第十四話『イン/アウト』(後編・その4)



「もしかすると……」


 巴ちゃんが口を開く。


「たぶん、その飛田さんはもう死んでます」


 その言葉に、私たちは無言で固まりました。


「だから、ここで娘さんが自殺してしまうと、きっと何のヒントも得られないまま、二度と皆さんの手元にお金が戻らない可能性もあると思うんです。彼女はきっと着のみ着のままで、何も持ってませんよ」

「ちょ、ちょっと待て、何でそんな……?」

「皆さん、やっぱりカタギとはいえないお仕事でしょう。まともな神経の持ち主なら、いくら大金をちょろまかすチャンスがあったとしても、あなたたちの所からくすねようとは思いません」


 それは、確かにそうでしょうけど。


「命がけの決行をするとしたら、その踏ん切りは何だろうかと考えると、が一番納得できます」

「何だよ?」

「余命の宣言」

「……そうか、か」


 えっ? と、虚を突かれたような思いが。

 瞬間的に、アウトローの男もそこに思い至ったようです。……確かに、この人は私よりも頭の回る人かもしれません。また少し、恥ずかしい思いもします。

 ……緊急入院する程のことでもなく、身体の調子が悪い程度なら、休診日の土日ではなく月曜日に病院に行ったのでしょう。そして結果を目にし、翌日にでも決行を思いつく――。

 通常なら、健康診断等の検査結果は翌週。通常でないなら――?

 深刻なものであれ、ただちに入院が必要でない病気でも発見されたなら、いたずら に患者の不安をかきたてないよう、そんな風に早めに報せた可能性もあるけれど。即日、あるいは翌日朝にでも結果を知らされて、悩んだ上での犯行でしょうか。

 いずれにせよ、確かにありえる話かもしれない――。


「……考え方としては、だと思うけど。でも、確証がないわ」

「それを探さないと、きっと答えは出ないんでしょうね」


 巴ちゃんはため息を吐く。


「今私がいったのは、あくまで『可能性』としての提示です。他にも考えられるパターンは幾らでもあります。でも、彼女がこの後に及んであんな行動に出るとしたなら、その可能性が最も高いと考えてみたんです」

「ど、どうして?」

「答は、とうに出てるじゃないですか。さっきこの人もいいました。彼女は何故あそこに、一体どこから入ったか? って点です」

「どこからって……」


 出入り口はどこにもない。

 事務所から鍵を盗み出すなんて、さすがに無理。

 他に侵入できる抜け道もない──。


「ないわね」

「ないです。なら、が正解です」

「……わからないけど、あそこに『いる』からには、どこかから『入った』んでしょ?」

「それは『』だと思いますか?」


 いつって?


「さあ……」

「少なくとも、この二週間以内にあそこに入る方法はありません。つまり……」


 静かな口調で、巴ちゃんは、それを口にする。


「父親の死体と、そう何日も一緒にすごすことはできませんよ。あんな、出入り口が一つもない環境の中で」


 アウトローの男たちも、私も、絶句した。


「あの人、入ったんじゃなくて、『』んだと思います」


 ケータイを片手にしたまま目を丸くする私の前で、巴ちゃんはそう言い放ちました。


「逃走経路が組織力で押さえられている状態でどこかに逃げるのは困難と判断し、最初から自宅に『留まっていた』。取り壊しの決まったビルだから、空き部屋は幾らでもあったはずです。セキュリティだってそう高くはない、古いビルです。すでに住民のいなくなった部屋のシリンダー鍵なんて、簡単にあけて忍び込めます」

「そいつァ……、」


 確かに、に逃げているとは、普通考えないでしょうけど……。


「……飛田は、空き巣で捕まった前科がある」

「機会を待つため、ずっと身を潜めてたんでしょうね。電気もガスも水道も止まった廃ビルの中で。水や食料ならある程度、畳をめくった床下にでも隠せますよ。余所の空き部屋までひっくり返した訳でもないんでしょう? 半日タイムラグがあるから、コンビニとか幾らでも仕入れ先はあります。だから彼女はきっと──」


 父親の死体とあの建物の中に長時間一緒にすごしてた……?

 さすがに、顔をしかめます。


「そんなバカな話、ありえるのか?」

「じゃあ、他にどうやって『あのビルの中に入り込める』んです? 抜け道が『ない』ことは、あの不動産の持ち主であるあなた達が一番、ご存知のはずです。最低でも二週間以上前から、彼女はあの中にいます。となると、それを合理的に説明できるのは……」

「いや、もういい。わかった」


 顔をしかめながら、男は手を振った。


「余命いくばくもない、治療して治る見込みもない、貯金だってない、そんな男に魔が差すのは、わからねーでもない。そしてそんな男が大金をどうしたかっつうなら、まァ、予想はつく」

「……でも、でしょうね」


 娘のために──?


「飛田さんと娘さんの間にどういったやりとりがあったのか、どんな親子関係だったのかまではわかりません。でも、これから死ぬかも知れない時に、お金をわざわざ残そうとするなら他には考えられません。では、彼女はそれを『はい、そうですか』と受け取れたのか、反発したのか。どちらにせよ、余命いくばくもない父親の最後の行動で、身に危険が迫っている事は理解していたと思います」


 つまり――大金と父親を前にして、彼女には選択の余地がない。


「自宅の周囲はきっと張られている、だから身動きがとれない……そう考えてこの父娘が潜伏していたなら、それは『強迫観念』に近いですよ。でも、大金を盗んだことで心に引け目がある。おびえ、おそれ、ずっとここで息をひそめていた。そんな状態じゃ、余計に寿命を縮めるだけですよ」


 それは、かなりゾっとする状況に思えます。


「ヤな話だなあ、おい」

「飛田さんがいつ頃死んだかによっては、イヤ度もかわりますよ。今は冬だからまだ良いですけど……」


 こつに、男も顔をしかめた。


「つまり、娘に正気がありゃ、まだ金の大部分は取り戻せるって話だな」

「あなたはお金の心配だけなんですか?」


 思わず、声を張り上げました。


「当たり前だろう」

「香織さん、ソレ、この方にとっては当たり前だと思います」

「…………」


 ……さすがに、言葉を飲む。……確かにそうでしょうけど。


「たぶん、四千九百と何十万かは残っているんじゃないか、って思いますよ。手つかずで。あとの分は、飛田さんの家財を売り払った分でチャラになりませんか?」


 私よりもはるかに、巴ちゃんは現実を見ているようです。

 男は肩をすくめ、返事はしませんでした。




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