第32話 亀

「……こいつはでかいな」


「本当ですね……」


「ワウッ!」


 水面から顔を出しただけだというのに、限が見上げる形になる。

 その出現した亀の大きさに、限たちは驚きの声をあげる。

 そして、いつ襲って来るか分からないため、武器を構えて様子を窺った。


「……攻めて来るわけではないようだな」


「そうみたいですね……」


 出てきた亀はじっと限のことを見つめているだけで、襲って来る様子がない。

 そのため、限たちはゆっくりと構えを解いて様子を窺った。

 それを見た亀は陸に上がり、限たちへと近付いてきた。


「んっ? 怪我してんのか?」


 近付いてくる亀の動きを見ていると、なんとなく様子がおかしいのが分かった。

 もしかしたら怪我をしているのではないかと思い、亀の周囲を見渡してみる。

 その間亀はおとなしく止まっている。


「右後ろ脚か? 結構抉られてんな……」


 歩き方がおかしいので足を重点に見て回ると、右足に怪我を負っているのが目に入った。

 しかもちょっという怪我ではなく、何かに食いちぎられたように肉が一部抉られていた。

 出血をしていない所を見ると、怪我を負って時間が経っているようだ。


「10日くらい前にこの森に入ろうとしてたのが発見されたって聞いたけど、それからずっとここにいたのか?」


“コクッ!”


 限の言葉を理解しているのか、亀は聞かれたことに頷きを返す。

 この森に入ってくるのを商人に見られたのが10日ほど前。

 何人かの冒険者が来ても姿を確認できなかったのだから、もしかしたらずっと湖の底でじっとしていたのかもしれない。

 そう思って問いかけたのだが、その通りだったようだ。


「ここで回復するのを待ってたのか?」


“コクッ!”


 湖の周辺には薬草も生えているため、それを食して治るのを待っていたのだろうか。

 限の質問に頷いたため、どうやら正解のようだ。


「……でも、何で上がってきたんでしょう?」


「そういやそうだな……」


 レラの疑問はもっともだ。

 湖の底でおとなしく回復を待っていたなら、そのままじっとしていれば良かったのだ。

 それなのに、姿を現した理由がよく分からなかった。


「俺に魔力に反応したのか?」


“コクッ!”


 この亀が浮き上がってきたのは、限が探知で広げた魔力に触れたすぐ後だった。

 その魔力に反応して姿を現したのかもしれないと思い問いかけると、亀はまたも頷きで返した。


「限様なら回復してくれると思ったのでしょうか?」


「何でそう思うんだ?」


「さぁ? ただ、なんとなくではないでしょうか?」


「そんな、曖昧な……」


 レラがそう思ったのは答えた通りなんとなくだ。

 しかし、根拠を述べるとしたら、自分とアルバがそうだったからだ。

 復讐を考えている割に、限はそこまで非情な人間ではないようにレラは感じている。

 研究所の地下廃棄場で死ぬ寸前だった自分をわざわざ救ってくれたし、聞いた話ではアルバも同様に救ったそいう話だ。

 怪我したものは、人であろうと魔物であろうと関係なく救ってしまうという優しさが限の中にあるのではないか。

 それをこの亀も感じ取ったのだろうと、レラの中では考えている。

 ただ、それも根拠のない直感に過ぎない。


「まぁ、いいか……」


「やっぱり治してあげるのですね?」


 昔の限のことは知らないが、レラはその優しさが限の良いところだと思っている。

 きっと元々優しい人間なのだろうと、勝手に解釈していた。

 案の定、亀を助けることにした限に、レラは嬉しそうに微笑んだのだった。


「敵じゃなければ、どんな生物も気にしない」


 限の中のスタンスは、レラの考えていることに近い。

 敵じゃなければ気分次第で助けるし、敵だと分かれば容赦なく息の根を奪うのが手っ取り早いと、地下廃棄場に落とされてからは思うようになっていたのだ。


「それに、ここの景色を堪能して気分がいい。ここに来るきっかけをくれたこいつへの礼だ」


 ここの長閑な景色を眺めながらの食事をし、とてもいい気分にさせてもらった。

 この亀を見つけに来なければ、こんな景色にお目にかかることはなかっただろう。

 そのことを考えると、この程度の怪我を治すくらい造作もないことだ。

 亀の怪我をしている部位を治すべく、限は魔力を練り始めた。


「……よし! これでもう大丈夫だろ……」


 限が回復魔法をかけてあげると、亀の抉れていた部分が少しずつ再生されていった。

 そして、完治した足をポンポンと叩き、治療の終了を告げた。


「……ベロ!!」


「おわっ!!」


 足の痛みや違和感がなくなったからだろうか、治してくれた限に対しての礼なのか、亀は舌を出して限のことを舐めた。

 一舐めで全身ビチャッと濡れてしまった限は、感謝とはいえ何をしてくれんだと、抗議の目で亀を見ることになった。


「この子人懐っこいですね?」


「まぁ、俺が人間と呼べるか分からないがな……」


 治してくれた限のことを気に入ったらしく、亀は頭を擦りつけてきた。

 姿を現しても攻撃をしてくるわけでもないし、図体に似合わずおとなしい。

 そのことから、レラは人懐っこい魔物なのかと思うようになっていた。

 レラの言葉に、限は小さく自虐的な言葉を発する。

 度重なる薬物や人体実験の結果、醜い化け物の姿になった自分が人間と呼べるのか自分自身疑問でもあった。

 魔物が人に懐くことはあまりないため、この亀が懐いたのも魔物の一種だと思って近付いてきたのではないかと感じたのだ。


「そうでした! 限様は人ではありませんでした!」


“ピクッ!”


 人ではないという自虐的な発言をしたが、限の中ではレラに否定してもらいたい気持ちが少しあった。

 しかし、その期待を裏切るかのように完全肯定されたことで、ショックを受けた限は僅かに反応して落ち込みそうになった。


「限様は神様でした! この亀さんも限様の偉大さに気が付いたのでしょう!」


「いや、神はないって……」


 レラが肯定した理由が斜め上をいっていた。

 そう言えば、初めて会って体を治してあげた時から、レラは限をずっと神扱いしている。

 そういう重い女だということを、限は今更思い出していた。


「さて……、そろそろ町へ戻るか?」


「ワウッ!」


「そうですね。今回は不発だったようですし……」


 ここに来たのも、研究所の人間によって作り出されたかもしれない魔物と、それを作ったであろう研究員を殺しに来ただけだ。

 亀の魔物は、普通の亀同様長生きするものだ。

 ここまで大きくなったということは、この亀は相当な年月を生きてきたのだろう。

 大きさに関して言えばとんでもないが、人に危害を加えたわけでもないようなので、このままギルドに戻って報告するだけだ。


「…………」


「……何だ? まだ何か用か?」


 帰ろうとしていたら、亀が限の服の裾を噛んできた。

 噛んだままそのままじっと限のことを見つめている亀に、まだ何かあるのかと思い尋ねた。

 しかし、言葉を話せるわけでもないため、亀はそのまま動かずに限を見つめている。


「……もしかして、この子限様に付いて来たいのでは?」


「えっ? そうなのか?」


“コクッ!”


 限を見つめる亀の目がどことなく悲しそうに思え、レラは感じたままに発言する。

 その発言が正しいのか、限は亀に問いかける。

 それが正解だったらしく、裾を離した亀は頷く。


「……でかいから無理だ!」


「っ!!」


 懐かれたのは悪い気はしないが、さすがに連れて行くのは無理だ。

 バッサリ斬り捨てるような発言に、亀はショックを受けたように目を見開く。


「小さければ連れて行っても良かったが、そんだけでかいと連れて歩けない!」


「っ!!」


“ボンッ!!”


 連れて行かないのではなく、でかいから連れて行けないのだということに気付いた亀は、何かを思いついたように表情を輝かせた。

 そして全身に魔力を纏って何か魔法を発動させたかと思うと、音と共に煙のようなものに覆われた。

 煙がすぐに消えていくと、両手に収まるほどの亀が限を見上げていた。


「おぉ! すごいな! 魔力操作の上手い魔物は体の大きさを変化できると聞いたことがあるが、お前も使えたのか?」


「すごい!!」「ワウッ!」


 魔物のことが書かれた本か辞書で、限はこの現象のことが書かれた文を読んだことがあった。

 そのため、こうなったことに驚きはしないが、使える魔物に会うことはなかなか無いという話だ。

 まさか、この亀が使えるとは思わず、限は面白そうに小さくなった亀を持ち上げた。

 レラとアルバはこの魔法のことを知らなかったのか、純粋に驚いていた。


「……キュ!」


「この大きさなら大丈夫だろって言いたいのか? まぁ、この大きさなら大丈夫だろ……」


「可愛い泣き声ですね!」


 でかいから無理と言ったから、亀は体を小さくしたのだろう。

 つまり、これで自分も連れて行ってほしいと主張しているのだ。

 持てる程度の大きさならたしかに問題ない。

 そのため、限は亀の希望通り連れて行くことにした。

 会話とは関係ないが、口から漏らした空気が鳴き声のように聞こえ、レラは何だか可愛らしく感じたようだ。


「じゃあ、帰るか?」


「はい!」


「ワンッ!」「キュッ!」


 亀も連れて行くことになったが、今度こそレオたちは町へ帰ることにしたのだった。


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