第77話 森
「さて、これから森に入るわけだが、まずは最も近い此処から一直線に行った先にある空白を目指す。皆準備は出来ているな?」
周囲に集まる者達の顔を見る。
「問題はなさそうだな。では往くか。儂から離れるでないぞ」
森の中へと足を踏み入れた瞬間、学園長の足元が整備された道となる。
振り返れば道はすでに消えていた。
詠唱もなければ陣もない、刻印ともまた違うような魔術を解明できない。
何を以てして成り立たせている魔術なのかが理解できない。
そして何より、戦うことに明け暮れ、強さを求めるあまり視野を狭め、生活を豊かにするという魔術本来の目的を忘れていたことを気付かされた。
日常をより便利により楽にすることこそ魔術の始まり。
意図しての事ではないのだろう。
ただ、魔術は特別なものではなく、日常の中にある当たり前であると認識を改めさせられた。
「何かあったか?」
「いえ、まだまだ未熟だなとそう思っただけです」
代わり映えしない森の中を歩いていく。
一時間ほどだろうか、魔術により整備された道を進んでいたためあまり疲れてはいない。
「………そろそろ着く」
アストロがそう言うとすぐに、木々の隙間から建物らしきものが見えてきた。
「「———————ッ⁉」」
森の中の開けた空間に足を踏み入れた瞬間に全身の毛が逆立った。
周囲に注意を払わずとも、魔力支配を行わずとも、周囲の魔力を知覚させられる。
アーテルの魔力支配と似た現象だが全くの別物。
魔力が止まっているのではなく、多すぎる。
あまりに膨大な魔力故に流れきらない。
膨大な魔力の中心にあるのは木造りの家。
少し大きいくらいで何の変哲もない家。
だが異常な魔力を発する家。
「儂の後ろに下がり逃げる準備をしておけ」
戦うのではなく逃げる準備。
なにせここにいる誰よりも、むしろ全員の魔力を合わせども家から発される魔力ほどの量にはならない。
もしもその魔力量に見合うような者が相手だというのなら、勝ち目は全くない。
逃げるにしても学園長が不死身の肉体を用いた全力の時間稼ぎがあってようやくといったところ。
神経を研ぎ澄ませながら戸を叩いた。
中から扉の開く音が聞こえる。
足音が近づき、戸の前で止まった。
数秒経ち戸が開く。
「お久しぶりですね学園長」
中から現れたのは眼鏡をかけた女性。
女性の姿を見た瞬間に学園長の張っていた気が途切れるのを感じ他の者も気を緩める。
「学園長のお知合いですか?」
「……………」
女性は学園長に助けを求めるに見つめた。
「この子等は我が学園の生徒会役員たちだ」
「私はリブ。あなたたちが使ったり使わなかったりしている刻印魔術を作った魔術師よ」
学園長の言葉に少し考え何かに納得すると優しい笑みを浮かべ名乗った。
五十年以上前の天才の名を。
「なッ……」
「ありえない……」
ギフトとアルトは理解できないと言葉を溢す。
それもそのはず。
リブは五十年以上前に学園を卒業している。
消息を絶っていたために生死不明であったが、もし生きていたのなら現在の年齢は七十歳前後の老婆である。
そのはずなのに、目の前にいる女性の見た目は二十代前半、卒業からほんの数年しかたっていないように見えるのだ。
「ああそういうこと………私二十一歳の時に魔術で不老になってるから肉体は若いままなのよ」
ここ数十年周りにいたのが似たような天才ばかりで感覚が狂っていたが普通は驚くものなのだと改めて認識して説明する。
「不老?何を、言って」
理解できない。
もはや別の言語だと言われた方が納得できるような常識外れな話。
「別に珍しくもないでしょ。学園長たちはもう千年以上生きてるんだから」
この国で最も古株の魔術師。
王に禁忌の研究を許された数少ない魔術師。
「それに私の見た目で驚いてたらアルバの時はもっと驚くことになるわよ。何せ卒業からほんの一月で不老の魔術を完成させたんだから」
まるで自分の事の様に自慢げに話すリブだが、その目はどこか悲しそうであった。
「ねぇ、おじさんを知らない?」
会話を止めるようにしてアストロが呟いた。
「そうだ、それを調べなければ」
予想外の人物の登場に完全に頭の中が真っ白になっており当初の目的を忘れていた。
「リブさ……」
話し始めようとしたギフトを制止し学園長は問いかける。
「アーテルという少年の事を知っているか?」
「………何かあったんですか?」
廻る思考。
本来であれば起こりうるはずのない読み合い。
「誘拐されてな、どれだけ探せども見つからず、この森のどこかに犯人のアジトがあると踏んで捜索中だ。悪いが家を調べさせてもらうぞ」
「生徒の為に生徒を使うんですか?学園長らしくないですね」
「…………何か、見られたくないものでもあるのか?」
その言葉に失敗を悟った。
確かに沢山の天才と触れ合ってきた。
けれどそれはアルバに付いて行っただけであり、並び立てたとはとても言えない。
千年を生きる老爺を出し抜けるはずもなかった。
「学園長って生徒には甘いですけど、卒業生には厳しいんですね」
もはや頼れる手など一つしかない。
「自分よりも優れている者を甘やかすはずがないだろう」
千年の研鑽を積み重ねた魔術師の敗北宣言に学生たちは動揺するが、リブはそんなことに気を取られている場合ではない。
「私が幼気な少年を誘拐するような人間だとそう思っているんですか?」
「まさか。アルバが選んだ女性だ。そのようなことはしないと思っているとも。ただ、探している以上は隠してあるものを暴かなくてはだろう」
「私には確かに見せたくないものがあります。けれどここは私の家ではなく私とアルバの家。アルバが見られたくないものだってここにはあります」
読み合いで、駆け引きで勝てないリブの最後の手段。
「暴いたら、アルバに嫌われますよ……おじいちゃん」
微かだが反応はあった。
悩むように空を見上げる。
「儂は学園長じゃ。生徒の為ならば、嫌われても…………ぬぅ……かま、わん」
最後の最後まで悩んでいたが、孫の様に思っているアルバから嫌われる可能性を受け入れた。
「さすがに、命には代えられぬ」
「……そう。じゃあ家には上げましょう。ただ……見せたくなかったものは学園長にしか見せません。構いませんね?」
この場に生徒がいる時点で生徒を見捨てるような選択肢は取れない。
始めから負けていると理解したうえでの悪あがき。
多少の嘘が織り交ぜてあるが、見せたくないというのは事実である。
学園長は生徒たちに視線を送った。
「手掛かりになるかどうかの判断は自分たちで見て行いたかったですし、名声を博したリブさんが隠すようなものが何なのかも気になりましたが残念です」
「とのことだ」
「ならいいわ」
そう言って生徒達を家へ招いた。
椅子に座らせ飲み物を出す。
学園長に声をかけると奥の部屋に案内した。
「——————なッ、これは⁉」
「見せるだけです。触らないで下さい」
案内された部屋には目を疑うような光景が広がっていた。
尋常じゃない魔力量。
その魔力を放つのは、十冊の開かれたグリモワールであった。
「グリモワールの研究をしようと思っていたら、知り合い……ハンスの師匠がどうせ持っていても使わないからと貸してくれたんです」
「これ程の数のグリモワールを所持する者が……」
「……その、多くても困るだろうと一部を渡されただけで百冊以上持っているそうで」
口をあんぐりと開けて学園長は固まってしまった。
「あ、あのー………まぁとりあえず、これが私が見せたくなかったものです」
放心状態の学園長に言葉が届いているかは不明だが言うだけ言っておいた。
数分が経ち動き出したかと思えばすぐに大きなため息を吐く。
しゃがみ込み再び大きなため息を吐いた。
「確かにこれは凄まじいものだが、必死になって隠すようなものではないだろう」
「学園にはグリモワール使いがいるのでしょう?もしもここにある大量のグリモワールを見られれば、グリモワールの希少性が薄れ、その子の格が落ちてしまうと考えての事だったのですが」
リブはグリモワールの希少性をよく理解している。
そもそも珍しい意思を持った本が気に入る者でなければ使えない偶然の産物。
それが十冊もあるというのは常識を、これまでの人生観すら否定するような事象。
故にリブは秘匿しようとした。
「成程。我が校の生徒を思っての行動であったのなら責め立てることは出来ぬな。しかし、儂も秘密を漏らすようなことはせんし、初めから儂だけに見せればよかったのでは……」
「理解できずに脳がショートしていたではありませんか。そういう反応になるのは目に見えていたので見せたくなかったんですよ」
千年以上も子供たちの為に働き続けている学園長の事は尊敬している。
だが、今だけは尊敬を呆れが上回っていた。
学園長はばつが悪そうにして大きく咳ばらいをして無理やり空気を断ち切ろうとする。
「まぁその、事件に関わるようなものは無かった。ただ……アーテルの事は知っているだろう?」
答えを先延ばしにしても逃げ切ることはできない。
始めに問われたアーテルを知っているか否かの問い、リブは答えなかった。
「……ええ知っています。森に入ってきた彼に魔術礼装を渡しましたから」
リブは確かに答えを先延ばしにした。
だが、はじめから逃げるつもりなどなかった。
この状況で答えたかっただけなのだから。
「ただ、他の生徒には内緒にしておいてください。今日あの子たちの反応を見て自分が周りからどう見られているかをよく理解しましたから」
「確かに、以前身に着けていたものとは変わっていた。納得できない話ではないか。他に聞くことは……儂等に付いて来てくれたりは」
「そういうのはアルバやハンスの管轄。私は研究を続けるだけよ」
学園長の誘いを食い気味に断った。
「そのアルバとハンスも見つからなくてな、どこにおるか知らぬか?」
「残念ながら知らないわ」
「そうか。戦力が足りぬから誰かしら手伝って欲しかったの」
「却下よ」
わざとらしい演技を前にきっぱりと断った。
学園長を部屋から追い出すと、さっさと生徒たちに潔白を証明させ流れるように家の外まで追い出した。
「それでは、次は戸を叩いても開けませんから」
「それは困るな。何か情報を手に入れたら教えてくれ」
「嫌よ。だってアルバが帰ってきたら大量に仕事を押し付ける気でしょ」
有能すぎるのも困りものである。
わざわざ誰も入らない森に隠れるように暮らしているのは、誰にも邪魔されず二人でゆっくりと過ごすためであった。
そんな家が見つかってしまい、見つからないようにしていた理由も思い出し、学園に泊まってばかりで家にも帰ってこず、果てには行方不明にまでなる夫アルバに腹を立て、八つ当たりするように二度と来るなと言って扉を閉めた。
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