志摩十三地頭
・貞吉元年(1543年) 九月 近江国蒲生郡観音寺城 六角賢頼
父上の……いや、今は我が居室となった『亀の間』に南伊勢の絵図面が広げられている。
周りを見回せば、父上、進藤山城守(貞治)、池田孫次郎(景雄)、後藤但馬守(定兼)、そして角屋七郎次郎(元秀)が絵図面を囲んでいる。
孫次郎一人がそわそわと落ち着かんな。
無理もない。孫次郎はまだ元服したての十五歳だ。大人たちの重圧に押しつぶされそうなのであろう。本来であれば、ここには爺(池田高雄)が居るはずだったが、爺は今滝川彦右衛門との引継ぎで尾張を離れられぬ。
それに、爺の名代として、将来の六角家の柱石として、孫次郎には今から経験を積んでもらいたい。
「さて、四郎。いや、
父上が儂の目を見据えて来る。六角家当主として初めての役目か。
しかし、御本所という呼ばれ方はまだ少し馴染まないな。
父上が今後六角家当主を本所と称するようにと通達された。確かに足利の定めた『屋形』をそのまま使うのも違和感があるが、本所とは本来荘園主を指す言葉だ。
今後は六角家の直轄地を増やすと父上は仰せであったが、まずは本所と呼びならわすことで皆の意識を変えて行こうということなのかもしれんが……。
おっと、今は目の前のことに集中せねば。
「まずは但馬守の話を聞かせてもらいたい」
「ハッ!此度の上様……いえ、大本所様(六角定頼)の内大臣就任を機に、天祐入道(北畠晴具)より和睦を乞う使者が参りました」
「北畠もこれ以上単独では戦えぬという判断だな」
「左様です。天祐入道は現在霧山城を配下に任せ、自身は大河内城に籠って我らと相対しております。我が軍は大本所様の仰せに従って付城を築き、決戦を避けて糧道を絶っております故、北畠も相当に参っておる様子」
「ふむ。しかし、そこまで囲んでいるのならばとうに兵糧は尽きていそうなものだが……」
「それについては、角屋殿から」
そう言って但馬守が角屋七郎次郎に視線を送る。七郎次郎も頷いて絵図面に新たな碁石を置き始めた。
「ここ志摩の地には、海賊を生業とする地頭衆が居ります。俗に『志摩十三地頭』などと呼ばれておりますが、それらの者が紀伊方面から兵糧を都合しているものと思われます」
「ならば、その十三地頭とやらを抑えれば北畠は立ち枯れるのではないか?」
「それがなかなか……足の速い小早を多数使って補給を行っているようで、一度に持ち運べる量はさほど多くはないはずですが、その代わりに一網打尽にするのは難しゅうござる」
「そうか……」
とはいえ、このままでは北畠も決め手に欠く。それ故に和睦を乞うて来たか。
「ですが……」
ふむ? 七郎次郎がニヤリと笑って懐から書状を取り出す。
書状の宛名は角屋だ。つまりは
チラリと父上に視線を向ける。父上が頷いたのを確認し、書状を開いて読み進めた。
「ふむ……小浜と申すか。答志郡の安堵を願い出ているようだが、答志郡は今も小浜が支配しているのか?」
「いいえ。先ほど申しました十三地頭がそれぞれバラバラに各港を拠点としております。小浜は答志郡の大勢力ではありますが、その支配地域は答志郡のごく一部に限られております。
小浜の本拠小浜城は志摩の中でも北に位置しておりますので、我らが志摩に軍勢を進めればいの一番に矢面に立つことになりましょう」
ほう……。
つまりは、むざむざと討たれるよりはこちらに寝返って答志郡全域を支配下に収めようという腹積もりか。
「小浜の動き、北畠はまだ気付いておらんな?」
「恐らくは。ですが、元々小浜は我ら角屋水軍と良好な関係を築いておりました。北畠も内心では小浜を警戒しておりましょう。
現在のところは北畠も当家を刺激せぬように注意を払っているでしょうが、当家と和睦が成ればその後で小浜を滅ぼす懸念もございます。
小浜としては、そうなる前にこの機会に当家の直参として仕えたいという腹のようです」
うん? 和睦が成れば小浜が滅びる?
どういうことだ。
「一つ分からぬのだが、北畠はどういう名分で小浜を滅ぼすのだ? 角屋水軍と関係が良好であるという理由で小浜を攻撃するならば、それは六角へ喧嘩を売るも同然だろう」
「小浜を攻撃するに名分は何とでも立ちましょう。例えば、周囲の海賊共が小浜を煙たがって攻撃を仕掛ける。北畠は慌てて仲裁に乗り出すが、時すでに遅く小浜は一族郎党悉く殺害された後だった……とすれば、当家としては口が出せませぬ。小浜はあくまでも北畠の家臣でござれば、我らに出来るのは精々『首謀者の首』を要求することくらいでしょう」
「ふぅむ……しかし、他の海賊衆はそれで納得するか? 最悪の場合は配下の首を差し出さねばならんのだ。そこまでして小浜を滅ぼす利があるのか?」
「それは、今一度絵図面をご覧ください」
七郎次郎に言われて再び絵図面に視線を戻す。
先ほどは南伊勢だけだったが、隣に三河と志摩の絵図面を添えて寄越したことで分かった。
「……この答志島の碁石が小浜というわけだな」
「左様にございます。小浜久太郎の本拠は答志島の対岸に位置する小浜城ですが、答志島にも拠点を多く作っております。
我らが駿河を目指して船を出す場合には渥美半島の沖から遠州灘に入りますが、この答志島は遠州灘に入る直前の日和見に最適です。また、紀伊方面から伊勢湾に入る入り口にもあたり、答志島には駿河・堺・伊勢からの船が多く立ち寄ります。必然、ここを抑える小浜には多くの銭が集まります。
他の海賊衆にとっても答志島は垂涎の的。ここに拠点を作れるのならば、家臣の一人や二人に詰め腹を切らせたとしても安いものでしょう」
なるほど。
北畠にしてみても、答志島を小浜に独占させている現状は決して面白くはない。答志島を抑えれば、角屋水軍の喉元を抑えるに等しい。北畠と海賊衆の利害は一致しているということか。
だが、今回小浜が六角の直参となれば、北畠の口出しを封じることが出来る。答志島をこちらの物とすることが出来るな。
「分かった。小浜は我が六角の勢力下に置く。差し当たって、反抗しそうな者は誰だ?」
「田城城の九鬼弥五郎(九鬼定隆)の動きが不穏にござる。もともと九鬼一統は船の扱いに優れる反面、他の志摩地頭たちを侮る所があります。
北畠も九鬼の扱いには手を焼いているという『噂』は聞きますな」
「ふむ。つまり、『北畠の意を無視して小浜を攻めたとしても不自然ではない者』ということか」
「その通りでございます」
七郎次郎が大仰に頭を下げる。
これで方針は決まったな。
「分かった。北畠には和睦の条件として答志郡の割譲を申し渡そう」
「いかに北畠が承知しようとも、九鬼は承知するまいと思われますが……?」
「その時は、後藤但馬守の軍勢を持って九鬼を攻める。七郎次郎もそのつもりをしておけ」
「ハッ!」
「……九鬼を攻めるのか」
突然、父上がポツリと呟いた。儂を含め、全員の視線が父上に向く。
皆の視線に気づかぬように父上は絵図面に視線を落としたままだ。
儂は何か間違ったのだろうか……
・貞吉元年(1543年) 九月 近江国蒲生郡 観音寺城 六角定頼
九鬼を攻める……か。
う~~~~~~~~ん……。
確かに小浜がこちらに心を寄せている現状は悪くない。答志島を直轄領にするのも堺との航路を考えれば妥当な判断だ。
だが、九鬼を攻めるのはなぁ……。
ここで六角が九鬼を攻めれば、九鬼は恐らく六角に恨みを抱くだろうな。となると、九鬼水軍は六角に反抗的な海賊衆となる公算が高い。
本当にそれでいいのかなぁ……。
「父上、何かお気に召さないことでも?」
いかんな。賢頼が不安な顔をしている。いや、賢頼だけでなく場の全員が不審な顔をしている。
そもそも今回の南伊勢の仕置きに関しては賢頼に任せると方針を決めたはずだ。今更俺が直接手を下すと、賢頼が自信を無くす可能性もある。
どう伝えたらいいものか……。
「九鬼は志摩でも中々の勢力だと言ったな」
「はい。船の扱いも器用でして、志摩の中では九鬼一統の力は頭一つ抜けております」
「そこだ。これから堺、そして西国へと勢力を伸ばすには、瀬戸内の海を抑える必要がある。そうなると角屋の水軍だけでは手が足るまい?」
「それは……確かに」
「つまり、そういうことだ。こちらとしては、優秀な船乗りは喉から手が出るほど欲しい。九鬼一統がまことに船乗りとして優秀ならば、必ずしも敵に回すことを前提とする必要は無いのではないか?」
賢頼が何かに気付いたように進藤の方に顔を向ける。
進藤も俺の言いたいことを察して静かに頷いた。
「確かに、最初から喧嘩腰である必要はありませなんだな。山城守、一度九鬼弥五郎とやらと話をしてもらえるか」
「御本所様の仰せとあらば」
ふぅ。何とか九鬼も取り込む方向で話が動いたか。
まあ、基本的に賢頼の考えは間違ってはいない。俺だって九鬼嘉隆という名前を知らなければ、気にも留めなかったかもしれん。
九鬼家からは将来優秀な水軍頭が出るはずだ、なんて言うわけにもいかんしなぁ。
知ってても言えないってのは辛いもんだ。
貞吉元年(1543年) 十月 近江国蒲生郡 観音寺城 浅見貞則
「総代官様。今年の物成りの様子をまとめて参りました」
「ご苦労。そこに置いてくれ」
米の収穫を控えて、我ら代官衆の仕事も今が一番忙しい。
各地の取れ高の見込みと人別の高を比べ、米が余る郷と不足する郷を洗い出さねばならん。
まったく、総代官などに任命されてからはろくに郷方周りも出来ず、一日中書類仕事ばかりだ。出世などする物では無いな。
ともあれ、急ぎ各地の米の分配計画を定めて御本所様、大本所様(六角定頼)にご報告せねば。
「総代官様。各地の軍勢に送る兵糧米の運搬計画です」
「ご苦労。後で見る。ああ、年貢の前に各地の備蓄蔵に残っている米も確認しておいてくれ」
「はあ?」
「各軍へ支給する兵糧は古米から優先して使う。古々米になれば、さすがに旗本衆も嫌がろう」
「ハッ!」
よし、次は小間物方の報告書だな。
各地の軍勢から請求された物資の補給計画か。
……北軍からの皮足袋の要求がまた増えているな。まったく、一体何に使えばこんなにすぐに痛むのだ。
儂など既に五年は履いておるというのに。
「総代官様」
「おお、伴庄衛門か。今日はどうした?」
「実は、今年から甥の伝次郎に荷駄の差配を取らせたく思います。今後は総代官様の御指図によって伝次郎が荷駄を手配することになります故、ご挨拶に伺いました」
「おう、そうか」
庄衛門の隣に視線を移すと、一人の若者が頭を垂れている。
「伝次郎と申したな。面を上げてくれ」
ふむ。良い面構えだ。
「改めまして、伴伝次郎資忠と申します。以後、お見知りおきを願います」
「浅見対馬守である。伝次郎、見ての通り間もなく荷駄を大量に使わせてもらう。準備の方は抜かりなく頼むぞ」
「ハッ!」
挨拶が済むと二人揃って下がって行った。
庄衛門がうらやましいの。儂もそろそろ総代官の職を誰かに譲りたいものだ。
「総代官様!」
ええい、今度は何だ。
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