誰かへ届けるために
ライブ配信、スタンバイ!!
五月最後の金曜日。――少し前まではその金曜日のことを何か特別な名前がついてた気もしたけど、その名前は浸透しなかったのか、世間的にはすっかり忘れ去られてしまったような気がする。そんな五月も間もなく終わろうとしている、夜二十時頃のお話。
今宵のチロルハイムには、いつもの住民の他に、和歌山千尋と高坂胡桃が集まっていた。今や最も熱いアイドルグループ、『BLUE WINGS』のメンバーの二人だ。『BLUE WINGS』の話題の中心こそ、女優休業宣言で世間の注目を集めてしまっている春日瑠海に譲っているが、それでもそのパワフルなダンスと歌唱力で、千尋と胡桃への注目もブーストがかかっていた。
今日は二十一時から、糸佳と僕の動画チャンネルで、ライブ配信が行われるんだ。
その告知は昨晩、こっそりチャンネル内で配信済み。
――未だに糸佳の母、文香からは何も音沙汰がない。
「お母さんへの連絡、真奈海ちゃんへ任せっきりでしたけど、本当に大丈夫なんですか?」
「だいじょ〜ぶ。へーきへーき!」
喫茶店『チロル』でライブ配信前最後の打ち合わせが行われていた。
結局最後まで決まらなかったライブ配信先動画チャンネルについては、真奈海が糸佳の母文香の許可を得るという方針で決まったんだ。とはいえ、その動画チャンネル所有者である文香から、何も連絡がないのはやはり妙な気がした。なぜなら今日のライブ配信は、真奈海を含めて『BLUE WINGS』メンバーが総出演となるからだ。
真奈海のこの顔、それは不安要素というよりは、何かを企んでるような顔にも見えるが――
ライブ開始直後は、VTuberの『知川ちろ』と『栗坂くみ』がMCを務める。
「千尋さん、胡桃さん。『ちろ』と『くみ』のこれまでのライブとは全然反響が違うと思いますけど、よろしくお願いします!」
「任されたよ! 優一くん!!」
「優くん、『BLUE WINGS』コンビにお任せくださいなのだ〜」
――そう。『知川ちろ』と『栗坂くみ』というのは、その名から察しの通り、中の人は千尋と胡桃のことだ。今日のライブ配信の出演は『知川ちろ、栗坂くみ、他(スペシャルゲストあり)』という形で告知されている。そのVTuberの中の人は公にはされていないものの、既にネットではほぼ特定されており、そのせいか『BLUE WINGS』デビュー後以降、僕と糸佳のチャンネルも登録数が増え続けていた。特に『知川ちろ』と『栗坂くみ』の出演している動画については軒並み視聴数が増えている。
その二人が出演するという今宵のライブについても、注目が集まるのもごく自然の話だろう。しかも『スペシャルゲストあり』と書かれれば、その想像はさらに膨らむわけで――
「真奈海はいつもどおり頼むな。既にゲストも特定されてる感あるけど」
「なによユーイチ、偉そうに。ユーイチに心配される必要なんて何もないよ〜だ」
などとそのスペシャルゲスト(その1)は余裕綽々だ。
「ほんと真奈海ちゃん、優一くんの前じゃ素直じゃないね?」
「でもそんなマナミん、むしろ可愛くてあたしは大好きだよ〜」
「ちょっと二人とも! わたしはそんなつもりはないですよ〜!!」
年下の超売れっ子女優をからかう千尋と胡桃。『BLUE WINGS』として活動を始めてから、ますますそのコンビネーションはがっちりハマりまくっている。最近胡桃が真奈海のことを『マナミん』と呼び始めたのは、僕としてもある意味傑作だった。
今までは
「マナミん。そんなつもりって、どんなつもりかな〜?」
「優一くんが絡むとさらに本性を現すよね、真奈海ちゃんって」
「…………」
真奈海は無言のまま、僕に冷たい視線をぶつけてくる。
……僕に、どうしろと?
「でもお兄ちゃん。今日のライブ、本当に大丈夫なんでしょうか??」
「ああ……。本人が大丈夫だと言ってるから、きっと……」
とにもかくにも『BLUE WINGS』の三人に関しては確実に大丈夫だ。そこは事務所期待のアイドルグループ。三人ともプロだし、それについては何一つ不安要素はない。
問題は、そんなプロじゃない方のスペシャルゲスト(その2)なわけで――
「…………」
僕がもう一人のスペシャルゲストの方へ視線を送っても、その少女は喫茶店『チロル』の椅子に座ったまま、ただぼんやりと無言の貫き通していた。やっと僕の視線に気づいたのは、それからおよそ三秒後のこと。
「……管理人さん、どうかしましたか?」
その儚げな顔で、僕をじっと見つめてくる。眩しささえ感じるほどに。
「いや、あの……今日、大丈夫かなって」
「歌詞は覚えた。曲は元々私が作曲したもの……」
「……あ、うん。そうだったね」
もう一人のスペシャルゲストは美歌だ。――それも、一人称『私』の方。
歌詞については、一人称『あたし』の方の美歌が、つい三日前になってようやく完成させたものだった。それは最後までもうヒヤヒヤだったけど、およそ詞のプロットは美歌から伝えられていたため、糸佳の編曲作業には影響が出なかった。ただし、美歌と一緒に歌う真奈海の方はというと、さすがに美歌を心配していたのか、毎晩作詞の意見交換をしていたという。
その作詞を行っていた美歌は――実は昨日から姿をくらましている。
作詞で力尽きたのか、それとも……
「ちょっと管理人さん! 本当にお姉ちゃん抜きでライブを行うつもり?」
そう僕に聞いてきたのは、美歌の妹、美希だ。
美希はあれからずっとチロルハイムで居候生活を続けている。姉とのわだかまりは結局どうなったのか? それは未だに曖昧なままなのだが、昨日から実の姉である美歌が姿をくらましてからは、会う度に僕に『ライブどうするの?』と怒鳴ってくる。さすがにやや耳が痛くなっていた。
「なんにしても、やるしかないんじゃないか?」
その度に、僕はこう答えてきたんだ。美歌が書いた詞を読みながら――
それに、お姉ちゃんならここにいるじゃないか。
スペシャルゲストの名に相応しい、もう一人の美歌――
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