遠くなった距離

 僕は焼きそばを二つ買い、片方を糸佳に渡して、二人でそこにあったベンチに座った。

 季節的にこれが秋晴れと呼ぶにふさわしいか、微妙な暑さのせいでやや怪しい気もするけど、少なくともよく晴れた天候のおかげでこうして外で昼食を食べている。風の当たる場所で糸佳と一緒に焼きそばというのも、正直悪くはない。


 ……というより、考えてみればこうやって糸佳と二人で外を歩くなんて、思い出そうとしてもなかなか思い出せない。なぜなら糸佳は学校の登下校だって、どういうわけか僕と一緒になることはない。同じ教室に通うクラスメイトであるはずなのに、下校のときも気がつくと糸佳は教室からいなくなっているし、逆に僕から糸佳を誘うこともないため、自然と僕が先に帰ることもある。最近でこそ糸佳は美歌と一緒に帰ることもあるみたいだけど、僕の登下校はだいたいいつも一人。……いや、稀に僕も美歌と一緒に帰るくらいか。


 いつからだろう。糸佳とこんな風に距離ができてしまったのは……。

 互いの親が再婚して、僕がチロルハイムに住むようになってから……?

 ……いや違う。もっと前だ。少なくとも中学の頃には一緒に歩くこともなくなった。


 おまけに糸佳とは学校以外であっても、一緒に何処かへ出かけるということもない。

 真奈海や美歌とだったら、何度も一緒に隣町へショッピングというか……真奈海に言わすと『デート』とのことだが、正直そんな言葉の定義は今はどうでもよくて、糸佳以外とだったらよく出かけている。茜でさえ、『あたしに女子一人で街を出歩かせるつもりですか?』などという謎な決め台詞をびしっと決められ、先日もデート……じゃなかった、ショッピングに付き合わされたばかりだ。茜は器用と言えど真奈海ほど変装はうまくないため、真奈海と出かけるときより気疲れが激しかったのはここだけの秘密にしておくけれど。


 糸佳は焼きそばを口に頬張りながら、僕の隣でため息ばかりついていた。

 少し異様と思えるほど。そんなため息ばかりなんて、一体どれだけなのだろう。


 ……ただ、糸佳は僕以上に緊張しているようなんだ。なんだかそれはおかしな話で、どうして僕と一緒にいることがそんな緊張につながるのかよくわからなかった。

 でも、ふと思ったんだ。僕と二人でいることが糸佳を緊張させているんじゃないかって。

 だからさっき、僕の父親の名前が出てきたんじゃないかって。父龍太と糸佳はよく楽器店へ二人で出かけている。その時は何もなかったはずの違和感が、今は糸佳を悩ませているんじゃないかって。


 でも、それは結局のところ――


「なぁ。糸佳?」

「なんですか、お兄ちゃん……」


 糸佳は焼きそばを箸で掴みそのまま唇まで運ぶと、じゅるじゅるっと糸佳の口の中へと吸い込まれていった。どこか幼さの残るその顔で、円な瞳を僕の方へとぶつけてくる。これが年下の女子高生だったら僕も思わずきゅんとなってしまったかもしれない。だけどここにいるのは糸佳であって、形式的には年下の妹であっても、年齢差は僅かの三日。あまつさえクラスメイトでもある。

 だけど糸佳はそんなのお構い無しで、それはどう見ても妹が見せる甘えた顔にしか見えなかったんだ。やはり違和感しかないわけだけど……ただ、それというのは――


「こうして僕と一緒に外を出歩くのは、いつ以来かな……?」


 不思議と長く感じる時間。最後に糸佳とこうして歩いたのは一体いつだろう?


「あ〜。小学六年生以来ですね!」


 ……が、僕の予想に反して、糸佳ははっきりとそう返してきたんだ。意表を突くその明確な返事はやはり疑問符が残った。僕が全く覚えていないことを糸佳はどうして……。


「てかそんなこと、よく覚えているな?」

「覚えているに決まってるじゃないですか。イトカとお兄ちゃんの話ですよ?」

「いや、僕はそんなの全く記憶に残っていないのだが……」


 確かに僕と糸佳の話だ。でもそんなのもはや記憶の彼方。小学六年って言ったら、五年前の話だぞ? なんでそんなのがスラスラっと出てくるんだろうか。


「だったら糸佳は最後にこうして二人で出かけた場所、どこだか覚えているのか?」

「いいえ。全く覚えていません!」

「は? ……だったらなんで???」

「でも、最後にお兄ちゃんと出かけたのは、小学六年のときのことです!」

「いやいや。言ってる意味がよくわからん!!」


 場所は覚えていないけど、いつだったかだけは覚えている? それはまるで、いつの間にか時が止まってしまったかのような、そんな話のようにも思えていた。


 だとすると五年前……僕と糸佳を隔ててしまう変化があったということだ。

 でもそれって、何のことだ? 親の再婚は去年のことだし……。


「だってイトカにとってお兄ちゃんが今の『優一くん』になったのはその時ですし」


 糸佳はにっとした笑みを、僕にぶつけてきていた。

 まるで僕をからかうような、試しているかのような、そんな顔。


 でもそれは……

 僕はつい数日前に見かけた誰かの顔と、糸佳の顔が覆い重なって見えてくる――


『ユーイチは、誰も選ぼうとしない』


 ……そうか。真奈海だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る