の足を引っ張ってしまっている気がする。今日だって……。


 あたしは横目で、真奈海が舞う姿をいつの間にか目で追っていた。

 細くて長いすらっと伸びた手足が、真奈海の抜群のスタイルをより魅力的に彩っている。『BLUE WINGS』は女子中高生のファンが特に多いと聞いたことがあるけど、その理由は間違えなく真奈海への憧れだろう。あたしだって、そのファンの一人なのだから。

 それに比べて、あたしのファンなんて本当にどれくらいいるというのだろう。真奈海がいなければあたしは完全に半人前のアイドル。今だってどこかワンテンポ遅れてしまうことがあるし、こんなことではファンを魅了できないんじゃないかって。


 そんなあたしは、真奈海に見惚れてしまっている。

 茜さんが、真奈海の演技を崇拝しているように。

 糸佳ちゃんが、真奈海に徹底的なライバル心を燃やすように。

 そして管理人さんが、春日瑠海という偶像に完全に支配されているように――


「ねぇ。ちょっといいかな」


 真奈海はあたしの視線に気づいていたのか、プレイヤーの停止ボタンを押して音楽をストップさせた。曲の途中で唐突に中断されてしまったので、あたしの耳には止まった時の音が余韻として残っている。音楽が聞こえなくなってることに気づいたのは、ほんのばかし遅れた後だった。


「……あ、ごめん。あたしちょっと集中力を欠いてたね」

「ううん。多分、そのことじゃなくてね……」


 真奈海は笑みをあたしに返していた。ここにいるのが文香さんや糸佳ちゃんだったら、練習に集中できていないあたしを叱責していたかもしれない。でも真奈海はそんなあたしに、優しい声をかけてくる。


「少しだけ、休もっか」


 時計を見ると、間もなく六時になろうとしているところ。もうすぐ平安神宮も開門時間だ。つまりは三十分ほどぶっ続けで練習していたことになるわけだけど、まさかそんなに時間が経過していたなんてあたしは気づいていなかった。


「……なんか、練習の邪魔しちゃってごめんね」

「だからそうじゃないってば〜」


 今度こそ真奈海の態度は少しだけ怒っていた。だって曲の途中で中断させちゃったわけだし、それはそれで申し訳ないとは思ってるんだけど……。

 だけど真奈海の怒りの理由というのは、あたしがしつこく謝るからだったようだ。

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