第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その14)


「……つまり、綺羅さんが産まれるまであなたはその話を知らなかったのでしょうか」

「……知らんというのは、恐ろしいのぅ。……知らんかったら、それで良かったかっちゅうたら、そうでもなかろうにな。……ワシゃ……何をどうやっても因業からは逃れられん。の因果だけにな、きっと……いや、違うな、ウン」


 楓さんはですよ、なんて言えない。


 踏み込んではならないこともある。

 暴くだけでは駄目な話もある。

 飲み込まなきゃならない真実もある。


 私は――やっぱり、探偵には向かないのかもしれない。その条件に足りない。


 悲観に暮れ、ぽろぽろと涙を流したまましゃがみ込む力輝さんの前で、私は自分のしていることに、やろうとしていることに疑問ももつ。それを肯定できるのか――。

 いや、


「あの。力輝さん、一つだけ……私は、望むと望まざるとに関わらず、おっしゃる通り『探偵』の役を仰せつかった者です。ですが、私は探偵として、まだ、誰からも正式にこの事件の『依頼』を受けていません」

「……依頼?」

「えぇ。今回の、粂さんの事件……これを、解決をお望みでしょうか?」

「……わしゃ、正直……奥方様がどーなろうが、何をしょってかも、知ったこっちゃないわ。……あの人も、可哀想な人なんじゃろうがの。娘にも先立たれて……伸夫のようなクソガキを育てさせられて……」

「その事情も、ご理解なさっているんですね」

「それすら、伸夫に聞いたわい。あいつがあることないこと出任せをいいふらしてる大嘘吐きなら、それで何の問題もなーわ。阿呆なワシが騙されとっただけじゃ」


 力輝さんは、自嘲気味に嗤う。


「力輝さんにとって、口にするのもはばかられるようなことが、伸夫さんにとっては『当たり前』だったのかも知れません。私は――残念ながら、伸夫さんは、綺羅さんと違って、平然と嘘を吐けるようなタイプには思えませんでした。『隠す』『口をつぐむ』のが得意なタイプでしょうけど。ほんの短い時間お話を伺ったただけで、どれだけあの人を理解できたかは、私には自信も確証もありませんけど」

「騙されちゃイケンよ、嬢ちゃん。あいつは人間のクズじゃ。畜生以下じゃ」


 ……ええっと。好感の持てるような人ではなかったと思うけど、少なくとも私に対しては誠実な対応をしてくれたと思う。それに、身勝手な所はあるけれど、そう悪い人だとも……。


「それが罪とも悪とも思ぉとらんヤツには、まァきっと……何でもないんじゃろう。たとえそれが人殺しでもな。ナチスの奴らなんかもそうじゃったろ」

「それは……極論だとは思います」


 思いますけども、……でも、きっとそれも正解だとも思う。


「……あんた、安芸の方じゃろ。浄土真宗の」

「あ、はい。昔から備前法華に安芸浄土と呼ばれてますし。うちも、安芸門徒だと思います」


 お陰で「盆灯籠」などの独自文化もある土地で、浄土宗にはない「豆まき」や「門松」も、近代まで殆どなかったとも聞いている。


の方は、すら命を粗末にせん、子堕ろしもせんっちゅうのを聞いての。えらいもんじゃ思うたわ。ワシの見て回った中じゃ、こっちのんは間引きは当たり前ちゅう感じじゃからの」

「近代は……そうでもありません。印刷や放送の発展と共に、文化は均一化して行くものですし」

「……八幡の家もな、代々、それに近いところはあるんよ。ある意味じゃ立派じゃ。代々、間引きや子堕ろしはせん家じゃ。じゃから……ワシも産み落とされた。産まれなんだ方がずーっと良かったんじゃ」

「いえ、そんなことは……」

「気休めはえぇ。嬢ちゃんには、わからん話じゃし、それに、優しい子じゃっちゅうのはわかるが、それはワシには何の慰めにもならん。アンタぁ何も悪かぁないが、それ以上はいわんでくれ」

「……はい。あの、ですが、」

「何じゃ」

「……私は、それが『出来る』とも思っていませんし、思うだけおこがましいと思いますが、それでも……この事件、したいと思ってます。何故なら……」


 ここで、言葉を飲む。

 確信のないこと。まだわからないこと。それを憶測で判断は――


 


 私は、名探偵でも何でもない。

 探偵、ですらない。でも、「」だ。

 それを買って出た。押しつけられた、と思っても良いけど、それを受け入れるかどうかは最終的には私自身の意志。

 私は――もしそれが可能なら、考えすぎであれ、転ばぬ先の杖であれ、は阻止したい。

 何もないなら、それでいい。妄想心旺盛な小娘の、馬鹿な振る舞い、それだけで終わる。以前にも、確かそう考えて、そのための行動ができたはず。

 怯えて、引っ込んでばかりはいられない。


「私は……探偵だから。解決したいし、そして――救いたいんです。あなたも、八幡家の人々も、……綺羅さんも」

「それは……」


 不思議そうな顔で、力輝さんは顔をあげる。


「呪いを。私に、断たせて下さい。あなたとあなたの身にまつわる呪い。八幡家の呪い。綺羅さんへの呪い。それは……実在するものではないはずだから。因習を、妄執を、情念を、綿々と連なるそれらを断つ唯一の武器は――『理』だけです」


 たかが小娘が。何を口にしているのだろうかと、自分でも思う。――でも。


「……わかった」


 のっしと、巨体が立ち上がる。

 栗色の髪と淡い瞳の年老いた彼は、私を見下ろし、そして、深々と頭を下げた。


「お願いする……事件は、どうでもえぇ。八幡家がどうなろうが、ワシャどうだってえぇ。しかし……綺羅お嬢様は……あの子だけは、救ってやってくれ。それが本当にできることかどうかは、ワシャわからんが、しかし……真冬さんがそうじゃったように、あんたならきっと出来るはずじゃ」


 月の光さえもない、夜のとばりの降りた中。


「あなたの御依頼、引き受けました」








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