第十八話『幾星霜、流る涯』(後編・その3)


「本を焼く者は、やがて人を焼くようになる。詩人ハイネの言葉ね。この学校の創立者や歴代の学長たちも、それは理解なさっているのね。いたずらに焚書……とまではいかなくても、禁止としないのは、教育者としてはまずまずの考え方だわ」


 芝居がかった口調で、やや大げさにそう宣言するちさちゃんを前に、私は唯々、呆けるように感心します。

 驚いたことに、いともアッサリとこの秘密をちさちゃんも気付いていました。

 禁止は禁止で、閲覧の自由までは奪わないかわりに、借り出す者とその理由、所在をハッキリさせる……そういったことのために「探偵のいなくなった探偵舎」は再利用されていたのでしょう。勿論、今の時代それすらも既に形骸化したものですが。


 そして、最初は頼りなく思ったちさちゃんも、自分が思う以上に立派な「探偵」になっていたのを私は感じました。

 機転、発想、注意力、知識、推察力。どれをとっても、この子は私より遥かに探偵としての器を持っています。才能もなく、何も成し遂げられなかった私と違い、この子なら或いは、お婆様の後継者としてこの部に相応しい存在となれるでしょう。

 ならば、もう思い残すこともありません。私の探偵活動は、中二の夏に終わったも同じなのだから。


 高校にあがれば、もう私は探偵舎に殆ど顔を出すこともないでしょう──そう、ちさちゃんに告げました。それは、事実上の引退宣言であり、ここの全てをちさちゃんに一任する、ということでした。


 意外なことに、その一言に対しても、ちさちゃんの表情は何もかわりません。寂しそうな顔を見せるでもなく、空元気でもなく、毅然とした、やや生意気そうな顔で、私をまっすぐに見つめます。


「ええ、私はもっと多くの優秀な仲間を招き入れて、ここを探偵舎として申し分のないほどの活動拠点にしてみせますわ。だから、お姉様は安心して、ご意見番か何かのつもりでここにいらして」


 ちさちゃんは胸を張ってそう口にし、私は苦笑を隠せませんでした。

 確かに、中等部も高等部も同じ敷地にあるのだから、それで寂しく思うこともないでしょう。麻衣さんのように、不意にいなくなることも、私にはないはずだから。


「さて、どんな仲間が必要かしら……変装の名人とか、メカの天才とか、そんな子がいれば最高よね。ああっ! それより先に人数揃えね。部活として認められるだけの数が必要だわ。さしあたって花子でも誘おうかしら、あの子、語学だけは堪能だもの。国際的大犯罪にだって対応できるわ! それと……」


 そんなちさちゃんを観て、うっかり吹き出しそうになる。

 そうそう特殊な才能の持ち主と、うまい具合にめぐり合う機会なんて滅多にないでしょうし、何事につけ都合よく運ぶわけもないでしょう。

 現実は厳しく、残虐だから。

 だからせめて、ちさちゃんがガッカリしない程度に顔を出して、高等部に進んでもこの子を見守ろう、私はそう決意しました。何も、私が麻衣さんの行動をそのままマネすることもないのだから。

 そう……この子が危険なことに巻き込まれるような可能性は、殆どないのだから。

 だからこそ、そんな風に安心して「見守ろう」と思えたし、では……


 麻衣さんは、どうだったのでしょう?

「危なっかしくて見ちゃいられない」と思ったのでしょうか?

 今となっては、その真意はわかりません。


「それと──昨年、いえ、一昨年からかしら? あの殺人鬼の事件。アレって、もしやお姉様は、何か関わってらしたの?」


 不意に、ちさちゃんにそう告げられて私は狼狽する。


「な、なんで急にそんな話を……!?」

「私がここに来てから、お姉様は一度もあの事件の話をおっしゃらなかったわ。探偵きどりの素人が日本中で推理していたような、地元の大事件ですもの。そんな事件の話をしないのは不自然すぎます」

「探偵きどりの素人なら、私たちだってそうでしょう?」

「私たちは立派に探偵です!」


 キリッとした顔でそう断言されると、困って良いのか、どうして良いのか。


「それに先日、『模倣犯』の事件がありましたわね。そちらの方はすぐ犯人も特定され、動機も手口も全て開陳される事件でしたけど……」

「ああ、ね。とりたてて興味もないわ」


 模倣犯が出現したことには、少し戸惑いました。終わった事件であろうとも、何しろあれだけの大事件です。何らかの傷跡は人々の心に深く遺していて、それは被害者の遺族や知人、捜査員の心に刻まれた「無念」さだけでなく、ある意味……「」すらもされていた、途方もない怪物のしでかしたことです。

 、最低最悪な犯行を真似る者もまた、出現したのでしょう。……まるで負の遺産、のような物です。

 ……正直、あれだけの「怪物」の所行など凡人に真似できるわけもありません。それに、殺人鬼死亡の場に私には、今更あの事件の再来とも思えませんでした。

 案の定、その模倣犯は「取るに足らない事件」として、即時の終焉を迎えました。


「そのお姉様の『興味の』にもですの。不自然に思いますわ」

「……ちさちゃんなら、わかるわよね? あれは探偵の出る幕もない事件よ。が違うわ」


 まるで麻衣さんのようなことを口にして、軽く自嘲する。下手な誤魔化し方だと、自分でも思います。

 その「きずあと」は、多くの人の中に残り、様々なかおを見せ、例えばその「謎」にしても。今尚、数々の資料や痕跡から、多くの「推理」がネット上で行われているのも事実です。

 この犯行に美意識を感じないちさちゃんでも、それら提示された「謎」に関心を持つのは当然のことかもしれません。だからこそ、余計に私の態度に違和感も抱いたのでしょう。


「仮に、残虐な事件の話題だから中一の子の前で出したくないって判断でしたら、そもそもここでお姉様に最初にうかがった『首切り密室事件』だって、充分すぎるほどの猟奇事件じゃないかしら?」

「……それはちょっと、失敗したわね」


 観念し、ため息をつく。

 確かに。論理性も直観力も知識も、この子にはあるみたいだから。隠し通すのはきっと不可能だったのでしょう。


「関わってない、といえばウソになるわ。私は、あの事件を追っていたもの。でも……」


 私には、何もできなかった。

 何も、知ることはできなかった。


 最終的に、判っている範囲だけで、トータル三〇人以上を殺害した「殺人鬼」は、警官隊に囲まれ、隠し持っていた爆発物によって「爆死」し、已然、正体は知れないまま。

 拾い集めた肉片からも、歯型ですら照合できず、身体的に入院特徴もなし。「この世にいてはいけない存在」として、謎のまま、身元不明なままに終わりました。

 本当のところ、誰が・どれだけ・どのように・殺されたのか? すらもハッキリしない、日本の犯罪史上類を見ない怪事件として、終焉してしまったのだから。

 ……その背後で動いていた、未成年者の「」にしても。




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