新学期と糸佳の不気味な笑み

変わり果てた二学期のはじまり

 波乱の夏休みが終わり、暦は九月を迎え、学校は二学期が始まった。

 まだまだ厳しい暑さが続いているけど、それでもだいぶ涼しくなってきた方だと思う。僕は喫茶店『チロル』のカウンターに入り、今日の気候に合わせてコーヒーを作りはじめた。透明のグラスにブレンドコーヒーとミルクを入れ混ぜて、最後に大きな氷を三つほど落とす。冷たく甘いアイスコーヒーの完成だ。それをくいっと喉に通すと、口の中にミルクの甘さが伝わってきて、今日の疲れをほんのわずかばかり忘れさせてくれる。美味しい。

 まだしばらくは、アイスコーヒーが愛しい季節が続くということか。


 時刻は間もなく十六時。今日も喫茶店『チロル』は客が一人もいない……。

 その光景は夏休みが終わった後も、何一つ変わったことはなかった。


「ちょっとお兄ちゃん! 少しは管理人として美歌ちゃんを注意してあげてください!」

「…………」


 そう、ごく一人を除いては――


「今日も美歌ちゃんのせいで真奈海ちゃんまで巻き込まれるところだったんですから!」

「糸佳。言いたいことはわかるが、それは本当に管理人の仕事なのか?」

「管理人の仕事です!! 他に誰が面倒なことすると思ってるんですか?」

「…………」


 店内に客はいないけど、いつもの住民ならここにいる。今日は店番を僕に任せ、カウンター席にちょこんと座っているのは、糸佳と美歌だ。

 ……いや、糸佳の言いたいことはやはり一ミリも理解できない。寮の管理人という仕事は、とりあえず面倒なことをすべて押し付けられる、そんな役職だということなのだろうか。


「そう思うんだったら糸佳が美歌に注意すればいいだろ?」

「何言ってるんですかお兄ちゃん! 面倒なことは管理人の仕事に決まってるじゃないですか!?」

「おい糸佳……? それは一体どういった理屈のどういう理論なんだ???」


 もはや無茶苦茶である。そんな女子寮の管理人に厳しすぎる世界、僕にはごめんだ。

 もっともその問題の張本人は、先程糸佳が用意した激甘ブラジルコーヒー(ホット)をちびちび飲みながら、僕と糸佳の話については我関せずと、ほぼ無視を決め込んでいるようだ。いっそのことそのコーヒーの中に激辛唐辛子を混ぜこんで、AI成分100%なその脳をオーバーヒートさせてやった方がいいんじゃないだろうか。


 そう。二学期になってから、学校生活の方はすっかり変わってしまった。

 茜がチロルハイムに引っ越してきたからではない。むしろ茜に至っては、元々同じ高校の生徒だったということもあり、これまで通り普通に学校に通っている。強いて挙げるなら、『学校が近くなって朝寝坊できるようになった』と茜が喜んでるという話くらいだろうか。

 問題はそっち、茜の方ではなく、美歌の方だ。


 先日の『BLUE WINGS』解散ライブ――実際は解散ではなく、千尋さんと胡桃さんの卒業ライブだったわけだけど、そのライブ以降『BLUE WINGS』の新メンバーとして、未来みくが加わった。その正体はVTuberではなく、顔バレあり、そのまんまの姿の美歌だ。

 そのせいで、学校の様子は一学期とは一変してしまった。これまで霧ヶ峰美歌という女子生徒の存在は、数学で百点満点を取ってしまうような……いやそれはあくまで追試の点数であって、実は本試験では全科目で赤点を取っていたなど、その成績は一言では言い表されないほど波が激しすぎたりするけど、とにかく成績以外は特に目立つこともなく、どちらかというと存在そのものがミステリアスな女子というのが大半の男子生徒からの印象だった。……まぁ実際はただのガサツ系女子だけど、それを言うともう一人の美歌が怒るので公には言わないでおく。

 一応、これまでも美歌が男子から全く注目されていなかったというわけでもない。顔とごく一部分を除いたスタイルだけは超美形女子……これも細かいこと書くと美歌から怒られるけど……でも細かな性格の面を除けば、普通に可愛い女子として人気が出てもおかしくはなかったんだ。

 ただそこまで目立っていなかっただけ。実際は目立っていたのかもしれないが、美歌本人は気にする程度でもなく、その程度。


 ところがそんな美歌が二学期になると、手に負えないほど注目を集めるまでになった。


 春日瑠海と未来――その二人が、同じ学校にいる。

 その事実が同学年の男子達をどきどきさせ、夢中にさせていくんだ。


 だがしかし、問題はそういうお話でもないわけで――

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