第三次六角征伐(5) 佐保川の戦い
・天文十一年(1542年) 閏三月 河内国交野郡 枚方城攻囲陣 蒲生定秀
枚方城を包囲して間もなく一月が経つ。
朝倉宗哲ならばあるいは討って出て来るかと警戒していたが、枚方城に籠った後は一切動く気配を見せんな。ここで動かずとも大和での決戦に河内守(遊佐長教)が勝つと思っているのか。
だとすれば、我が六角の兵を侮り過ぎだと言わざるを得ないぞ。いかに三万の大軍であろうと、いや、大軍であればあるほど、末端の兵の練度が物を言う。農地から離れ、暇さえあれば進退の稽古に明け暮れている我が六角軍がそう易々と敗れると思っているのならば、見込みが甘すぎる。
枚方城に至るまでに二度ほど小競り合いがあったが、いずれも朝倉の兵は弱卒ばかりだった。かつて朝倉宗滴が率いた敦賀衆の猛威に比べれば、まるで児戯に等しい。
あれほどの精強を誇った朝倉兵でさえこのザマなのだ。遊佐の兵も推して知るべしだろう。
そのような弱兵で御屋形様に勝てると思うのならば、見込み違いも甚だしい。
「お奉行様! 城方の投石が激しく、足軽達が怯んでおります」
「盾を出して石礫を防がせよ。無理に城に取りつく必要は無い。足軽を下げて弓戦を主とせよ」
「ハッ!」
「お奉行様。まことに我らはただ枚方城を包囲しているだけでよろしいのでしょうか」
伝令が下がった後、六番組頭の高野瀬小次郎(高野瀬秀頼)が不安気な顔で尋ねて来る。確かに小倉の別動隊が飯盛山城を攻め落とすことは難しい。我らが枚方城を攻め落とさねば、南軍はこのまま交野郡で足止めを食らうことになる。
だが……
「構わぬ。御屋形様は北軍を率いて大和でひと戦なさるおつもりだ。後詰が望めぬ以上は無理攻めで兵を損じるわけにはいかん」
「それは道理ですが、しかし……」
「なに。遊佐の本軍が退けば朝倉とてじきに榎並城に引き上げるさ。大和戦線を押し返せば、北軍はそのまま信貴山城・高屋城へ攻めかかる。高屋城が落ちれば、飯盛山・枚方の両城は河内からの救援が届かぬ孤軍となろう」
小次郎が納得顔に変わる。
大山崎では変わらず摂津国衆と三好勢が睨み合ったままだ。波多野・一色の軍は朽木勢が防ぎ止めているし、我ら南軍が抜かれなければやがて敵は手詰まりとなるだろう。
今は御屋形様を信じ、大和の決戦まで我らが負けぬことが肝要だ。
……ふむ。投石も止んで来たな。
さて、朝倉は次にどう出るか。
・天文十一年(1542年) 四月 大和国添上郡辰市郷 六角定頼
「始めろ」
「ハッ!」
俺の一言で法螺貝の音が響き、同時に平井勢から鳴り鏑が放たれる。佐保川を挟んだ反対側に布陣する遊佐・筒井軍からも鏑矢の応射を受けた。
矢戦の始まりだ。
興福寺を降して態勢を整えた後、六角軍は南へ進軍して辰市八幡宮の辺りに本陣を据えた。まずは大和南郡攻略の足掛かりとして郡山城を奪回する。
郡山城は筒井城にも近い重要拠点だから、当然ながら敵も易々と郡山城を渡すわけにはいかない。だが、名目上とはいえ敵の総大将たる足利義晴はまだ出張って来てはいないから、遊佐本軍との直接対決第一ラウンドというところかな。
敵も充分に態勢を練っている。
佐保川を挟んだ正面には遊佐・筒井軍一万が布陣し、南からは十市・北畠軍五千が陣を構えている。六角軍の兵力は北軍と馬廻を合わせても一万の兵だから、単純に数だけ見ればこちらが不利だ。
遊佐は今回の決戦に全力を出してはいないようだが、出し惜しみをしているのか、それとも五千の兵力差で勝てると思っているのか。
だが、戦争は兵の数だけで決まるものじゃない。
平井弓隊の威力を甘く見ないことだな。
しばらく矢のやり取りをした後、堪りかねて筒井の軍勢が佐保川を渡ろうと進撃して来た。
「長柄を出せ!渡河拠点を……」
伝令に伝えようとして止めた。
既に海北綱親が長柄隊を前に展開し始めているのが見えた。平井隊の矢に堪えかねての進軍だから、盾を上に掲げて矢を防ぎながら川を進んでくる。その態勢で長柄槍を持つのは至難の業だ。
必然、射程の長いこちらの長柄隊が圧倒的に有利だ。
突きに特化した二間(約4メートル)の槍を揃って突き出し、当たるを幸いに敵の渡河部隊を突きまくる。
長柄で正確な突きは難しいが、盾を頭上に掲げているから胴ががら空きだ。筒井の足軽は槍を受けて次々に川中に倒れていく。
見る間に渡河を諦めて後退にかかる。その筒井勢を追ってこちらの長柄隊が粛々と前進していく。
隙が無いな。さすがは海北綱親が鍛え上げた軍勢だ。
「御屋形様」
「うむ。馬廻衆は一時後退。南の北畠を警戒しろ」
俺の言葉を受けて進藤が伝令を走らせる。北軍が佐保川の対岸に拠点を確保したことを確認して平井隊を下げた。
ここから先は、正面の遊佐・筒井は北軍に任せる。本陣は北畠・十市の軍勢を防ぎ止める役目に回ろう。
全て予定通りだ。
四半刻(三十分)ほど北軍が前進する光景を眺めていたが、やがて北畠陣から太鼓の音と鬨の声が響き、長柄を前面に出して進軍して来る。
北畠の進撃は少し遅かった。やるなら北軍が渡河拠点を作り切る前に攻撃して来なければいけなかった。
だが、北畠軍単体で見ればそれなりに統率は取れているな。
「平井勢を南に回せ! それと滝川勢を前面に配置!二射の後、長柄隊を滝川勢の前面に展開!」
「ハッ!」
下知を受けて本陣も動き始める。
北畠の軍勢は未だ十町(約1キロメートル)ほど先だ。今から対応しても充分に間に合うだろう。
平井の矢が今度は北畠軍の頭上に降り注ぐ。同時に滝川隊も発射準備を整えたな。
「御屋形様!」
おっと。
長柄の後ろから騎馬が数十騎動き出したな。ご丁寧に弓矢対策に全員が母衣を着け、弓隊の側面を突くために回り込む動きをしている。
これはマズいか? 鉄砲兵も弓兵も貴重だ。ここで失う訳には……。
”放てー!”
咄嗟に標的を騎馬に変更した一益が突進して来る騎馬隊に向けて鉄砲を発射する。
百丁近くの銃撃音に思わず馬が立ち止まり、馬に鉛玉を食らって落馬する者がざっと二十ほどか。突撃の勢いを止められて面食らっているな。
「こちらも騎馬を出せ!平井・滝川両隊を食わせるな!」
本陣に控える騎馬二百が動き出す。
馬廻には特に選抜した馬術の達者を揃えてあるから、対騎馬戦で力負けすることはないはずだ。
もう一度、今度は長柄隊に鉄砲を発射したところで滝川隊が下がった。
やはり鉄砲と言えども百丁足らずでは戦局を決定づける武器にはならんか。精々敵の出鼻をくじいて先手を取る奇襲にしかならん。
だが、ともあれ主導権はこちらが取ったぞ。
「敵の隊列が乱れた! 足軽隊を前進させろ!」
敵の騎馬を追い散らしたこちらの騎馬がそのままの勢いで敵の長柄の側面に食らいついた。鉄砲隊の銃撃と合わせれば充分な隙だ。
こちらの陣からも鬨の声が上がり、持ち槍を持った足軽が一気に間合いを詰める。
敵も慌てて足軽を出して来ているようだが、既に主力たる長柄兵には逃げ出す者も出始めたな。
おっと。
敵陣から太鼓の音が響くと同時に退却が始まった。
逃げるのは主に北畠の兵か。どうやら北畠は最初から本気で戦うつもりは無かったと見える。まだ戦は序盤だというのに、随分と諦めが早い。
まあ、この調子なら本気で戦っても負けはしなかっただろうがな。
連合軍の悲しさか。誰も彼もが義晴の為に戦っているわけじゃない。むしろ、大和に直接の利害を持たない北畠なんかは無駄に兵を失いたくないってのが本音だろう。
「追撃は無用だ! 兵を纏めたら北軍の後詰に戻るぞ!」
これで本陣を挟撃される恐れは無くなった。
あとは、遊佐の本軍がどこまで粘るかだな。
・天文十一年(1542年) 四月 大和国添下郡郡山庄 遊佐長教
くそっ! 何故だ!何故六角に押されている!
兵の数はこちらが上回っているはずだ!それに六角軍は西と南から挟撃を受けているんだぞ!
六角は全軍を持ってこちらに掛かっては来れぬはず。なのに何故我らが押されているのだ。
「殿!伊勢中将殿(北畠晴具)より伝令でございます!」
「何!通せ!」
待つほども無く本陣に北畠の使番が通される。ちょうどよい。
北畠の圧力が弱いから六角はこちらに兵を向けているのであろう。そうに違いない。この使番に命じて北畠にもっと進軍の圧力を強めるように申し渡そう。
「失礼致します! 北畠家臣鳥尾屋石見守(鳥尾屋茂康)でございます!」
鳥尾屋と言えば中将の側近く仕える重臣であったな。ちょうどよい。ちょうどよいぞ。
「鳥尾屋とやら。いささか南からの圧力が弱くなっておるようだが、中将殿はまさか六角に臆したのではあるまいな」
「ハッ!そのことですが、六角の南の前線は固く、正体不明の轟雷の如き妖術もあり、我ら北畠勢は一旦下がって様子を見守らせて頂く」
……な!
「何を……」
「さらに北伊勢からは本拠地霧山城にも六角の軍勢が迫っておりますれば、状況によっては我らは大和から軍を退かせていただくこともご承知いただきたい。
以上が我が主からの伝言にございます」
「貴様! 今更抜けられると思うのか! これは公方様への明確な反逆だぞ!」
「やむを得ません。公方様が我ら北畠を逆臣として討つと仰せならば、我らとしても兵を持ってこれを迎え撃つ所存。
元々北畠家は足利家と天下を争った間柄でございます」
ぐぬぬぬぬ。
不敵に笑いおって。形勢不利と見て六角に鞍替えするつもりか。
「では、御免!」
「ま、待て!」
「これ以上の問答は不要でござる。御免!」
くっ!
北畠はもはや当てにならぬか……。
「やむを得ん。我らも退くぞ! 信貴山城まで兵を下げよ!」
「しかし、郡山城を放棄すれば筒井もこれ以上六角に対抗することは難しくなりますぞ」
「たわけ者! 郡山城に籠って戦えると思うか! あそこで敵を防げるのならば、そもそも六角が郡山城を放棄したりはせぬわ!
グダグダ言わずに撤退の用意をしろ!」
「……ハッ!」
走井が伝令を飛ばしに行った。
おのれ、六角め。これで勝ったと思うなよ。此度の戦で我らは深刻な傷を負ったわけではない。信貴山城には未だ手付かずの軍勢二万が残っているのだ。それに我らは寸土も失って居らぬ。六角は勝ったと言ってもまだ失地を一部回復したに過ぎぬ。
信貴山城はまだこちらの手にあるのだ。易々と河内へ進軍させたりはせぬぞ。
「殿! 準備が整いました!」
「うむ。筒井に伝令を走らせよ! 我らは撤退する故その方らも筒井城へ急ぎ引き上げよ、とな」
「ハッ!」
全く、忌々しい限りだ。
北畠め。轟音の如き妖術などと言い訳にもならぬことを申し立ておって。六角軍に妖術使いが居る訳でもあるまい。
……そう言えば一時何やら聞き慣れぬ音が佐保川の向こうから響いていたな。
……もしや、本当に?
ええい、惑わされるな。
あんな物は北畠の言い訳に過ぎぬわ。第一六角軍に妖術使いが居るならば、先の尼子との戦でも妖術使いが居たはずでは無いか。だがそんな話は一切聞かなかった。
……いや、そう言えば枚方城ではまるで妖術のように火が吹き上がったという噂があったな。
……ふん。まさかな。
「撤退を急げ!」
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