糸佳ときつねと宇治公園

時を駆ける新幹線にて

 十一月中旬。 風は冷たくすっかり秋は深まって、街の葉も紅く色づいてきた。

 修学旅行で一緒に廻る班を決めたあの日から今日まで、特に何もなかったわけではない。あの後すぐに中間テストがあり、チロルハイム住民たちはいつもどおりの点数で一喜一憂していた。美歌に至っては本番で全教科赤点、そして追試では全教科九十点以上という離れ業をまたしてもやってのけていたりもした。毎度のことながら先生たちも頭を抱えるしかなかったらしく、学校の先生を母に持つ僕もまたまた美歌と一緒に呼び出されてしまう始末だ。まったく、僕にどうしろというのだろう。

 それからは修学旅行の最終日に行われる『BLUE WINGS』のワンマンライブの準備に追われたわけで、糸佳がいつもどおりちゃちゃっと作曲してみては、真奈海と茜が毎日大喧嘩しながら振り付けを考え、そして美歌は毎晩遅くまで作詞の方を頑張っていた。当然美歌の進捗が一番遅かったのは言うまでもない話。例によって僕も美歌に手伝わされた。やっとこできあがった歌詞は、文香さんにチェックをしてもらったところ、『少なくとも糸佳が書くよりは全然いい』というなんとも微妙な評価だったけど、それでも美歌は喜んでいたわけだから、単純というか結果オーライということだろう。


 毎日賑やかなチロルハイムの秋の日常が流れていった。

 美歌と茜がいなかった頃のチロルハイムが、今では想像できないくらいだ。これが高校生の思い出の一ページになるのなら、それは宝石箱に詰められた美しい原石のように有意義な時間を過ごしているんじゃないかって、そう思えてきたんだ。


「いいなぁ〜、大山は」

「なにがだよ……」


 突然崎山は僕の横顔を覗き込んできて、そんなことを言ってきた。

 ここは京都へ向かう新幹線車内。二列席の窓側に崎山が座り、通路側に僕が座っている。


「なんだかいつも忙しそうで、リア充オーラを漂わせてるし……」

「糸佳の母親に仕事頼まれてるだけだよ。しかもバイト代すら出ないブラック企業の」

「そりゃあ〜その分お小遣いとかもらってるんだろうし、そこは文句ないだろ?」

「……うん。まぁそうだけど……」


 確かに僕は、名目的には芸能事務所社長の一人息子……という設定らしい。だが社長と一緒に暮らしているわけでもないし、あんな厄介な女子ばかりが住む寮の管理人を任されてしまってるが故、もはやその認識はやはり間違ってるんじゃないかってそう思わないこともない。とはいえ、一般的な高校生よりお小遣いは多い方なのだろうと、多少自覚しているつもりだ。

 てか真奈海や茜のギャラなどに比べたら数百分の一、もしくは数千分の一にも満たない額のような気もするが、それはひとまずここでは考えないことにしておく。


「しかもあんな可愛い女子とひとつ屋根の下とか、ありえなくね?」

「あいつら稼ぎまくってるけど、我儘だし人の話は聞かないし、いいことはないぞ?」

「へぇ〜、糸佳ちゃんもお小遣いたくさんもらってるんだ……」

「は? 糸佳だって作曲のギャ……ってか、崎山、さっきから誰の話をしているんだ?」


 ん? どうやら僕らは話が噛み合っていないことに今更気づいてしまった。崎山が知っている事実は、僕と糸佳がひとつ屋根の下で暮らしているという、そこまでのはずだ。それ以上の話を崎山は一ミリも知らない。実際はひとつ屋根の下に、真奈海や茜、そして美歌もいて、しかも僕がその女子寮の管理人などという設定については、崎山が知る由もない。

 だとすると、崎山の言う『可愛い女子』って……まさか……?


「お兄ちゃん! さっきイトカの名前が聞こえた気がしましたけど、呼びましたか?」

「呼んでない。……からわざわざ聞き耳立てなくていいからな?」


 僕らのすぐ前の席には、糸佳と白根が座っている。糸佳が新幹線の座席の上からひょいと顔を出してきた。ぷんとすました顔が……少なくても高校二年生にはとても見えない童女顔だ。


「とりあえずわかりましたです。……でもお兄ちゃん? 余計なことを言ったら、真奈海ちゃんに変わってイトカがお兄ちゃんをぶっ飛ばしますからね?」

「あ、ああ。……てかこの場で真奈海の名前を出さないでくれるかな?」


 糸佳は不服そうな顔を浮かべたが、顔は引っ込めて、また前を向いた。余計なことだというのなら、この場で真奈海という名前のほうがよほど余分だと思うんだけど。


「なぁ大山? 真奈海ちゃんって……誰のことだっけ?」

「誰でもね〜よ。糸佳の仕事の知り合いだ」


 ……僕は間違ったことは言ってない。少なくとも崎山が春日瑠海の本名を調べてなくて、本当に助かったと思っている。本校での春日瑠海のインビジブルスキルは半端なくて、未だに同学年の一般男子でも春日瑠海と春日真奈海が結びついてないくらいなのだから、余程のことなのだろう。

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