チロルハイムの四次元彼女はライブ会場で輝けるか
美歌と未来
『チロル』特製モーニングコーヒーとともに
春日瑠海のアイドルデビュー、及び女優休業宣言の話題は、今朝の芸能ニュースのトップを飾っていた。ニュース番組の芸能コーナー、そしてスポーツ紙の一面記事に至るまで、どこもかしこも春日瑠海一色だ。昨日の『BLUE WINGS』デビューライブはそれほど衝撃的なものだったのだが、つい先程電話越しに話した文香にしてみると、『瑠美はあれくらい当然。それより千尋と胡桃をもっと取り上げてもらえないからしら』などと斜め上の方向へぼやいていた。
ネットでの評判も上場だ。昨日の朝に立ち上がったばかりの『BLUE WINGS』オフィシャルチャンネルはみるみるうちに登録者数が増えていっている。動画についたコメントを見ても、『春日瑠海ってこんなに歌がうまかったんだ!』とか『春日瑠海ってスタイルいいからダンスもめっちゃ映える!』などなど、およそ好印象のようだ。辛うじて、『ルミもいいけど、チヒロめっちゃ歌うまい!』とか『俺、絶対可愛い系のクルミ派!』と言ったコメントも少ないながらも見ることができ、この反応が増えれば少しは文香も胸をなでおろすだろう。
「でもイトカは納得がいかないです!!」
「なんでだよ!??」
が、ここにもう一人、多少ごきげんななめな女子高生がいたりして。
日曜日の朝、場所はまだ開店前の喫茶店『チロル』。僕は糸佳と二人でコーヒーを飲んでいた。……と言っても、どうせ開店したところで今日も客は来ないのだろうけど。
「だって〜、お兄ちゃんとせっかく一年かけてつくりあげてきたチャンネルの登録者数、たった一晩で真奈海ちゃんに追い越されちゃったんですよ!?」
「ま、仕方ないだろ。僕らと真奈海じゃあ知名度に差がありすぎるし……」
実際、糸佳の言うとおりだった。それだって、決して僕と糸佳のチャンネルの登録者数が最初から劣っていたという話でもない。そもそも千尋も胡桃もそのチャンネルでVTuberとしての実績があったから今回のデビューに至ったわけだし、そこは背後に事務所がついているVTuberチャンネルとして、決して小さな規模で勝負していたわけではなかったはずだ。
ところがそれをいとも簡単に飛び越えていくのが春日瑠海ってやつである。ある程度は伸びるだろうとは思ってはいたけど、まさか一晩で僕と糸佳のチャンネルを超えてくるとは予想していなかった。
たとえ僕が父龍太と共に、『BLUE WINGS』オフィシャルチャンネルの開設に一役買っていたとしても、やはりどこか悔しいと思えるのは事実だったわけで、それは『BLUE WINGS』デビュー曲の三曲を全て自身の手で作曲した糸佳にとっても、同じことなのかもしれない。
「これって、イトカが真奈海ちゃんに負けたみたいじゃないですか!」
「まぁ〜真奈海と糸佳じゃ勝負しようにもそもそも土俵が違うと思うけどな」
「そんなことないです! イトカは真奈海ちゃんに勝ちたいんです!!」
「だから何で勝負するつもりだよ……」
「そりゃもちろん、お兄ちゃんを独り占めする権利です!」
「……いきなり何の話だ???」
コーヒーのデザートにオレンジを切ろうとしいた糸佳は、手に包丁を持っていた。ちなみに包丁の持ち方は、オレンジが置いてあるまな板とは垂直方向。つまり縦にして持っている。
……一体誰を襲う気だ?
「だからお兄ちゃん! 今日新曲仕上がるので、また動画作ってください!」
「わかった! わかったから、そのまま包丁を置いてください!!」
「打倒真奈海ちゃんです!! 異論はないですよね!?」
「僕の方に刃を向けるな〜!! てか、ライバルは
「……あ、そうでした。未来と言えば少し気になることがあったのですけど……」
未来というキーワードを聞いて、糸佳はようやく冷静さを取り戻したようだ。それにしても一体どれだけ真奈海にライバル心を燃やしているのだろう。ちなみにその真奈海はというと、今朝も朝から地下スタジオで歌とダンスの練習中だ。午後から都内へ向かい、メンバー全員でレッスンがあるらしい。
「ん? 未来がどうかしたのか?」
「昨日、千尋さんと胡桃さんとで未来の曲を改めて聴き直していたんですけど……」
そう言って糸佳はスマホを手際よく操作して、未来が最近アップしたばかりの曲を開いた。
「この曲の……ここです! ほら、この音源……」
糸佳は指でスライダーを動かし、その曲の途中から再生した。すると、未来独特の包容感あふれる歌声が聴こえてきて……いや、僕が耳を疑ったのはそこではない。糸佳の言う『音源』の意味を、僕もすぐに理解したんだ。
その音は、糸佳と僕が二人で作り上げたVSTプラグイン、そっくりだったから――
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