作曲家『ITO』とお兄ちゃんの大冒険!
「お兄ちゃん! 後でイトカの新曲、聞いてもらえますでしょうか?」
糸佳がそう尋ねてきたのは、食卓からお好み焼きがようやく半分食べ尽くされた頃だった。繰り返しになるが、ようやく半分である。それ以上のことは敢えて言うまでもないだろう。
「そうだな。もうお腹いっぱいだし、後でと言わず……」
「ね〜、ユーイチ! まだ半分も残ってるよ〜!!」
まだ半分も残ってる理由は真奈海お前のせいだ!!
……という、心の声はとりあえず締まっておくとして。
「大丈夫です! 真奈海ちゃんのお好み焼き美味しいですし、食べ終わった後で」
「……あ、ああ。そうだな」
糸佳の無邪気なにっこりとした笑顔と、真奈海の一歩間違うと刺されるかもしれない笑顔の板挟みに遭い、僕はこのまま押し潰されてしまいそうだ。女子って怖い。いろんな意味で。
「あとあと、もしその曲気に入ってもらえたら、また動画を作ってくれませんか?」
「ああ、わかった。僕も好きでやってるから全然構わないよ」
「嬉しいです! もうお兄ちゃん大好きです!!」
「……ま、とりあえず、目指すは未来ちゃんってとこだな」
少しだけ話を戻して説明すると、糸佳は趣味で作曲をしている。作詞は自分でやったり、誰かに頼んだりとまちまちだが、活動のメインは作曲と編曲だ。糸佳の部屋には打ち込み用の機材が所狭しと並んでいる。チロルハイムの地下には音楽の収録なども可能なスタジオが完備されているのだが、そこにすら糸佳所有の機材が溢れているほどだ。
最近では、作曲家『ITO』という名義で、文香の事務所所属アイドルグループの楽曲まで携わっている。そう考えると、もはや趣味というレベルを超えているとも言える。ただ、それは糸佳であることは本人の希望もあって公表されていない。糸佳は昔から目立つことが得意ではないのだ。
僕自身、そんな糸佳に感化されて何かをやってみようと思ったのは、ちょうど去年の今頃。中学卒業直後の春休みのことだった。女優業を忙しくこなす真奈海、バリバリと作曲をこなしてしまう糸佳―― 同じ年の二人がこんなにもアグレッシブに活動しているのに、春休みに僕はこんなに暇をしていていいのか? ……というのが一番最初のきっかけだった。
糸佳も作曲だけしておいてそのままの放置になっていた楽曲がいくつもあったことに気づいた僕は、それらの曲をプロデュースしようと模索する。高校生のおままごとかもしれないが、今時流行りのVTuberというものに目を付けた。元々イラストを描くのが好きだった僕は、キャラクターをデザインし、3Dモデリングを行う。最初は父龍太に教わりながらだったし、制作にもかなりの時間も要したが、今ではようやく慣れてきて自分一人でアニメ制作できるようになってきた。最近はもっぱら2Dアニメの方が多いが……いやほとんど2Dばかりかもしれないが!
歌はその曲に合った事務所のタレントさんにこっそり歌ってもらっている。タレントさんの名前こそ出てこないが、そこで評価が付けばデビューさせてもらえるという条件付きで。文香曰く、『糸佳の曲はCDデビューの登竜門みたいなものよ』とのこと。大人の発想だけに大人気ない。
作曲家『ITO』の知名度が上がるのと同時に登録チャンネル数が増えてはきたものの、去年の冬頃からそこに待ったをかける存在が現れたんだ。そちらへ奪われるかのように、糸佳の登録チャンネル数が減りこそしないが伸び悩んでいく。
未来――
『ミライ』と書いて、『ミク』と読ませるらしい。
声はか細く若い女性の声。女子高生かもしれない……それくらい若い声。
動画はどこかの風景写真が流れるだけという言わばほぼ静止画なのだが、毎日音楽が作曲され、それを毎日同じ女性が歌い上げるというその繰り返し。曲自体は『あれ? このフレーズ前もどこかで……』と思えるものも多少あるものの、それでも毎日違う曲が作曲されるとなると、これには糸佳もお手上げだった。
それ以上に特筆すべきはその歌唱力。文香でさえも『少なくともここまで歌唱力のあるタレントはうちの事務所にはいない』という評価だ。
「
「それでも作曲だけは勝てると思える糸佳がすげ〜よ」
「でもやっぱり毎日あのクオリティの編曲はムリです! 悲しいですけど」
「……だな」
糸佳は完全に脱帽状態だ。実際ここまで落ち込む糸佳は珍しい。
「じゃあ〜、わたしが歌ってあげれば未来ちゃんにも勝てるってことだよね〜!」
「そもそもお前は歌そんなにうまくないだろうが!!」
えっへんと自信満々に開き直る真奈海が突然口を挟んでくる。が、真奈海の歌はそこまでうまくない。実際チロルハイムの面子でカラオケへ行っても、採点マシーンでの得点は少なくとも僕の方が上だ。その度に異様なほど真奈海は悔しがっている。別に音痴と言うほどでもないのだけど、決してうまくはない。むしろ普通くらい。
だからそんな自信がどこから湧いてくるのか、僕には謎で仕方がなかった。
ただ、別の見方をすると、そこが真奈海の恐ろしいところでもあった。
まさか真奈海のやつ――
それもあって僕は、文香が深く溜め息をつく瞬間を見逃さなかった。
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