失われた天使の羽

「今日の議題は優一くんをいかに誘惑するか?」

「お兄ちゃんはイトカのものです! 千尋さんや胡桃さんには絶対負けません!」

「あの〜…………」


 その謎の会議が始まったのは、文香、千尋、胡桃の三人が喫茶店『チロル』に到着して間もなくのこと。時刻にして十七時三分。間もなく四分になろうとしている。文香は早速今日の議題を口にした。


「年下の男の子なんて、私の魅力でイチコロよ!」

「優くんはあたしが振り向かせるんだも〜ん! 千尋には負けないよ〜!!」

「もしも〜し。……そろそろ本題に入らなくていいんですか???」


 千尋と胡桃は文香の言葉に便乗するように、謎の闘志を燃やしている。……いや、どちらかというと僕をからかっているだけのようにも見えるが、きっとそれは見間違えではないのだろう。さらにもう一言断っておくと、糸佳はあまり相手にされていないという点もここに書き加えておく。


「でも大丈夫よ。相手は優一くんだもん。千尋さんでも胡桃さんでもなかなか落とせないわよ?」

「確かに、毎日真奈海ちゃんを相手にしている男子というのはさすがに難攻不落よね?」

「真奈海ちゃんに聞いたんだけど、最近チロルハイムに別の可愛い子もやってきたらしいじゃ〜ん!」

「あのあの、千尋さん、胡桃さん。ところでイトカのことは……」


 ここで鋭すぎる勘を働かせてしまった糸佳は、案の定落ち込んでいる。

 その点はひとまず置いとくとして、ここで真奈海や美歌の話を持ち出してくるのはやや卑怯な感じもする。……いや、何が卑怯とかそう聞かれると答えにくいものもあるが、どうにも最近僕はその手の話を苦手にしていたりするわけで。

 なるべくその話の本質に近づかないようにしないと――


 が、僕の考えを読んだかのように、文香はここで不気味な笑みを浮かべる。

 これは嫌な予感がする……。


「ま、それはそうと。今度千尋さんと胡桃さんにはアイドルユニットを組んでもらって、二人同時にCDデビューしてもらうことにしたの」

「アイドルユニットですか?」


 切り返すように話をする文香だったが、どうやらその話を知らなかったのは僕だけだったらしい。他の皆は『知ってました』という顔をしている。


「糸佳がこの前書いた曲、VTuberじゃなくて二人に歌ってもらうことになったの」

「ああ、あの曲のことか」


 あの曲とは例の大量お好み焼き投下事件の日、糸佳が『新曲聞いてもらえますか』と僕に聞かせてきたあの曲のことだ。曲調としては九十年代に流行ったダンスミュージックのようだったし、確かに二人のパワフルな歌声はぴったりだと思う。

 ところが文香はやや困りごとを抱えているかのような顔を返してきた。


「だけど、二人でアイドルユニットってゆうのも、少し考えものなのよね」

「私達も自信がないわけではないのですが……」

「今時、二人組ユニットってあまりいないし〜……」


 その文香の不安には、千尋や胡桃も同意見のようだ。

 言われてみるとまさにそのとおりで、最近のアイドルユニットで二人組はあまり聞かない。かつて探してみれば二人組のアイドルユニットもいたような気もするが、どちらかというとそれは懐メロ特集番組の何十年前の映像の中で見かけるくらい。


「そしたらどこかのアイドルユニットみたいに、四十八人くらい集めるとか?」

「優一くん。うちの事務所、そんなに人数がいないことくらい知ってるでしょ」


 確かに。文香の事務所は一応芸能プロダクションの大手とは言えるものの、何十人もの若手女性タレントを抱えているわけでもない。まず春日瑠海という看板スターがいて、その他ベテラン俳優さんが数人。若手タレントこそそこそこ人数は多いものの、事務所のタレント全員合わせても三十人ちょっとくらいしかいなかったと思う。


「だから人数を増やせたとしても、五人が限度」

「それなら……」


 五人組のアイドルユニットであれば、今時よく聴く人数だ。


「でもせっかく五人集めても、クオリティーが低かったら意味はないわ」

「イトカが作った曲も本当は二人がメインで歌ってほしいんです!」


 ここで糸佳が口を挟んできた。その口ぶりはまるで元々二人のどちらかのために曲を書いたかのような口ぶりで、仮にそう言われたとしても納得はできてしまう。それくらい二人のイメージに合っていたから。


「だったら、どうしようと……?」


 僕の質問に対し、文香は小さく笑みを零した。

 ――それはなぜか、まるで最初から答えを決まっていたかのように。


「五人は無理でも、三人ならクオリティーを維持したままいけるんじゃないかって」

「三人?」


 ということは、千尋と胡桃の他にもう一人……あと一人を加えてデビューさせるということだろうか。いや、それだとやや違和感が残る。千尋と胡桃の歌唱力は事務所内でもトップクラスの二人だ。そこにもう一人加えようとすると、どうしてもその実力差に浮いてしまう可能性のほうが高い。そんなことをしたらクオリティーなんて言ってられるはずもなく、むしろ二人だけでデビューさせたほうが正解じゃないだろうか。

 もしくは多少歌唱力は劣っても、二人と同レベルのオーラを持ったタレントをそこに加える。でもそれだって選択肢はかなり限られるはずだ。なぜなら千尋と胡桃の女子高生とは思わせない大人の魅力を感じさせるオーラは格別で、その二人に匹敵するオーラの持ち主は文香の事務所に置いて数人程度。その中の誰かって……


 ――え、まさか?


「さすが優一くん。その顔はどうやら気づいたみたいね」

「それってひょっとして……」


 そして文香は得意満々の顔で、こんなことを言ってきたんだ。


「さてここで問題です。男子に振られてすっかり地に堕ちてしまった国民的清純派女優の女子高生は、二人のお姉さんの歌声を背に受けながら、もう一度その天使の羽を取り戻すことができるでしょうか?」


 えっ――


「ただいま〜」


 沈黙を破るかのように、喫茶店『チロル』のドアが開く音がした。


「あれ? 社長に、千尋さんと胡桃さん……?」


 その様子はまるで今その状況に気づいたかのよう。つまり僕と同様、何一つ聞かされていなかったのかもしれない。その場できょとんと立ち尽くしたその女子高生は、目をぱちくりさせながら喫茶店『チロル』の店内を見渡している。


 僕の身体は凍ってしまうかのように、その場から一ミリも動くことができなかった。

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