エピローグ 〜歌う資格〜
きみに つたえることができない
どうして わたしから溢れる言葉は嘘ばかりなのだろう
きみとわたしを隔ててしまった天の川 わたしは渡ることができなくて
それは深いからじゃない そんなのただの言い訳で
ほんとの理由は そんなにわたしが強くないから
紫陽花の季節に わたしは本音を落としてしまったからだよね
七夕ライブで糸佳ちゃんがあたしに託した歌は、ライブ会場を熱狂の渦に巻き込んだ。優しく、そして圧倒的な力強さを持ったあたしの歌声は、会場に押しかけた全観客を飲み込んでしまうんじゃないかって、それくらい強いインパクトがあったんだ。
その翌日には、糸佳ちゃんと管理人さんの動画チャンネルにもアップされ、再生回数は爆発的に増えているとのことだ。糸佳ちゃんと管理人さんだけでなく、文香さんでさえも『糸佳が作詞した曲なのに……』などと、呆気にとられて言葉も出ないほどだったって、そう真奈海ちゃんは答えていた。
だけど、それを歌ったのはあたしじゃなくて、もう一人のあたしの方。
実はあのライブから日にちが経った今でも、あたしがこの曲を歌おうとすると、すぐにもう一人のあたしに意識を奪われてしまい、あたしは結局一度もこの歌を歌うことができないでいた。
それって、もう一人のあたしの嫌がらせなのか、それとも――
「なにはともあれ、無事にライブが終わって良かったです!!」
「ああ。いろんな意味で、話題が盛りだくさんだったな」
糸佳ちゃんと管理人さんが嬉しそうに話すのを見て、あたしは思わず顔が引きつっていた。結局のところ、あたしはちゃんと歌うことができたのだろうか???
七夕ライブが無事終わり、今日はその週末の金曜日。
七夕ライブ前半組メンバー、つまり高校生組メンバーで今日は打ち上げをしている。場所はいつもの喫茶店『チロル』。チロルハイムの住民四人に加え、文香さんと龍太さん、そして『BLUE WINGS』の千尋さんと胡桃さん、さらには蓼科茜さんも参加している。ちなみに茜さんがここにやってきたのは、今日が初めてだ。
「なるほど。ここが噂の『ちろるはいむ』ですか……」
「う〜ん……チロルハイムはあっちで、ここは喫茶店『チロル』なんだけどね」
物珍しそうな目で、茜さんは『チロル』を散策していた。それにしても『噂の』という言葉のほうが気になったけど……一体、文香さんの芸能事務所の中でチロルハイムはどう噂されているというのか?
「あの、『アイドル』春日瑠海を生んだ、チロルハイム……」
「う、うん……」
「私の、『女優』春日瑠海を奪った、チロルハイム……」
「ん、ん…………?」
「とどのつまり、全部ここにいる、管理人さんのせいってわけですね」
「あ〜か〜ね〜ちゃ〜ん!!!!!」
気がつくと、茜さんの背後には怨霊のような真奈海さんの姿が……。
まぁここまで茜さんが騒げば、それほど広くもない喫茶店『チロル』だけに、周囲にその声が伝わるのは自明というもの。茜さんは真奈海さんの絶対に触れてはいけない部分に触れてしまったわけだから、自業自得……ってことでいいのかな?
ま、あっちで見てみぬふりをしている管理人さんより、感情を素直にさらけ出している真奈海さんのほうが、ずっと好感を持てるけどね。
「ところで文香さん?」
「何かあった? 美歌さん」
あたしは真奈海さんが茜さんを追いかけ回すように叱る様子を見ながら、ひとつ疑問に思っていたことを文香さんに聞くことにした。
「あたしが歌った曲、その作詞をしたAkkieという方って、どんな方なんですか?」
「あれ? その話、まだしてなかったかしら?」
「え……?」
あたしが今回の七夕ライブで歌った、一曲目の曲。その曲は糸佳ちゃんが作曲し、Akkieという方が作詞を行っていた。気になったのはその歌詞の方で、まるで真奈海さんの応援歌のようにも聴こえたんだ。なんだか誰よりも真奈海さんを理解している人が書いたんじゃないかって、そんな作詞した人の自信さえも彷彿しそうで……
でもその文香さんの話しぶりは、どうやらあたしも知っている人らしく……。
「Akkieならあそこにいるじゃない」
「ほぇ……?」
文香さんの視線の先には、ただ今絶賛真奈海さんと喧嘩中の一人の少女が……。
「茜さん!???」
「そう。蓼科茜。だから、Akkieってわけ」
「…………」
まさかこんな身近な人だったとは……。そこにはいろんな意味で納得できるものがあった。
「あ、あと茜だけど、夏休みからチロルハイムに住むことになったから」
「はい……?」
唐突の文香さんの言葉に、あたしはただただ固まることしかできない。
「……と、この話は真奈海ちゃんにはまだヒミツね。あと優一くんにも」
「は、はぁ〜……」
それだけ言うと、文香さんはあたしの前から離れ、茜さんと真奈海さんの喧嘩の仲裁をし始めた。まぁ元々しょうもない口喧嘩でしかないし、仲裁に入るまでもないのかもしれないけど、そこは事務所の社長として……ってことなんだろうか?
それにしてもまさかその茜さんが、チロルハイムに住むことになろうとは。確かに真奈海さんが聞いたら、その時どんな顔するだろう? 今から少し楽しみだったりして。
「美歌さん。お疲れさまでした!」
「あ、うん……と言っても、あたしは結局糸佳ちゃんの役に立てなかったんだけどね」
文香さんと入れ替わるように、糸佳ちゃんがあたしに近づいてきて話しかけてくる。
「ううん。イトカの曲、ちゃんと歌ってくれたじゃないですか?」
「あれを歌ったのはもう一人のあたしの方だって。だからあたしは……」
「でもでもイトカは一曲だけでもここにいる美歌さんに歌ってもらえて満足です!」
「そう言ってもらえると嬉しいけど……」
あたしは恐らく、どこかやりきれない顔を糸佳ちゃんに返している。せっかく糸佳ちゃんに頼まれた曲だったのに、それをあたしは歌うことができなかった。
ただ、歌おうと思ったら勝手にもう一人のあたしが出てきただけだって、そんな風に感じたことは一度もない。なぜならあたしに足りないものを、あの子にはちゃんと見抜かれてしまっていたから――
それが、ただただ悔しかった。
「あの曲、イトカには歌うことができませんから……」
「え……?」
だけど、糸佳ちゃんのその弱々しい言葉の前に、あたしはどこか救われたような気分になってしまう。本当はそれではダメなんだけど……。
「だから、イトカは美歌さんに託したんです」
「…………」
「でも結局、美歌さんも歌うことができなかったってことですよね……」
それにはもう、返す言葉もない。
「ねぇ。あの曲って、真奈海さんに託すことはできなかったの?」
「真奈海さんに託すくらいなら、イトカが自分で歌ってます」
「まぁ、それもそっか……」
お互い、小さく笑う。情けないことに、あたしと糸佳ちゃんは今はそれくらいのことしかできないことをお互いに知ってしまった。
「ねぇ。美歌さん……」
「ん?」
糸佳ちゃんは少し不思議そうな顔を浮かべている。
「美歌さんはあの曲、本当に歌う資格がないんですか?」
そして改めて、こう質問をしてきたんだ。
「資格かぁ〜……」
それは言葉として、ピンポイントだった。
あたしはあの曲を歌うことができないとかいうわけではなく、ただ歌う資格がないだけ。もっと言うと、それを見抜いていたもう一人のあたしが、歌う資格を剥奪してくれたんだ。
それにしてもなんというおせっかいなのだろう、もう一人のあたし――
「だって、あの子の言うとおりだもん」
ただし、もう一人のあたしの言う通り、あたしはただ逃げてるだけだ。
「本当にそうなんですか? イトカはともかく、美歌さんだったら本当は……」
あたしは首を横に振る。あたしは糸佳ちゃんの言いたいことは理解できるけど、それをそのままそっくり受け入れることができないでいる。
あたしは、今の自分が怖い。本当は怖くてどうしようもないくらいに怖い。
あたしはチロルハイムでこんなに楽しい毎日を送っているはずなのに。
あたしだってこんなに笑っているはずなのに。
でもそれが、いつかぷつんと切れてしまいそうで
そのせいで、誰かを悲しませることになるんじゃないかって
それが、怖くて仕方ないんだ。
一度自分の意識を完全に失ったあたしに、本当にできることってなんだろう?
今ここにいるあたしの時間の意味が、今でもまるでわかっていないから――
「だったら美歌さん、お願いがあります」
「え、なに?」
弱々しい自分の姿しか見せることのできない自分に腹立たせながら、それでも優しい言葉をかけてくる糸佳ちゃんに少しでも応えなきゃって……
「美歌さんのこと、美歌ちゃんって呼んでいいですか?」
「そこは、『ちゃん』なんだね……」
糸佳ちゃんの優しい言葉に、思わずあたしから笑みが溢れる。
今はそれが救いの時間なのかもしれない。だから――
「うん、いいよ!」
だからあたしは、糸佳ちゃんに笑いながら、そう応えたんだ。
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