第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その12)

「……あの。やっぱり、粂さんのご葬儀には出られたいとお思いでしょうか。力輝さんも、幼少時からご一緒されていたと聞きますし」


 ちょっと無理矢理に話題をそらすような質問をして、少し気恥ずかしくなる。

 葬儀があるかないかは謎だけど。

 それに、もし私の推測が当たっていたなら、粂さんは力輝さんにとっても「祖母」にあたる血縁のはず。無視だってできないだろう。


「粂様には、まァ……良ぅして貰ろーた思い出はないのう。厳しい人じゃったし、ワシをゴミクズか何かのような目でみて毎日小言ばっかしで、……まァ、そーゆー人じゃ」

「そ、そうですか……」

「そいでも、中学にあがる頃にワシゃもう八幡家を飛び出てな、楓お嬢様もおらんあの家におる理由もないわ思ぅてな。そこまで育てて貰ぉた恩もあるが、奉公ぶんで返せたつもりは十分あったわ」

「そうだったんですか」


 ……その時点でも、おそらく楓さんが自分の母親だとは知らないでいた、のか。


「意外なんが、そん時になんぼかの仕送りをワシにしてくれたんは粂様じゃった。義務教育じゃゆーても知らん顔で働いとったが、やっぱしお上にガチャガチャいわれて工場長から学校通わされてな。小卒の労働者を許して貰えるんは戦前までじゃな、ハッハッハ」

「まあ、良くて敗戦後の混乱期まででしょうねぇ」

「……ま、そんな意味では大恩はあるかもしれん。このまま知らん顔もできん。しかし……八幡家はなァ。どうやって香典の一つでも渡そうか、思うてな。ご焼香とかはまァ、いらんし。どうせ墓も家ン中じゃろ、あの家なら。墓参りもできんわ」

「ご存じなんですね、色々。ですけど、それなら何故『香典』とか『ご焼香』とかが出てくるのでしょうか……?」

「ン? 何かいね、ワシゃおかしいコトゆーたかな?」

「ああ、えーっと……」


 どうしよう。説明できるほど私だって本当のところは理解していないのに。

 ……楓さんはどのように葬られたのだろう。


「……家にお墓って時点でおかしいとは思いませんでしたか?」

「ん? いや、別に。あっちこっちのお寺さんに寝泊まりしてた時、墓場ン中にふつーに家とかあって、大抵住職さん一家とかそこに住んどったけーな」

「あぁ……まあ、そうでしょうねぇ、そういう家なら」


 先日お邪魔した際、宝堂姉妹の家もそういえばそんな感じだったのを思い出した。宮大工の真似事――そう伺ったけど、なるほど。八幡家を出てからの力輝さんの暮らしぶりも、ちょっと一般とはズレている所ばかりを回っていたので、八幡家の特異性に気づけないでいたのか。


「そ、そういえば、力輝さんってドイツ語はおわかりなんですね」


 また、慌てて話を切り替えてみる。あまりそこに踏み込むと、伸夫さんとの約束を違えてしまう。いくら同じ屋根の下で暮らしていた、ある意味「同じ家の者」であろうと、力輝さんは八幡家の秘密を知る立場にはいないし、また、自ら知ろうともしていない。ここは「伏せる」のが正しいか。


 ……ここまででわかったこと。力輝さんは八幡家の、そして園桐の宗教観を「あまり理解していない」という事実。

 まだ幼いうちからこの村を出て行った点や、幼少時から法華か何かに入信していた大杉家にも出入りしていた点から、漠然とした仏教観を普通に抱いて過ごしていたことがわかる。

 ……だから、力輝さんに訊いても、村民が八幡家に向けている「悪感情の源」は判らないかもしれない。


「ハハっ、わからんちゅうたじゃろが。……いや、まぁ……ウン、ありゃあドジこいたわな。まあ、ちぃーたぁわかるっちゅう程度で会話なんぞろくにできんのは確かじゃが」

「……やっぱり、力輝さんはお父様のことを気になされていたのでしょうか?」

「昔はな。せめて見つけ出して、この手で殴り倒したろーかと思ぉとった。ま、それも叶わんことじゃったが」

「ファーストネームだけじゃわからないですよね、さすがに」

「いや。……杉峰楼の婆さんらは知らんじゃろうが、八幡の家のモンはみんなフルネームで知っとったわ。しかもあの時代に日本に来れたような独逸人なら限られとる、じゃからすぐに探し出せたわ。もう死んどってな」

「あぁ……それは、その……」

「死刑じゃ。戦犯でな。あの時代の独逸人じゃけ、帰ったらナチスに入っとってな。あげなコトしでかした火付けのきちがいじゃ、無理もないわ。とんでもない人殺しじゃったわい」


 ……さすがに、私には何も言えない。


「知らんでおった方がよっぽど良かったが、まあ、ある意味知って清々したわ。ワシん流れよる血は、ロクでもなかったとな」

「えぇっと……」


 返答に困る。


「……それで、神戸だったんですね」


 かつてはドイツ帝国領事館もあった、日本と独逸との繋がりが最も深い、開港からの交流の歴史がある土地だ。

 ただ、少し引っかかる。今なお存在するドイツ人社会に、外見だけならともかく、力輝さんが馴染めるようにも思えなかったから。


「バウムクーヘンくらいしか知らんわ」


 呵々と笑い、そして力輝さんはジッと私を睨むように見つめる。


「そうじゃな、真冬さんの後継者は、どうやらあんたのようじゃ」

「えッ!? ど、どうして私が……!」

「ワシも……伸夫のやつもそうじゃろ。あんな神業の人を見てしもうたんじゃ。小娘じゃからといって馬鹿にはせん」


 うぅ……。

 真冬さんがこの地に遺したものは、ある意味、私には「」のようなものかも。


「……あんたにな、もう一回ちゃんとお願いしたい。もし……粂さんの件……これが、綺羅お嬢様の関わるような事じゃったら……」

「い、いえ、そこはまだ、ただの憶測で何とも……」

「まだわからんから、お願いしたいんじゃ。もしも、万一……綺羅お嬢様が手にかけたようなら……。見逃せとはいわん。せめてちゃんと、お縄につくよう、見届けて欲しいんじゃ」

「……確証の無い相手を犯人扱いなんて出来ませんし、現状、粂さんの自死の可能性の方が高いですし、」

「しかし、犯人でないとも限らん。……ワシはな、……楓お嬢様のようには、なって欲しくないんじゃ」

「それは……考え過ぎじゃないかって、」


 ……どうだろうか。

 幾ら綺羅さんと楓さんが瓜二つとはいえ、遺伝で性格まで同じにはならないだろうし。過去に楓さんが何かをからといって、綺羅さんまでが同じことをするとは限らない。

 性格までソックリとはいえ、双子の宝堂姉妹だって少しは違うんだし(……たぶん)。

 少しだけ考え込み、そして私は――を力輝さんにぶつけることに決めた。




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