これがいわゆる最後の晩餐!?
しばらくすると糸佳が喫茶店、改め共同食堂『チロル』に入ってきた。糸佳も猛烈にジューシーなお好み焼きソースの匂いにつられてやってきたのだろうか。……いや、確かに匂いが強いことに間違いはないが、この匂いを好き好んでいる人間がいるか否か、正直怪しいところだ。むしろそんな人は大阪か広島へ行ってお好み焼き屋さんにでもなってみたらと僕個人的には思うのだが、ひとまず糸佳は何も言わず、自分の席についた。
喫茶店『チロル』の中央には八人掛けの円卓が一つある。『チロル』を共同食堂として利用する際は、この円卓に集まる習慣があった。時計回りで順に、龍太、文香、糸佳、真奈海、僕の順で座る。この円卓を五人で使用すると、やや広いかなと言う印象だ。少しだけそれぞれの距離が遠く感じる。
もっとも、文香と龍太は仕事で帰りが遅くなることが多く、今日のように一緒に夕食を食べることは滅多にない。今晩は最後の晩餐とも言うべきか、明日には文香と龍太はこのチロルハイムを出ていくので、引っ越しの準備もあって早めに帰ってきていたようだ。
……が、それにしてもあまりに空気が重い。こんなに大人数で集まることが普段あまりにも欠落してるがゆえ、どこか互いに緊張が走っていた。さらにそこへ追い打ちをかけるかのごとく、大量のお好み焼きが食卓から睨みつけてくる。
「さぁ〜食べよ〜食べよぉ〜!!」
……と、最も空気を読まない女子高生、春日真奈海が声。
いやいや、そもそも誰のせいで空気が重くなっているのだと!?
…………あ、半分は僕か。僕のせいなのか!??
「いただきま〜す。ほらお兄ちゃんも俯いてないで食べますよ?」
「あ、うん。……いただきます」
と、この空気を読んでるのか否か全くわからない糸佳の顔が、僕にそう催促してくる。こういう場面での糸佳の無邪気な笑顔はどこかほっとする。真奈海ほどの危なっかしさがない安全安心の安定感というのが、その所以かもしれない。
「そうだ母さん。今日来てた人って202号室に引っ越してくるんですよね?」
と、糸佳が文香に尋ねていた頃には、既に文香と龍太もその目の前に広がるお好み焼きの山を、少しずつ平らげようとしていた。文香は既に諦めがついたのか黙々と食べ始めているが、龍太は未だどことなくげんなりした表情が読み取れる。
「そうよ。綺麗な人だったでしょ?」
「うん。すっごく綺麗な人でした。あの人も事務所のタレントさんですか?」
「え、わたしあの子、知らないよ〜?」
糸佳の疑問にふと真奈海が答える。確かに真奈海と同じ事務所のタレントだったら、真奈海が知ってても何もおかしくはない。職業柄のせいか、真奈海は人の顔を覚えるのが得意な方だから尚更だ。
「あの子は私の知人から紹介を受けた娘さんだ」
「え、父さんの???」
唐突に龍太が口を挟んできたので、僕は少し驚いた。というのも、元々プログラマであまり人付き合いが広い方ではない父の知人というのが意外に思えたからだ。
しかも『知人から紹介を受けた娘』というこれまた曖昧な説明が何とも……。
「龍太さんが突然頼んでくるから、私も断れなくてね」
「そいつにどうしてもって頼まれたから仕方がなかったんだよ……」
「父さん。ひょっとして、その子もうちの高校に通うの?」
「ああ。先程校長と話をしてきた。成績も良さそうだし問題ないと」
龍太とうちの学校の校長は旧知の仲。それもそのはずで、校長は龍太の前妻、つまり僕の実の母の上司に当たる人だった。確か結婚式の仲人も校長に頼んでいたという話を聞いたことがある。校長は僕のこともよく知っていて、『新しい母さんはどうだ?』などと尋ねてくることもあった。
「でも……あの子だったら、十分タレントとしても通用しそうよね……」
「はいです。あの不思議そうなオーラ、実は女優さんかと思ったくらいです!」
文香と糸佳がなにやら楽しそうにそう会話をしている。どれだけ綺麗な人だったのだろう?……と思うのと同時に、『不思議そうなオーラ』という言葉に、僕は今日の帰宅途中に公園で出逢った少女のことを、ふと思い出していた。
「女優……ねぇ……」
僕がぼそっとそう小さな声でこぼすのを、真奈海には聞こえてしまったようだ。真奈海は広く広がる海を眺めるように、手元のお好み焼きへ目を落とすと、それを箸で小さくちぎり、口の中へ運んでいた。
黙々と、無表情なまま――
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