第十三話『殺戮天使』(後編・その7)
深夜になっても、知弥子の言葉が、ずっと俺の頭の中にこびりついていた。
寝付けない。
俺は結局、片棒を担ぐ者として事件を飲み込んでしまったんだ。主犯? 共犯? いや、そんなのはもう、どっちだって良い。それが、俺の結論だ。
――まあ、仕方ない。仕方ないっていうか、他にどんな選択が俺にあるって?
何も。悪手も最善手もありゃしない、ただの一本道だ。迷う必要だってないが、選ぶ権利だって最初っから無かったんだ。だから……そう、仕方ない。
突如、充電器に刺していたケータイに着信音が響いた。
誰だ、こんな時間に……?
「はい、もしも……」
『ひさしぶり。どう? 怪我は治った?』
女の声……誰だ? 心当たりはない。
いや──
一瞬で思い出した。あの子の声だ。
「な……!?」
何故、この番号を!?
どうやって!?
……ありえない。
『おっと黙って。返事は“うん”“いいや”だけでね。君は何も悪くない。相手が悪い。まさか気付くヤツがいるなんて、私だって思いもよらなかったもの』
昼間の件も、もう知っているのか?
『でも、心配しないでOK。さっきのおねーさんたちが君に話しかけてた間に仕掛けた盗聴器の解除、明日にでも業者に頼むと良いよ。バカな独り言をいわなくて良かったね』
「え……?」
盗聴器と聞いて血の気が引いた。知弥子は、最初からそれを仕掛ける目的で自分に話しかけていたのか。
確かに、法もルールもお構いなしに他人のプライバシーを覗く行動だ。
『あのおねーさん、なかなかやるね。君が自白しない事は最初から折り込み済みだったみたい。揺さぶりをかけて、何か君がアクションを起こすのを、待っているんだろうね。盗聴器の集音可能な範囲と音量は決まってるから、場所を移動しよっか?』
「う……うん」
なるほど。何もかも合点が行った。
昼間のあの子の行動も、話の内容も。
あれは「布石」でしかなかったんだ。詰問でも尋問でもない。危うくハメられる所だった。俺ひとり、「闘ってるつもり」だったのかと思うと、変な笑いが出て来そうだ。
『ミシェールの探偵舎かぁ。まあ、遅かれ早かれあの子も気付くと思ったけど……』
「え?」
『返事は“うん”“いいや”で。ああ、台所の方ならたぶん大丈夫。降りて』
いわれるままに一階の台所まで足を運ぶ。暖房の効いた部屋から出て、スリッパも履かず裸足のまま降りたので、足先がかじかむほど寒い。
『君は料理とか作る?』
「いや……」
『ああもう喋って大丈夫。小声でね、おうちのひとが起きちゃうよ。えーっとコンデンスミルクある?』
「……冷蔵庫にあるけど。あ、あのさぁ!?」
『ザラメは? 水飴があるの? そりゃ良いや。鍋にすこーし水を張って、ちょっと火ィかけてみて?』
あの子の指示に、わけもわからず従いながら、恐る恐る聞いてみた。
──アレは、君がやったのか?
『さぁ? 私も知らないよ。だってアイツらって自殺でしょ? それで全て丸く収まるんだから、それで良いじゃない』
「いいのかよ」
『いいの』
彼女の口調は明るい。
『あのおねーさんのいうこともある意味正しいね。でも、正しさは人の数だけあるんだから。第一あの人の正義感は歪んでる。私は正義で動いてるんじゃないけどね』
「……な、何だよ。何なんだよ、君たちって……!?」
『私は私、あの人はあの人。あの人はあの人なりの正義を遂行しようとしている。私のルールは単純。声なき声を聞き、果たせぬ思いを遂げる者。君があの時そうしたように。いわば天命かな』
天?
『あぁ、
「俺には、……わからないよ。あの時、自分の判断したことが……」
本当に、それは正しかったのか?
本当に、それで良かったのか?
どれだけ決心しても、それはゆらぐ。
怒りも、想いも、憎悪も、悲しみも、頭に昇った何もかもは、やっぱりそうそう維持、持続なんて出来っこない。……ヘタレか。ああ、そうだとも。
間違いないよ。俺は、
『だから正しさなんてないの。そうね、例えば……うん、私って、君への“傷害”の犯人じゃない?』
「……え? あ、あぁ、そうか。確かスタンガンで……」
そうだ。殺したかどうかは兎も角、それだけは、まあハッキリしている。
いくら俺が後ろを向いていたところで、彼女の犯行を直接目撃できていなくても、ほかに後ろに立ってた奴はだれもいないし、急に他の犯人が生えてくるわけもない。
有耶無耶にはしようがない、これだけは唯一、俺にだって明確にわかる、この子の確かな『犯罪行為』だ。
『で、君は被害届を出して、私を告訴する?』
「無理無理。しないしない。できない。する気もない。それに――」
俺を襲ったのは、先輩ども三人の誰か――に、なっているはず。誰になっているかは知らないし、俺はそれに対して、そもそも被害届は出していない。
つまり、どっちにしたってこの一件は有耶無耶に、闇に消えたってワケだ。
『そう。今この瞬間、私の君への『罪』は『許された』の。『無かった事』になったの。あのおねーさんがいってたのって、許すも許さないも、所詮はそんな程度の話よね。それってどう思う?』
「……俺には、その。え~っと……ダメだ、よくわからない」
『それより、君けっこう頑張ったじゃない。あの人に屈しないで、自分の意思を貫き通せた。はい、そこ沸騰したらコンデンスミルク入れてね、どばーっと』
甘い香りとともに、気温の低さも手伝って、茶色い粘液がまな板の上で固まってゆく。
……これは何だ。見覚えのある物体だ。
『包丁で切って、そうそう、食べ易い大きさにね。一つ味見してみて?』
いわれるままに、その、出来上がった「
甘い。
『角砂糖をご褒美で与えるような感覚だね』
「いやこれ、俺の自作だし自前だし」
噛みながら、奥歯に何かの違和感を感じた。銀歯のキャップがポロリと取れた。
『明日にでも、歯医者さんに行くと良いよ。ホラ、そこ──』
針の頭ほどの、黒い小さな四角い粒が歯の中から出て来た。
「……なにこれ」
よくはわからない。こんな物が、いつのまに……?
『つまようじにくっつけて。接着剤がわりならキャラメルで充分。で、そのままコンロの火に』
パチリと音を立てて金属臭とプラ臭を立ち上らせ、小さなカタマリは焦げ消えた。
『君は大丈夫、裏切らない。その確信を得たから、開放してあげる』
冷や汗だけが流れる。
……もしかして、
何もかも、俺の言動はこの子に筒抜けだったのか?
いつも二手三手先を進んでいる──知弥子はそういっていた。確かに、そうだ。
クラっと、血の気も引いた。
――きっと、俺は逃れられない。
「ち……誓って誰にも、一生、……この事は、誰にもいわないよ。俺は――あぁ。全てを飲み込み、このまま、そう……貝のように口を閉ざすさ……」
それで、闇に沈もうとも……俺はすでに、有罪なんだ。共犯だ。
少女は電話口で笑う。軽やかな口調だ。
『じゃ、またね』
その一言を遺して、電話が切れる。
静寂の闇の中に俺は、全身の力がぐにゃぐにゃに抜けたまま――。一人、台所の中、静かにうなだれていた。
fin
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