第87話 黒

「日・月・火・水・木・金・土」


アストロの背後に太陽と月が、正面には五芒星が出現した。


「魔術・宙」


空間が塗り替えられていく。

それはまるで星空の中に、宇宙に、放り出されたようだった。


「これは……周囲の魔力が完全に消えた?」


しかし魔術の行使に周囲の魔力を使う者の方が稀有であるため大きな問題ではない。

ここで問題となるのは、この空間を塗り替えたという事実。

あまりに大掛かりでありながら、周囲の魔力にしか効果のないこの魔術。

意味を感じさせないこの魔術、もし意味があるとするのなら、この場所にこそ、この空間にこそ意味がある。

空間、場所、配置によって魔術を発動させる儀式魔術。

手間がかかりすぎるために戦闘で使う者はいないが、もし使えるのならその手間に見合った効果を発揮するだろう。


「開闢・黒」


魔力は消失し、何が起こるのか、先は一切読めない。

だから全方位を警戒して結界を張る、全力で。

なにせ相手はアストロ。

最強たる王が優遇し、彼の強者たちが起こした事件の渦中にいるアーテルが唯一気に掛けていた、過去が一切不明な最も読めない相手。

何が起きても不思議ではない。

杖を振り回し結界を張る。

その質は森で使ったものと同等。

ノアが警戒の段階で使うとしていた最高位の結界であった。

五芒星がノアの身体をすり抜け背後で止まる。

太陽と月が、ノアと五芒星の間に転移した。


嫌な予感がする。

今この段階でこの魔術を阻止してしまいたい。

だが、生徒の全力を、見もせず評価は出来ない。

何が起こるかはわからないが、被害が儂一人で済むのなら問題は何一つない、このまま防ぐ。


ノアは振り返り結界を集中させる。

その目で魔術の発動の瞬間をまじまじと見た。

太陽と月がぶつかり砕け合わさり、五芒星が呑まれ、混じり、黒く成っていく様を。

そこにはただ黒い空間が残った。

何もかもを呑み込んでしまうような黒がそこにはあった。

多重に張った結界が意味をなさず呑み込まれていく。

咄嗟に放った魔術が呑み込まれていく。

地面を抉るように呑み込み、身体を引き寄せ呑み込まんとする。


初めて見る魔術。

初めて見る現象。

もっと見ていたい。

もっと知りたい。

だが、消さねば。

残念だが、消さねば。


描いた陣はすぐさま呑み込まれていく。

これでは魔術が発動できない、なんてことはない。

魔術は意思によるものであり、詠唱も陣も飾り。

ノアが陣を描く理由はひとえに自分は二流であり詠唱や陣がなくては魔術が使えないと思い込むことで意味がないことを意味があると思い込んで魔術師として成り立たせているに過ぎず、陣を一度描いたこと自体が魔術発動に必要な工程であり、他の魔術師と違い陣が消えても未だ魔術が発動していないのならば発動させられる。

最後の陣を描き魔術を行使しようとしたとき、突如として黒い空間が消え去った。

それは魔術の効果時間というよりかは、より大きな力に潰されたようだった。


「あれ、もしかして自分で消せた?まぁいいや」


アストロが、ノアが、訓練を一時止め二人の戦闘を見ていた者達が、突如現れた一人の青年にその視線を向けた。

耳障りなノイズの混じった声。

珍しい黒髪に見慣れない服装。

軽い足取りでアストロに近付く。

他の者を無視して、そこにいる事にも気付いていないかのようにノアの横を通り過ぎて、アストロに近付いていく。


「誰がやっても死者が出なかったのならそれでいい。私はクロイ。まぁもっとも、本名ではありませんがね」


その視線はノアではなくアストロに向けられている。


「貴様、何が目的だ‼」


「いやはや素晴らしい魔術です」


青年はノアを無視し続ける。


「それ以上生徒に近付くな‼」


「ただあまりその力は使わない方が……」


無視を続けさらに一歩近づいた青年に、ノアが魔術を放った。

しかし魔術は青年の背後に現れた黒い空間に呑み込まれた。


「………さっきからさぁ、うるさいんだよ‼」


振り返って睨み付けてきた青年の目は、全てを呑み込むほどに黒かった。


「台本通り進めてるのにお前が勝手に動くから狂っちまったじゃねぇかよ‼」


「………よくはわからないが、敵ということでよいのだな?」


ようやく会話が成り立つと踏んで臨戦態勢は解かずに言葉を交わそうとする。


「敵?そいつは俺と戦うってことだよなぁ。ジジイ、死にたいのか?」


青年の気迫に、ノアは一歩退いた。


あれは、オッドアイか?


右眼は光すら呑み込んでしまうような黒。

だが左眼は普通だ。

珍しくはあるが普通の黒い眼。

右眼だけが、異常を感じるほどに黒かった。


「クロイと言ったか。儂は別に死ぬ気はない。ただ、生徒を護りたいだけだ」


一歩退いた時点で負けを悟っていた。

しかし、それで引き下がることはできない。


「…………あぁ、成程。それなら俺は敵じゃない」


青年の表情が明るく、声が軽くなる。

するりと不思議な動きで素早くアストロの背後まで回り頭をポンと叩く。


「俺の目的は、こいつを護る事だけだからな」


戦意が感じ取れ無かったうえに読みずらい動きであったとはいえ、何も出来ずに生徒に触れられた。

だが自身を責めるよりも前に問わねばならないことがある。


「お前は何者で、何故アストロを護る」


「俺は……そうさなぁ傭兵だ。んで、依頼されたからこいつを護る」


「ブラッディ・メアリーというものを知っているか?お前にアストロを護れと依頼したのは誰だ?」


「そいつは知らない名だな。依頼人を隠してやるほど俺はアイツが好きじゃないから言うが、依頼人はこいつの親父だ」


唖然。

一切情報がないアストロの親、そことつながりを持つ男が突如として現れた。

この国に生まれたはずのアストロ。

だがその出生は一切不明。


「そいつは何者だ‼子を捨て何処へ」


「知らねー。俺が知ってるのはそいつが生まれる前のあいつだけだ」


「それだけでもいい。情報があまりに足りていない」


「……何の情報が足りてない。過去に目を向けていられるほど、今に余裕があんのか?」


今は何よりも強くなることが一番であり今一番必要な情報はアストロの父の情報ではなく、第二学園に巣食う敵の情報である。


「まぁいいや。俺はあんたらがどんな惨たらしい死を遂げたとしても、こいつが生きてさえいてくれれば依頼達成だからな、簡潔に、短く一言で済ませてやるよ」


その笑みを見て、聞いてはいけない話に感じた。

けれど耳を塞ぐだけの時間はないし、塞いだところで聞こえてきそうだった。

違う。

結局のところ、好奇心が勝ってしまったのだ。


「こいつの親父は……お前らが大好きな…………ハンスとアルバの従兄だよ」

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