第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その26)


 何もしてないわけはない。現時点でも、十分に補導にあたる罪は犯してる。

 でも。

 私にまだわからない、判断できない一点。彼女は、家族を殺して一緒に炎の中で死ぬつもりだったのかどうか。

 その真意は。本心は。


「探偵の子が来るって聞いて、心躍ったわ。きっと暴いてくれるって。この村の呪いも、この家で怯えながら隠し通して来たくだらない数々を、きっと白日の下に晒してくれるって。ばらばらに解体してくれるって。死屍累々の、燃えさかったあの焼け跡の中から。ただの不審火では終わらせないように。、こんなに用意したのによ? なのに、何も起こす前に暴くなんて、あんまりじゃない? これじゃ、私にできることは一つしか残ってないわ。終わらせる為には──」


 私は、慌てて綺羅さんに駆け寄る。

 ザッザッザッ、パキリと枝を踏む。

 足元が、おぼつかない。


「私、探偵になんてなる気はありません。推理小説は好きだし、よく読むけど……名探偵なんていつも後手後手で、誰かが死んだ後にしか、何かが起きた後にしか動くことってないじゃないですか」

「いえ、それは当たり前」


 でも。


「どこかで誰かが殺されている。いつでも、毎日、ニュースで、新聞で、そんな『事件』をいっぱい目にするけど……『可哀想に』とか『酷い話もあったものだ』とか、そんな感想を口にするくらいで、どうにもできない。起きてしまった事件は元には戻せない、死んでしまった人を生き返らせることなんて、できないから。だから……」


 足がもつれ、私は地面に倒れた。


「巴ちゃん!」

「巴ちゃん!」

「巴さん!」


 後ろから黙って見守っていた双子姉妹の、慌てたような声がステレオで響く。それと被さるように、綺羅さんも私に――今まさに「自分を問い詰めている」相手に対して、心配そうな声をかけた。


「……大丈夫です」


 急に駆け出したせいだ。自分のドン臭さにイヤになる。

 目の前には綺羅さんがいる。私を見てる。


「何かが起きる前に、何かを起こす前に、私は、止めたい。今ならまだ、軽微な補導、書類送検くらいで済むかも知れません」

「殺人未遂は? 準備罪は? 栽培していたダチュラはどう? ジアゼパムのガスは?」


 あったのかよ、そんな物!


「もみ消します」

「……ははっ、探偵のいう言葉じゃないわね」


 スカートの砂を払い、ゆっくり立ち上がる。

 ――私は、探偵失格でも構わない。

 になるつもりは無い。


「自己満足に過ぎないかも知れないけど……私は……助けたいんです」

「誰を? あいつらを? それとも、私を?」

「すべて」


 一歩、足を踏み出す。


「私は……私は、止められなかった」


 ザシッ、ザシッと、どこかで土が鳴る。


「私には、友達がいて……友達と呼べるほど仲の良い子じゃなかったけど、話しかける機会も殆どなくて……あの子は……可愛くて、頭も良くて、いつも寂しそうにしていた子で……そして……」


 ザシッ、ザシッ。革のシューズが枯れ草を踏み鳴らす。


「あの子は……」


 だった。


 不思議そうな表情で綺羅さんは私をみつめていた。

 整った、綺麗な顔。あの子を思い出す。


「私は、怖くて、口をつぐんで、逃げ出した。目を閉じて、耳をふさいで、知らないフリをして──暴くことも対決することも私にはできない、ただ怯えて、目をそらして、無かったことにして──逃げ続けて来た。でも、もう……」


 綺羅さんの前に立った。


「逃げない。あなたを人殺しにはしない」

「……私がこの場であなたを殺したなら、どうするつもり?」


 懐に手を入れたまま綺羅さんは微笑む。

 自刃するつもりかも知れない。

 殺されるかも知れない。


「その時は、私はあなたが人殺しになった『後』の姿を見ないで済みます。少なくとも、私が生きている間は。私が死んだ後にこの世がどうなろうとあなたがどうなろうと、もう私は知りようがないですし。幽霊になれるなら話は別ですが、残念ながら私は霊魂も死後の世界も輪廻も神様も悪魔も呪いも信じていません」

「無茶苦茶な理屈ね。それって、ただ捨て鉢になってるだけじゃない?」

「だから、おあいこです。自殺もさせない」

「……止められると思うの?」

「止めます」


 ザッザッザッ、土を踏む音が近づいた。


「マシな説得もできないの? 何よ今の。命を捨てる気?」


 ぱしり。頬を叩かれた。


 部長が立っていた。怒ったような顔をして、いや、それはいつもの顔だけど。


「あなたもよ。さあ、隠してる物をお出しなさい」


 あっけにとられた綺羅さんの頬を──こっちは、叩くんじゃなくてムニュっとつねった。四つは年上の女性に対して、よくこんな態度がとれるものだと感心する。


「……部長さん、あなたの行動も、相当無茶なんじゃなくて?」

「何かしそうになったらすぐにスタンガンで反撃するわ」


 そういって、部長は片手にスっと四角い物を取り出す。って、それスマホじゃ?


「あなたが私より年上であろうと、こう見えても私、年上の方とやりあうのは慣れてましてよ!? ……あぁカレン、そっちはどう? えぇ……わかったわ。何もいわないでいいわ」


 ポケットに収めながら、部長は綺羅さんを見つめる。


「発火装置を見つけたわ、遠隔操作なのね。トリックとしては最ッッッッッッッッ低の、下の下の下の下ね! インターフォンの件からそうじゃないかって思ったわ、あなた理系がお得意ね? 盗聴器の探査をするといって、部員にお邪魔させて頂いたの。誰もまだそのことを知らないわ。ここに居る者以外には」

「部長も、おわかりでしたか」


 直接手を下せなくても、もう一手を用意していた……。綺羅さんの見せている余裕は、それか――。まあ、いくら何でもをメインにはしないと思う。あくまでだろう。


「そうじゃないわ、巴さんが急に抜け出したので気になって、カレンを八幡さん家に向かわせただけ。夜分といっても深夜でもなし、裕二さんに車を出してもらえば10分とかからないもの。ま、過去に何があったかはともかく、これから何を起こすつもりかの予想はついていたわ。怪しい人物一人に絞ればね」


 コロンボ型は趣味じゃないわ、と大袈裟に部長は手を広げた。いや、だから到叙と違いますし、これ。


「さあ、『』ね。感謝しなさい、この子が止めなければ、あなたは稀代の未成年犯罪者になっていたわ。重箱みたいな分厚い本の上下巻組みの小説になる所を、数行の新聞記事で終わる――いえ、記事にすらならないわね。ただの未成年のイタズラで済むの」

「……屈辱的ね。嗚呼、真っ赤に燃えるあの家が観たかったのに」


 ニッコリそう微笑んで、綺羅さんは胸元の手に握った何かを引き抜こうとした。


 ガスッ、鈍い音が響いた。


 倒れた綺羅さんの背後に、黒い革ツナギの人物が立っていた。


「うむ。危険打の当て身だが、自殺させるよりは良い」

「……あ」


 あの……な、なんで?


「先輩をさしおいて、こっそり温泉に行くか、お前ら」


 ……知弥子先輩だった。


「あ、あの、不審人物って……」


 いや、確かに不審人物ですけど。


「やっと新車買ったので自慢しに来た。やや道に迷ったが」


 しかも前日からって、日付まで間違えて来ていたんだ……。


「……、って、いっても良いですか」

「先輩を捕まえて『ナニ』扱いか」


 呆れて良いやら、笑って良いやら。

 全身の力が抜けて、気絶した綺羅さんの隣に私も崩れこんだ。

 おかしくて、涙もこぼれる。


 ……そう、おかしくて。哀しいわけじゃない、たぶん。


 何て酷い幕切れなんだろう。予想すらしていなかった。そして――私は、こうして幾人もの先輩たちに助けられたんだ。


 ……これからの綺羅さんには、きっと多くの辛いことが待ち受けるだろう。

 彼女がどんな道を選ぶか、それは、私にはわからない。

 私が、彼女にかかった「呪い」を、本当に解けたかどうかも、わからない。私にはまだ、それを行うには、あまりにも力が足りない。

 でも今は……信じるしかない。


 闇夜の紅葉の中、薄笑いのまま、私はへたり込む。

 それでも、まだ、彼女には──やり直せる道だってあるのだから。




             To Be Continued




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