鎮守府大将軍

 

 ・貞吉二年(1544年) 三月  山城国 京 相国寺  六角定頼



 廊下からゆっくりとした衣擦れの音が聞こえる。

 相国寺の広間には進藤、浅見、京極、織田信広などいわゆる六角家の文官層と山科言継、織田頼信、近衛前久などゆかりの深い公家衆が居並ぶ。

 俺は下座の筆頭の位置に座っていて、上座は空席となっている。間もなく将軍宣下の辞令を携えた甘露寺伊長が上座に座るはずだ。


 本当は賢頼や蒲生、海北などの武官や朽木、三好、斎藤などの同盟者も呼びたかったんだが、まだまだ各地の争乱を収めたわけじゃない。いや、むしろここからが本番だ。

 今この時に各地の将を呼び戻すわけにはいかない。


 本当は六月に予定していた将軍宣下だが、三か月前倒しにしたのは理由がある。

 賢頼の播磨平定を始め、朽木の丹波侵攻や斎藤の信濃侵攻にいずれも手詰まり感が出始めている。特に朽木は想定外に苦戦している。


 一色を弓木城に追い詰めた朽木は、丹波北部の平定に乗り出した。ここが味方陣営になれば賢頼の播磨制圧にも弾みがつくんだが、いかんせん黒井城攻めに苦戦している。

 朽木も今や若狭・丹後二か国を抑える太守だ。まさか氷上郡一郡程度に苦戦するとは思っていなかったが、調べさせて納得した。

 黒井城を治める荻野秋清は、氷上郡に威を張る赤井家清の弟を養子に迎えている。その弟というのが、荻野直正。恐らく『丹波の赤鬼』こと赤井直正のことだろう。


 つまり、朽木が意気揚々と攻め込んだはいいが、赤井家清と赤井直正によるゲリラ戦に苦しめられているというわけだ。

 相手が赤井直正だと最初から知っていれば俺だってやり方を考えただろうが、正直荻野がそこまでの強敵になるとは思ってもみなかった。


 厄介なことに、赤井・荻野の奮戦に勇気を得たのか間もなく膝を屈すると思われた波多野も三好勢に対して籠城戦の構えを見せつつある。


 こうなると俺ものんびりはしていられない。出来るだけ早めに六角や同盟軍が各地を制圧する名分を得る必要がある。

 いくら大義名分を握っているとしても最終的には実力を持って制圧するしかないんだが、それでも『鎮守府大将軍』という権威があれば多少は各方面の調略もやりやすくなるだろう。


「勅使、権大納言様の御成りでございます」


 次男の大原頼保の甲高い声が響く。

 続いて甘露寺伊長が奥から現れて上座に座る。甘露寺の官位は権大納言だが、位階は従一位で従二位の俺より上位になる。加えて今回は帝の代理として下向しているから、上座に座るのが正当な席次だ。


「源朝臣定頼、面を上げよ」

「ハッ!」


 俺が顔を上げると、甘露寺が辞令を取り出して朗々と読み上げ始めた。


「内大臣源朝臣定頼

 右中弁藤原朝臣頼房(葉室頼房)伝へのべ

 権大納言兼参議藤原朝臣伊長のべ

 みことのりうけたまわるに、件の人宜しく鎮守府大将軍と為すてへり

 貞吉二年三月廿日はつか(二十日) 尾張権守兼左大史小槻宿禰伊治(大宮伊治)うけたまわる」


「畏まって、拝し奉りまする」


 俺が拝礼した後、甘露寺が一つ頷いて辞令書を手渡した。

 と同時に、進藤の野太い声が響く。


「鎮守府大将軍への任官、おめでとうございまする」


 受け取った辞令書を進藤に回し、もう一度甘露寺に拝礼する。

 それを見届けた後、甘露寺が入って来た時と同じように控室へと下がって行った。


 儀式ごとは疲れるが、ともあれこれで鎮守府大将軍と源氏の長者への補任を受けられた。

 俺が新政権を作ると決意してから既に十年余りが経っている。思えば色々あった……。

 だが、これで一つの節目を迎えられただろう。


 まあ、新政権が発足したとはいえ、その領域は畿内近国のみの脆弱な政権基盤だ。これから各地の勢力を政権下に収めて行かねばならん。

 史実の徳川家康のように、後は息子に譲って終わりという訳にはいかない。まだまだ安穏とはしていられないな。




 ・貞吉二年(1544年) 三月  山城国 京 六角屋敷  六角定頼



「改めまして、鎮守府大将軍への任官おめでとうございます」

「ああ、ありがとう」


 補任の儀式や祝宴も終わり、上洛した文官達もそれぞれの任地へと戻って行った。

 大原頼保は織田信広の案内でそのまま清州城に向かう予定だ。本当ならば今月の頭には赴任している予定だったから、およそ一か月後ろに倒れた形だな。

 まあ、今の尾張ならば問題は無いだろう。


「さて、どこから手を付けますかな」


 室内には進藤・三井・伴庄衛門・池田高雄が顔を揃えている。池田高雄は息子に家督を譲って隠居していたが、改めて俺の側近として再度召し出した。

 何よりも尾張や東海方面の実情を肌で知っているのがデカい。全国政権を作るには得難い人材だ。それに、若い頃は俺の副将格を務めていたから貫禄も充分だしな。

 そして、意外な男がもう一人。


「まずは、公方様直下の管領や探題、並びに政所や侍所を整備するべきかと存じます」


 伊勢兵庫頭貞良が重々しく発言する。

 足利義晴の執事として幕政を取り仕切った伊勢貞孝は、義晴横死の報せと共に腹を切った。どこまで行っても伊勢貞孝は足利幕府の政所執事だったということだ。


 そして、息子の貞良が父の首と共に京都奉行所に出頭した。

 貞良は父から六角に仕えるよう言い含められていたらしい。俺としてもこれ以上無益に人を死なせたくはない。当面の間は京都奉行所の三井高好の配下として行政の任に当たらせていた。

 だが、今回新たな政権を作る上で旧政権の政所体制を知悉している伊勢家の知恵は助けになる。

 六角生え抜きの行政官と比べても早い出世だが、政権参謀の一人として登用することにした。


「管領に探題か。室町体制を踏襲するというわけだな」

「いかにも」


 伊勢貞良が頷く。

 まあ、伊勢家の者としては当然の発想だ。だが、それではいつまで経っても戦乱は安定しない。


「言いたいことは分かるが、その前に俺は今までの政の仕組みを大きく変えようと思う」

「と、申されますと?」

「まずは、鎮守府という言葉の意味を変える」


 一同が不思議な顔をする。まあ、いきなりそんなことを言っても訳がわからんか。

 一つ咳ばらいをして大きな日本地図を取り出す。

 もちろん、後世の精密な地図とは比べ物にならんほどざっくりとしたものだが……。


「今までの鎮守府とは奥州を統括する行政府の意味だった。だが、一つ奥州のみにあらず、日ノ本全てを統括する行政府として整備する。

 まずは、日ノ本を大きく十個の括りに分ける。九州・四国・中国・近畿・北越・甲信・東海・関東・奥州・羽州……」


 現代風に言えば道州制のような広域行政体だ。

 一国という単位の上に、各鎮守府長官を任命する。任命者は無論、鎮守府を統括する鎮守府大将軍だ。鎮守府大将軍は、同時に近畿鎮守府の長官も兼ねる形とする。


「あ、いや。しかし、それでは探題が乱立することになりませんか?」


 三井から当然の疑問が出る。

 もちろん、武士が現行の武士のままであればその権勢は大きくなり、反対に鎮守府大将軍の勢威は室町将軍よりも低下せざるを得ない。


「それ故に、各鎮守府長官は私的な軍を持つことを禁じる。各地の治安維持は鎮台軍を置き、鎮台侍大将がその権を代行する。

 無論、鎮台軍への指揮権は鎮守府大将軍の専権事項とする」


 これが六角政権の最大の目玉だ。

 幕末までの大名家は、軍事組織であると同時に行政組織でもあり、かつ司法組織でもあった。

 知行地内の司法・立法・行政・軍事の全権を委任されていたということだ。


 だが、俺の思想はその権を分ける。不完全ながら三権分立の形を目指してゆく。

 鎮守府長官はあくまでも行政・司法を司り、立法は評定衆が、軍事は鎮守府大将軍が司る。

 軍事組織に関しては、現在の旗本衆の組織をスライドさせる形で配置して行けばいいだろう。立法に関しては現在の評定衆による六角氏式目の評定を全国的な立法組織として整備する。

 この形ならば、既存の大勢力の当主をそのまま鎮守府長官や評定衆に据えることで面目を保つことも出来る。


 大勢力が危険なのは、それが軍事・警察権を併せ持つからだ。いかに大勢力とはいえ、司法・行政にその権力を限定すれば反乱も防ぎやすい。

 怪しい動きをする外様には鎮台軍の立ち入り検査などを実施すればいい。軍事権が無ければ、少なくとも政権に対する反乱を起こすことはかなり困難になるだろう。


 ただし、これは目玉であると同時にかなりの困難を伴う事業だ。

 この政権の目的は『武士』という存在の再定義に他ならない。『武士』から『武』を奪おうというのだから、反発は当然覚悟しなければならん。

 特に斎藤・朽木・三好らは、六角に味方した挙句に現在持っている軍事権か所領のどちらかを剥奪されることになる。まあ、一筋縄ではいかんだろう。


 もっとも、こんな大事業は俺一代で為し得るとも思えん。子や孫の代までかかってようやくと言った所だ。

 俺としても、現在の情勢でいきなりこんな制度を打ち出しても失敗することは分かっている。


 しかし、今からでも青写真を引いておく価値はある。

 天下統一が為った時、次に何を目指すべきなのかを明確にしておく。間違っても唐入りなどと言う馬鹿げた方向に進ませないために……。

 これが、俺が子供達に遺してやれる精一杯の物だ。


 俺の長い話が終わった後、一座には沈黙が流れた。

 銘々が己の頭で今の話をかみ砕いているのだろう。


「今すぐにその体制づくりに取り掛かるというわけじゃない。だが、俺が目指すところはそこだと知っておいてもらいたい」

「……これは、どうやら途方もないお話になって参りましたな」


 庄衛門がかぶりを振りながらため息を吐く。


「言っただろう。まだまだ隠居などさせぬと。会合衆の果たす役割も今まで以上に大きくなるぞ」

「分かっております。ゆくゆくは、日ノ本全てに伝手を作らせようと言うことでございましょう?」

「それだけではない。日ノ本全ての銭の管理もせねばならん。九州鎮守府と関東鎮守府の物の値も出来るだけ揃えてゆかねばならんのだからな」


 ま、考えてみれば途方もない話だよな。

 近世の連邦国家群としての日本を飛び越え、国家としての日本国を目指そうというのだから。


「差し当って、当面は現状の代官衆と旗本衆の仕組みのまま行く。各地の大名・領主層には六角定頼が朝廷から付託され、鎮守府大将軍として武家を束ねると書状を出せ」

「ハッ!」


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