お好み焼きにご用心!
真奈海の歩く後をついていくように、僕は喫茶店『チロル』へと向かった。『チロル』のもう一つの顔、チロルハイムの共同食堂で夕食を戴くためだ。
近づけば近づくほど、ほくほくとしたお好み焼きソースの匂いがより一層強くなってくる。それはもう美味しそうなどという淡い期待のレベルはとっくに超えていて、その強烈な匂いはとても尋常とは思えないほどだ。一体真奈海のやつ、何枚お好み焼きを焼いたのだろう。食べるのは両親と僕、そして女子高生二人。およそ五枚くらいあればそこそこお腹いっぱいになれそうな気もする。けれど食堂に到着して案の定とも言うべきか、その光景に愕然としてしまった。
お好み焼きの数は全部で八枚。そのうち何枚かはまだ焼き途中のものもある。
『チロル』の厨房名物、超巨大鉄板が大活躍していた。
「真奈海。これ、一人何枚食べさせるつもりだ?」
「う〜ん……あと二枚焼くつもりだから、一人二枚ノルマ?」
目をぱちくりさせ、可愛らしい表情を浮かべながらそう答えてくる。
この顔は確実に本気だ。そう思わせるだけの眼力がある。
「いや絶対焼かなくていい。じゃなくて焼くな!!」
確かに小さめのお好み焼きであれば、ひょっとするとそれくらい食べられるかもしれない。僕だけでなく、普段少食の糸佳もそれくらいいけるかもしれない。が、ここにあるお好み焼きは正真正銘、ごく普通のお好み焼き。ひとつあたり直径二十センチほどある。決して小さくはない。
「今日は送別パーティーなんだからみんなそれくらいいけるでしょ〜?」
「お願いだから止めてください。ほんとにまぢで!」
自信満々に話す真奈海は、基本手加減というものを知らないのだ。
どこからその自信が湧いてくるのか……いや、ひょっとするとこれが国民的女優と言われる秘訣なのかもしれない。あまり真似したくもない秘訣ではあるが。
そうこうしていると、ビジネススーツから部屋着へと着替えてきた両親も『チロル』に入ってきた。僕の父龍太と、糸佳の母文香。二人とも今は芸能事務所で働いている。文香に至ってはその社長だ。
二人が入ってきた瞬間、文香の視線は一瞬で真奈海を捉えた。この非常識なお好み焼き祭りの犯人を即断定したようだ。さすがは社長。ただ残念なのは、文香が非常に冷たい視線を発していることに、真奈海は気づいていないことだろうか。
――いや、よく見ると、いつもと少しだけ異なった真奈海の笑顔がそこにある気がする。その変化は真奈海をよく観察していないと確実に見落としてしまうもの。ほんの些細な変化だ。
これは……。ひょっとすると真奈海は、普段のこの馬鹿騒ぎを確信犯的にやっているんじゃないかって、最近そう思う時がある。これまでそんなこと、考えたこともなかったのだが。
笑みを振りまき、やりすぎて怒られそうになっても、それでも気づかないふりをしている。これが日本中を魅了する女優の悪戯なワンシーンだとしたら、尚更たちが悪い。
文香は小さく溜息をついた後、ふいに僕の視線とぴったり合った。文香は僕の方へ近づいてきたかと思うと、真奈海に聞こえないくらいの小さな声で話しかけてくる。
「なんで真奈海ちゃんの暴走を止めてくれなかったのよ?」
「……え。それって僕の役目なんですか!?」
なんだかとてつもなく心外だ。ちなみに糸佳はまだ自分の部屋に籠もっている模様。ひょっとすると文香に頼まれた仕事の手伝いでもしているのかもしれない。
……となると、やはり本当に僕の役目だったのだろうか?
「まぁいいけど…………」
文香は視線を下に逸らした。どこか別のことを言いたそうだ。
「……何かありました?」
「今、真奈海ちゃんのことで事務所がいろいろ大騒ぎになっているのよ……」
「へ、へぇ〜……」
それに僕はいかにも嘘っぽい返事をして誤魔化そうと試みる。だが……。
「優一くん。真奈海ちゃんと最近何かあったでしょ?」
「…………」
――あった。
が、それを正直に答えるわけにもいかず、僕はそのまま俯くしかなかった。
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