春に吹く重たい風

 チロルハイムの最寄り駅――その南口から歩いて数分ほどの場所。僕と美希……美歌の妹は、公園の遊歩道を二人で歩いていた。四月であれば桜の花びらが舞う美しい光景を堪能できるが、五月のこの時期は青々とした新緑が視界に飛び込んでくるばかりで、どちらかというと人もまばらだ。

 チロルハイムや僕達の通う高校は、駅の北口の方向にある。そのため反対側のこの公園には滅多に近づかないのだけど、たまに落ち着いてのんびりしたい時などには、この公園で森林浴を楽しんでいるんだ。……もっともこの公園、あるのは沼ばかりで、ここに並ぶ木々が森林かどうかは割と怪しかったりするが。


「へぇ〜。こんな街中に随分薄気味悪い場所があるんですね?」

「大変薄気味悪くて、お気に召されましたか?」

「ま、悪くはないわ」


 言葉とは裏腹に、美希の顔は少しだけ微笑んでいた。どこかぶっきらぼうで、それでいて案外素直なところは、一人称『あたし』の美歌にそっくりな気がする。どちらがどう似たのかはわからないけど、双子の姉妹というのはそういうところまで似るのだろうか。


「あなたは……あの寮の、管理人さんということでいいのよね?」

「ああ。もっともあの場所が寮ってことは公にされてないんだけどな」

「それは武川さんに聞いた。有名な女優さんも住んでる寮だからという話も」

「え、武川さんって?」

「あ、そっちは知らないのね。三月までお姉ちゃんと一緒に住んでた人のことよ。ソフトウェア関連の仕事をしてる人と言えば通じるのかしら?」

「ああ。父さんの知り合いだな」


 元々美歌は、父龍太の知り合いから紹介されたと聞いていた。その知り合いというのが武川さんという話であれば諸々辻褄が合う。


「だけど、急にお姉ちゃんは、その武川さんの元から離れた。あたしの知らないうちに、あたしの知らない場所へ……」

「つまり、本当に何も聞かされてなかったのか?」


 美希は疑いの眼差しを僕の方に向けてきた。そんな疑われるようなこと、僕には全く身に覚えがないわけだけど。


「ねぇ管理人さん。なんでお姉ちゃんはあなたの寮にいるの?」


 そして唐突に、美希はこんなことを聞いてきたんだ。


「知らないよ。元々父さんが知人の頼みってことで連れてこられたんだ」

「武川さんの頼みってこと……?」


 僕は恐らく、間違ったことは言っていない。龍太の話をそのまま受け止めるならば、そこに誤りはないはずなんだ。だとすると、美希と美歌、姉妹離れ離れにすることを願ったのは、武川さんということになる。事情はよくわからないが、それを美希には隠す必要があったということか。


 ……いや。恐らくその事情というのは、美歌のことだ。

 美歌に変化が起こったから。その変化は美希にとって――


「そういえば美希さん、僕からも一つ聞いていいか?」

「なに?」


 もしその仮説が正しいならば――


「美希さん、前に『姉を探してる』って言ってたよな?」

「ええ。言ったわ」

「だけどその時美歌さんはチロルハイムにちゃんといた。それは見てただろ?」

「確かにいたわね。お姉ちゃんのそれっぽい人形が」

「それっぽい『人形』か……」


 つまり美希にとって、あの美歌……一人称『私』の美歌は、人間ではないと言いたいのだろうか。確かに人間離れした性格をしている。それはそうなんだけど……。

 ただ、そこまであの美歌を否定する理由は何であるのか?


 ――そしてその理由は、ここにたどり着くんだ。


「だったら美希さんの探してる『姉』って、誰のことなんだよ?」

「……ねぇ、管理人さん?」


 すると、その瞬間だけ、春の風が止まったような気がした。

 もしくは止まったのは風ではなく、時間そのものだったかもしれない……。


 その僕の質問を軽く嘲笑うかのように、美希は僕に言葉を返してくる。


「あたしの姉のこと、管理人さんは知ってるんでしょ?」


 僕はここまで確かに話を濁していた。美希に美歌の二重人格のことについては一言も話していない。それは恐らく美歌本人が気にしていることだったから、僕はそれを美希に気づかれないように、ずっと隠していたつもりだった。

 だけど美希は、その事実に気づいていたらしいのだ。


「どうして、そう思うんだ?」

「だってあの時のあの着こなし、明らかにお姉ちゃんだったもん!」

「着こなし……?」

「あの後、気づいちゃったのよ。あんな服の着こなし方、美歌のプログラムの中には実装されてないわ!」

「プログラム……実装!?!??」

「だったら誰があんな着こなしをしたって言うのよ? お姉ちゃんしかいないじゃん!」


 どういうことだ? 恐らくあの時というのは、先日『チロル』に美歌が帰ってきた時のことを言ってるのだろう。あれは確かに『あたし』の美歌の誤算で、僕が知ってる限り、一人称『私』の美歌があんな服の着方をすることはこれまでなかった。常にブレザーのボタンを一番下まで全部留めるのが『私』で、全部止めないのが『あたし』だ。

 ただ、それ以上に美希はその発言に確信を持っていた。しかも『プログラム』とか『実装』などという言葉を使って。


「お、おい。それって……」

「管理人さん。その話の前に、もう一度お姉ちゃんに会わせてください」


 美希はふうと一息つくと、僕の服の裾をきゅっと引っ張ってきた。丸い瞳を睨ます猫のように、チロルハイムへ連れて行けと言わんばかりの顔をしている。


 今改めてふと気づいたのは、美希の肩には女子高生が学校へ持っていくにはやや大きめのショルダーバッグがぶら下がっていて……それはそれで嫌な予感がするのだけど。

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