変わりゆくチロルハイムと美歌の今


「なぁ、茜?」

「なんですか優一先輩? 急に改まって……」


 僕にだって思うところは山のようにあった。でもそれは――


「僕は一体、どうすればよかったんだと思う?」


 問題なのはその山が唯一無二の富士山のようであり、何を選択してどう行動すればよかったのかが、山の巨大さが故に見つけ出すことができなかったんだ。出口さえも見つからない広大な迷路の中に、自分は迷い込んでしまっている。

 そんな僕を茜は相変わらず真面目そうな顔で見つめてくる。どちらかというと手のかかるペットを見ているような、そんな目で僕を観察しているようだ。


「優一先輩?」

「ん?」


 茜はひと呼吸置いた後……


「その質問、優一先輩は本気であたしに委ねるつもりなんですか?」


 なんともごもっともな回答が返してきたりして。


「……悪い。流石に野暮なことを聞いたな」

「ほんとですよ。冗談にもほどがあります!」


 茜の口調こそ悪いが、ただ怒っている様子とは少し異なっていた。


 それにしても本当にどうかしてる。こんなの茜に質問するほうが筋違いというやつだ。

 仮にも茜は同じ寮に住む後輩。しかも本来なら管理人である僕が面倒を見なければならない女子生徒だ。いやそんな建前的な話はどうでもよくて、それにしたってこの質問をを茜にぶつけるのはやはりどう考えても間違っている。


 ただ茜はほんの微かなボリュームの声で、こうも言ってきた。


「だけど優一先輩の悩みも痛みも、あたしはわかってるつもりです」

「…………」


 それは、僕を慰めようとしている……?


「優一先輩は優しすぎるんですよ」

「そんなことは……」

「だからこそ、選択肢の全員を選ぶし、誰も選ぼうとしないんです」

「…………」


 ……茜の真っ直ぐなその言葉を僕は否定することができず、胸が痛い。


「でもそんなふうに悩むのは、もうこれっきりにしませんか?」

「え……?」


 気がつくと僕は、若手名女優の優しい声に包まれていた。わずか畳四畳ほどの放送室が茜の声ひとつによって不思議な空間へと変貌していく。救いの手段が描かれているのだろうか、まるでのどかなお花畑に来てしまったかのようで、息苦しかった僕の心臓が開放されていく心地がした。


「そんなに悩むのなら、あたしを選んでください」

「茜を……?」

「そうです。真奈海先輩、糸佳先輩、美歌先輩じゃなく、あたしを選ぶんですよ」

「……………………え?」


 だがその世界はやはり幻だったようだ。みるみるうちに冷めていくのがすぐにわかる。

 理由は簡単だ。その茜の言葉は何一つ救いになってないことに気づいてしまったから。正気に戻った僕は、改めて茜の演技の世界観を恐ろしく感じた。それだけのこと。


「……ま、そんな簡単にうまく行くはずないですよね」


 茜もその演技の声をぱっとやめてしまい、いつものドライな口調に戻っていた。


「っておい、茜? そもそもさっきのは本気だったのか?」

「それさえもあたしの口から言わせるつもりですか? それこそ自分で考えてください!」

「そういうもんかな???」


 そもそもこれ以上選択肢を増やしてどうするつもりだとも思わなくもないが、それについて深い追求をするのは止めておくことにした。


「それはそうと、美歌先輩をあんなにやる気にさせてしまったのも、そのせいで誰も止められなくなってしまったのも、全部優一先輩のせいなんですから、ちゃんと責任取ってくださいよ?」

「ちょっと待て。さっきも引っかかったのだけど、美歌の件も本当に僕の責任なのか?」


 納得いかず反論する僕に対し、茜ははぁ〜と溜息をついていた。『ほんとこいつは……』とでも言いたそうな態度で、戸惑う僕に反発してくる。


「全ては真奈海先輩と優一先輩がちゃんとくっついてくれないから、チロルハイムがややこしいことになってるんじゃないですか!」

「はぁ…………じゃなくて、どうしてそうなるんだ?」


 申し訳ないが、やはり茜の言ってる意味がさっぱりわからん。


「だから!! 優一先輩がしっかり真奈海先輩を振ってくれないから、真奈海先輩が未練を残してくれちゃって、チロルハイムがややこしいことになってるってことですよ!!!」

「っておい。それってさっきと言ってることが正反対になったよな!?」


 で、結局のところどっちが正しいんだ?


「そろそろいい加減にしてください! あたしの言ってる意味がまだわからないんですか?」

「いやいや、真逆の二択を出されてわかるもなにも……」


 僕は何か間違っていることを言ってるのだろうか?


「とっとと誰かを選んでくださいってことですよこの難聴鈍感最低男めっ!!」

「っ…………」


 ……だがその瞬間、僕の反論はあっさりと覆されてしまったことに気がついた。


「優一先輩のその優柔不断な態度が、あの純粋で真っ白だった美歌先輩を汚してしまってることに、そろそろ気づいてくださいよ?」

「…………ああ」


 美歌ってそもそも純粋で真っ白だったのか?……と疑問もなくはなかったが、茜の言わんとしていることはそれなりに理解ができた。確かに、僕の優柔不断のせい。そのせいで真奈海や糸佳、そして美歌までもを振り回してしまっている。……よくはわからないが、ひょっとしたら茜も? いやもう、これ以上話を膨らませたくはない。

 とにかく、そろそろこれ以上は……。


 すると茜は下を向いて、突然小さな声でぶつぶつ言い始めた。


「美歌先輩、『恋愛なんてあたし興味ないし〜』みたいな態度取ってたくせに、突然アイドル活動始めちゃって、もう少しであの三下アイドルの息の根を止められるはずだったのに、そんなやつに救いの手を差し伸べるとか面倒なことしてくれちゃって……」

「おい茜? それ、声漏れてるから。てか息の根止めちゃダメだからな」


 それは僕に聞かせようとしているのか、それともただの独り言か……?


「……おまけにAIとの二重人格みたいな悲劇のヒロイン演じてくれちゃって、不器用のくせにがむしゃらにバンドの練習始めてくれるし、そのせいで誰も止められなくなるし、めんどくさいったらありゃしない」

「それ、間違っても他の人の耳に入れないようにしておけよ……?」


 根はただのガサツのくせに……という辺りはやや茜の気持ちに同情してみたり。


「そんな風に美歌先輩を変えつつあるのも、優一先輩だってこと忘れないでくださいね?」

「まだ少し合点いかないのだけど……」


 茜の声はまた急に大きくなった。それは僕を糾弾しているのではなく、励ましているかのようにも聞こえたわけで、だからこそ尚更なんとかしなくてはという想いもあったりして。


「あたしもまだチロルハイムに来て二ヶ月ですけど、美歌先輩が変わってきてることに気づいているつもりですよ」

「ああ。それは僕もそう思ってるよ……」


 確かにここ二ヶ月……いや、四月にチロルハイムに来た頃に比べると、美歌がだいぶ変わった気がしている。だって四月の頃は、いつも下ばかり向いて歩いていたというか、どこか後ろ向きだったし――


「今の美歌先輩、正直ずるいです。あんなに活き活きしていて、あんなに楽しそうで……」

「ああ。そうだな」


 ――それがどうだろう。最近は本当に笑顔が素敵なんだ。まるで何かが吹っ切れてきているかのような、そんなオーラを作り出している。根が真面目で、一生懸命だからこそ、見ていると思わず応援したくなるような……確かに茜が『ずるい』と表現する気持ちもわからなくもない。


「そんな今だからこそ、美歌先輩を使ってあの三下アイドルを叩き潰すチャンスなんですよ!」

「…………え?」


 せっかくいい話でまとめようとしていたのに、茜ときたら……


「この勢いに乗って優一先輩が美歌先輩を口説き落とせば、いっちょ完了〜ってことじゃないですか!」

「……おい」


 茜はそれはもう屈託のない笑顔で……って、だからどうして結局のところは真奈海を叩き潰す話になるんだ???


「てわけで優一先輩。明日は学園祭の最終日ですし、ちゃんと美歌先輩を口説き落としてくださいね〜」

「てかつい数分前までは『糸佳先輩を選ぶべき』とか言ってなかったか?」


 これにてチロルバンド打ち合わせは終了と言わんばかりに、茜は進行台本とノートをせっせとカバンの中に片付けて、僕から逃げるように立ち去ろうとしている。本当にそれ、僕はどうしろという意味なのだろう。


「あ、そうだ先輩? うちの学校の後夜祭のジンクスって知ってますか?」

「ああ。どこかで聞いたことはあったけど……」


 茜は放送室を出ようとした直前、後ろを振り返って僕にそう話しかけてきた。


 うちの学校の後夜祭――茜に言われてそのジンクスのことをふと思い出していた。

 たしか噂では――

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