第十二話 閻獄峡ノ急『黒墨の帳に』(後編・その10)
「証言の真偽を恣意的に選択できる立場なら、確かにそうね。あなたが昼に口にしていたあれは……そう、ド・モルガンの法則、つまり全否定と部分否定の換言による述語論理よね?
「はい。認識の錯誤による自己言及型逆説は詭弁の典例ですし。そしてそれらを容易に築ける、選択的な証言に証拠能力はありません。部長が綺羅さんの証言を『必要ない』としたのは、そのためでしょう……。あの、失礼な部長ですみません」
小難しい言い回しだけど、ようは「ウソつきのいうコトなんて信用なんねぇ」という、それは至極もっともで単純な話。
そもそも論だけど、パラドックスとは「詭弁」が前提にあるケースが多い。命題に対する逆張り、正攻法ではない方法論を提示して「こっちの方が正しいのでは?」と思わせるのが、逆説なのだから。そして、別ルートを示す(代表例は「急がば回れ」とか)のではなく、綺羅さんのおっしゃる通り「思考にループを発生させる」という方式――ようは、自己矛盾。これは、だいたいがペテンみたいなものだ。その主だったものが「全」と「個」の錯誤を誘導させる形式。
「あなたも相当失礼だと思う。もちろん、私も。だから、みんなおあいこね」
うぅぅ……。
「第一、あなたハッキリ私を『疑ってる』っていったでしょ? つまり……私がお婆さまを殺した、もしくは死体遺棄に関わったと、面と向かって口にしたも同じなの」
「……確かに、そうです」
これは本当にグゥの音も出ない。
「今あるのは、間接証拠……つまり状況証拠のみです。その時点で、お婆さんの自主的行動を抜きにしては不可能、と思えます」
「同時に、お婆さまの独力では
……そこまでわかっているのに、私からはそれ以上を口にしようもない。
「……でも、確かにこれは部長さんの云う通りね。『探偵が解決』するには、美しくない状況だわ。
「あ、あの……。怖いコトおっしゃらないで下さいよ……」
「あら、どうして?」
「……だって、ええっと」
――取り替える
そんな部長の馬鹿な言葉を思い出す。
薄く微笑んだまま、綺羅さんは私に顔を近づけた。
「例えばあなたが――冷酷で残酷な、真相を告げる『名探偵』なら……もっと美しく、鮮やかに。颯爽と、解決だって出来るはずだわ。期待しているわよ?」
「で、ですから、私に期待されましてもですね」
いや、あの。なんで綺羅さんまで期待してるんですかっ!
……あれ?
「フフ……面白い子ね。それじゃ、また明日……あなたの推理、楽しみね」
とっちらかった私に、嬉しそうな笑顔を向けて、綺羅さんは去って行く。
年相応には見えない幼さで、可愛らしく、美しく、飄々として悪戯っ気のある、どこか寂し気も漂わせた彼女に対し、私はやっぱり、あまり悪感情を向けることができない。
見た目は違えど、部長にも似通った意地の悪い洒落っ気も、おそらくは彼女がこの閉鎖された園桐の山の奥で、隔絶した環境の中、独り生きるために身に着けた術なのだろう。
私はため息を吐いた。
……今の綺羅さんの言葉、
……わからない。
私は最初、美佐さんからこの村の話を伺った時から、ここを『隠れキリシタンの里』じゃないか? って、考えていた。
でも、その考えは一蹴された。発言の信用性が無い綺羅さんの「ここは隠れキリシタンの里じゃないわよ」の言葉は、この際保留としても。
次に、呪いの村の素封家、そして縁切り……そこから考えられる典例は「
六十六部聖と呼ばれる旅の行者を殺し、金を奪うことで財を為す。それは、突如富を得た家に対して昔っから囁かれる「
何らかの形で突如財を為した者には、それ相応の想定は必要かも知れないけれど、さすがにこれもナンセンス。そもそも根拠のない「陰口」がこれなのだから。
そもそも、それら逸話の殆どは、オカルト的な「オチ」が着く事で成立する――例えば殺された何者かの霊なり生まれ変わりなりが、殺した側に、当事者しか知り得ないような「何か一言」をかけてハっとさせる……ようするに、それは「落とし噺」だ。
第一、その後の八幡家の暮らしぶりや村の発展ぶり、歴史を見ると、簡単な犯罪事件の上で成り立った家でもないだろう。そもそも、
思うに、八幡家は寄生地主として幕末から明治大正、昭和を過ごして来た家だろうし、GHQの農地改革を上手くやりすごしての現在があるのだろう。
だから元小作人の間から多少の不満や嫌悪を抱かれていてもおかしくはないとしても……。
それと「呪い」の話なんて、正直一致するとは思えないし、う~ん……。
……だいたい昔話の呪いや因縁で、今の人間が死ぬわけないじゃない?
そこまで「呪い」って、重要?
綺羅さんにとっては、その「呪い」という概念がかなり重要そうなのは、ぼんやりと見て取れる。でも、それは私たちにしろ、他の八幡家の皆様にしろ、わりと「どうでも良い」要素であるのも間違いない。
それに、死人に何ヶ月も生きているフリをさせていた理由が、やっぱりどう考えてもわからない。意味が不明すぎる。何故?
暫くウンウンと唸りながら、考え込んだり本を開いたりしてみても、正直なにもわからない。……っていうか、こんなのってやっぱり私のキャラじゃないな、とも思えてきた。
探偵の
それとも、「反抗したい」の?
二律背反的――確かに、そうかも。
……って、あれ、私は一体、誰からそういわれたんだっけ?
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