喫茶店は火災にご用心!

 美歌の妹と名乗る女子高生は、キリマンジャロコーヒーを飲み終わると用が済んだとでも言うようにそのまま帰っていった。……いや、彼女が本当に『美歌の妹』と名乗ったかは正直怪しいところだ。なぜならはっきりと美歌を見たはずなのに、『今のは姉ではありません』と言い張るなど、あやふやな態度を取っていた。


 そして美歌からのメッセージ――

『お願いだから早くその子を追い出してよ!!』


 美歌のやつ、喫茶店『チロル』の貴重なお客様を追い出そうとするとか、迷惑千万、許しがたし!!……となるはずもなく、やはり二人は知り合い……という話は今更で、間違えなく美歌とあの女子高生は双子の姉妹――


 ……だとすると、なぜ二人は離れ離れに暮らすことになったのか?


「で、そんな美歌ちゃんをほっといて、こんなとこでまだコーヒー飲んでるんだね〜? ユーイチは!」

「いや、そうじゃなくて、美歌が部屋に籠もったまま出てこないんだって」


 真奈海は、僕を茶化してきた。

 時刻は十八時を少し回った辺り。今日は珍しく早めの時間に帰ってきた真奈海は、糸佳から『今日は不思議なお客さんが来たんです〜』という話を聞きつけると、そのまま『チロル』に居座り、糸佳と一緒に夕食の準備をし始めた。制服を着たままその上にエプロンを身に着け、なお未だに自分の鞄はここに置いてある。どうやら美歌の話によほど興味があったらしく、その様子はまるで芸能ゴシップ好きの主婦のおばさんのようだ。もっとも真奈海の場合、普段はその逆の立場だろうから、そんなことを言ったら僕は確実に殺されるだろうけど。


「管理人のくせに言い訳とか、男の子らしくないな〜?」

「どういう意味だ?」

「こんな時は美歌ちゃんのとこ行って『僕の胸で泣け』とか言ってあげればいいの」

「あのなぁ〜……」


 てきぱきと包丁で人参の皮を剥きながら、真奈海は僕に突っかかってくる。それにしても普段お好み焼きか焼きそばくらいしか作らないくせに、割と真奈海の手先は器用だ。あっという間に人参が丸裸にされていくのを見て、僕は思わず感心してしまう。……あ、そういえば真奈海の作る焼きそばって、いつも人参入ってたな。


「ほんと女の子に優しくないよね? ユーイチのくせに!」

「いや、だから……」

「ま、わたしの告白もそうやってはぐらかすくらいだもんね、仕方ないか」

「ちょ、ちょっと待て!」


 おい、突然何を言い出すんだ……?


「は、はい……? ちょっと待ってくださいです!! 今真奈海ちゃん、『わたしの告白』とか言いましたよね? それっていったい、どういう意味ですか!??」


 突然飛び出た真奈海の飛び道具、もといそのゴシップ記事は、僕だけでなく糸佳にも直撃したわけで、僕以上に大慌てだ。


「聞いてよ糸佳ちゃん。ユーイチ、わたしの愛の告白をあっさり断ったのよ?」

「ど、ど、ど、ど、どーゆー意味ですか!??」

「…………」


 真奈海はいったい、糸佳に何をどこまで話す気だろうか。ただし、僕には反論できる余地も余力も存在していないため、それを止める術はどこにもない。


「きっとユーイチ、わたしのこと、大嫌いなのかも」

「そんなの嘘です!! ありえません!」

「……糸佳ちゃん、どうしてそう思うの?」

「だ、だってお兄ちゃんは真奈海ちゃんのこと……」

「……………………」


 人が反論しないことをいいことに、言われ放題な気がする。だがこれも自業自得。

 ところが反論するまでもなく、糸佳が赤面した顔のまま固まってしまったことによって、話は突如途切れた。糸佳がその時何を言おうとしたのか、何となくわかった気もしたけど、ただし僕は何も言えなかった。本当に卑怯者かもしれない。


 すると真奈海は小さく笑って、もう一度僕をからかってくる。


「もう一度言うよ、ユーイチ」

「な、なんだよ……」


 ただその眼差しは、どこか真剣な目を覗かせていた。


「美歌ちゃんはユーイチが声かけてくるのを、きっと待ってる」

「……どうしてそう思うんだ?」

「だって美歌ちゃんは、糸佳ちゃんではなく、ユーイチにSOSを送ったんでしょ?」

「そんなの……」


 そこにそんな深い意味なんて……あるのか?


「ほんと。わかってないな〜、ユーイチは」

「……いや、全然わからん! 一ミリもわからん!!」

「少なくとも、あっちの美歌ちゃんの方は相当ユーイチに気を許してると思うけど」

「考えすぎだろ……」


 そもそも真奈海の言う『あっち』というのは、どっちのことだろう?

 一人称『私』? それとも『あたし』の方の美歌のことか?

 それすらわからない僕は、真奈海の言ってることなど全然わかっていなかった。


「あの〜、『あっちの美歌ちゃん』というのは、そもそも何の話でしょうか?」


 ……あ、僕以上にわかってない人がもう一人おった。


「ふふっ。……そうそう。糸佳ちゃんは、あっちじゃない方の美歌ちゃんに、作曲で負けちゃダメだからね?」

「「……はい?」」


 お、おいっ、真奈海。その話、僕もやっぱりわかってないぞ?

 あっちじゃない方の美歌が、作曲??? それこそどういうことだ?


「なによ〜、騒がしいわね〜……」

「おっ、あっちの美歌ちゃんの方がしびれ切らしてやってきたみたいだね〜」


 真奈海の言う通り、そんな話をしていたところに美歌が現れた。が、僕はと言うと思考が追いつかず、全くそれどころじゃないわけだけど……


 ……え〜っと、その口調が『あっち』ってことは、つまりえ〜と〜……

 一人称『私』の美歌が、作曲活動をしている!?


「どうしたの二人とも。真奈海ちゃんだけはいつもどおり元気良さそうだけど」


 僕も糸佳もさっきから真奈海の急展開なお話に頭がパンクしそうになっている。その威力はスタンの効果スキルがあったようで、僕も糸佳も口をパクパクさせていた。その様子を見た美歌が不思議がるのも当然の反応だ。


「ちょっと二人にお説教をね! じゃ、ユーイチ君。後は頼んだわよ〜」


 と、エプロンを取った真奈海は美歌と入れ違うかのように、スクール鞄を手にして、ようやく自分の部屋へ戻っていった。糸佳と僕が残された喫茶店『チロル』の厨房は、文字通り焼け野原だったわけで……。


「ほんと大丈夫? なんか、元気ないみたいだけど……」

「ああ。まぁ〜……」

「糸佳ちゃんも管理人さんも、らしくないな〜。もっと元気出しなよ?」


 さっき真奈海は、僕に美歌を励ますよう促された気がする。

 まさかその逆のことが今起きてるなんて、僕にも到底信じられなかった。

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