糸佳の告白

 糸佳とこうして二人きりになったのは、小学六年のとき以来。

 僕も糸佳に言われて、今はっきり思い出した。


 いや、最後に出かけた場所までは、糸佳と同じように僕も思い出せない。

 ただその時期だけは、僕もはっきり明確に思い出しつつあった。


 小学六年のとき――それは、真奈海がチロルハイムにやってきた日。

 その日から僕と糸佳は、一緒に歩かなくなったんだ。


 でも、それって…………


「糸佳。ひょっとしてそれは真奈……」

「…………」


 僕は一瞬真奈海の名前を言いかけたが、寸前のところで思いとどまっていた。それに対して糸佳は大人しく笑みを返すだけで、『そんなのなんでもわかってますよ~』とでも言うような顔をするだけで、特に何かを答える様子は微塵もなかった。だとすると、僕の想像した答えは当たりだったと考えてよさそうだ。


「ねぇ……優一くん……」

「え…………ええっ!??」


 すると糸佳は本当に小さな声で、僕の名前を呼んだんだ。

 ……そう。僕の名前。いつもの呼び方ではなくて――


「優一くんは、美歌ちゃんのことが好きなんですか?」

「は? 美歌???」


 糸佳は真っ直ぐ前を向いて……僕の方に顔を向けることもせず、そう尋ねてきたんだ。

 だがその話は、また明後日の方向へ向いてしまう。ついさっきまで真奈海のことを考えていた僕の脳内は、次に美歌へと塗り替えられていく。完全に塗り替え終わるには約三秒ほどの時間を要した。


「なんでそこで、美歌の名前が出てくるんだ……?」

「だって優一くん。美歌ちゃんにはいっつも優しくて、いっつも気にかけていますし……」

「別に……だからといってあいつのことをどうこう思ってるなんてことは……」

「本当にそう思ってるんですか?」

「…………」


 そして僕を試すような顔で、小さく笑ってくるんだ。


「だったら優一くん、イトカと……」


 すると次に糸佳の顔がみるみると紅く染まっていくのがわかった。

 何かを言いかけ、ところが突然躊躇してみたり……僕はなんだか妙な気配を感じた。さっきだって僕のこと、『お兄ちゃん』と呼ばずに『優一くん』と呼んでみたり、真奈海の話ではなく突然美歌の話をしてみたり……。

 ――妙な気配とは、僕も糸佳と似たようなものを感じているんじゃないかって。


 少し前まで、糸佳に『お兄ちゃん』と呼ばれる方がこっ恥ずかしかった。

 だけど今は、糸佳に『優一くん』と呼ばれる方がよほど緊張する。


 その理由は…………次の糸佳の一言で、何かがわかった気がしたんだ。


「優一くん。イトカと結婚してください!!」


 ……………………


「…………はい?」


 いややっぱりちょっと待ってほしい。理解しようと思ったけどやはり無理がある!

 それは一体どういう意味だ?? 考えても考えても答えは出てきそうもない。

 僕の頭はくるくるくるくると、大混乱の渦の中に吸い込まれてしまう。


 ――だって、糸佳は僕の妹じゃなかったのか!??


「……ってイトカが言ったら、お兄ちゃんはどうしますか?」

「って、冗談かよ!??」


 と糸佳は完全に手のひらを返すかのように、僕を試す笑顔をまたぶつけてきていた。


「……いやいや。さすがに冗談にも程があるだろ。僕と糸佳は兄と妹だぞ???」

「何言ってるんですか? イトカはお兄ちゃんと結婚だってできるんですよ?」


 糸佳は例によって『そんなことも知らないんですか~』みたいな得意満面の顔をしてきていた。いやいや、知らないというどころか知りたくもない。第一、そんなことって……。


「それって…………法律的にってことか?」

「はいです。連れ子の子供同士は、法律的にもちゃんと結婚できるんですよ!」

「んな馬鹿な!??」

「お兄ちゃんが馬鹿だと思っても日本の法律ではちゃんとそうなっていますです!」

「だって…………僕と、糸佳とだぞ?」

「ですです。イトカと、お兄ちゃん……ですよ?」


 ……一体、なんという会話をしているのだろう?

 正直そう思わないこともなかった。


 でももし仮にそんなこと……糸佳が言うように、僕と糸佳が法律的にも結婚できるとして、果たしてそんなことって……。


 僕と糸佳が結婚する? それ以前に恋人になる……?


 やはり頭が混乱して、なにがなんだかわからないこともない気がしたけど……

 ただそれでもひとつだけ、僕の頭の奥深くには一つ確信していることがあった。

 もちろんそんなこと、口の中から表に出てくることなんて一切ないだろうけど。


 それも選択肢として、ありだということ――


 僕にそう思わせてしまっていたのは、あのときの真奈海の一言だったのかもしれない。僕が糸佳を結果的に守ろうとしていたこと。そのせいで真奈海を傷つけてしまったこと。

 それは多分、真奈海の言うとおりだって、正直そう思えてしまったから。


「でも、安心してください!!」

「って今更何を……」


 糸佳はもう一度、僕にきゅんとなるような笑顔を向けてきた。

 まるで本当に僕を安心させたがっているかのようなその顔は……


「イトカは優一くんと結婚したいとは思っても、お兄ちゃんと結婚したいとは一ミリも思いませんから!」


 ……いや、本当に安心していいのか、その発言の真意は全くわからなかったりして。


 さっき模擬店で買った焼きそばはまだフードパックに半部くらい残っている。こんなにゆっくり食べていたらもうとっくにそばは伸びてしまうんじゃないかって……。


 いやもうすっかり、焼きそばそのものは冷めてしまっていたが。

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