公家信長!?

 

 ・天文十年(1541年) 一月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



「そうか……平手がそのようなことを……」

「はい。監物殿(平手政秀)も随分とお花の方様にはご意見申し上げておるとのことですが、そもそも吉法師殿の処遇がはっきりせぬ上は根本的にお方様のご不安は消えぬ物と思われます」


 進藤が俺と志野に揃って目通りをと言うから何事かと思えば、まさかお花の暴走にそんな思惑があったとはなぁ。てっきりあれが素なのかと思っていたよ。


 しかし、考えてみればお花の不安も分からなくはないか。

 生まれが違うからやむを得ないとはいえ、同年代の万寿丸の将来が決まり、あまつさえ婚姻までまとまったのを目の当たりにすれば、多少の焦りが出て来るのも理解は出来る。


 俺のように歴史を知っている者からすれば、吉法師……後の織田信長を粗略に扱うなんてのは考えられないことだが、現実に今目の前に居る吉法師はまだ七歳の童子に過ぎん。俺の胸三寸でどうとでも扱える。


 まして、本来吉法師は織田弾正忠家から忠誠の証として預かっている人質だが、尾張が義賢の支配のもとで安定し、かつ織田信広がその治世の中で重要な役割を果たすようになってきた今では吉法師の人質としての価値はかなり低くなった。

 端的に言って、今六角家を裏切ることは織田家にとって何のメリットもないばかりかデメリットしかない。そのような状況で人質が必要かと問われれば、はっきり言って必要無い。

 そして、人質にした経緯を考えれば吉法師を尾張に戻すという選択肢は消える。


 残るは俺の直臣として取り立てる、寺に入れる、くらいか。


 この場合寺に入れるというのは決して悪い選択ではない。かつての俺がそうであったように、今の時代じゃ有力な武家の後ろ盾を得て寺に入るというのは一種の勝ち組人生と言っていい。こうなってしまった以上信長の人生としてはありと言えばありだ。

 だが、お花は恐らく喜ばないだろうな。家督を奪った挙句に寺で長い余生を過ごすことになったとなれば、お花はいつまでも自分を責め続けるだろう。下手をするとその気持ちが吉法師の重荷になりかねない。


 それに、正直もったいないんだよなぁ。なんつっても信長だしなぁ。

 武将としての力量ももちろんだが、柔軟な発想力というやつは何物にも代えがたい。芸事も達者だったはずだから、軍事だけでなく内政や文化事業などでも手腕を発揮できるとは思うんだ。


 と言って、七歳で小姓に召し出すなんてのはさすがに早すぎる。

 有能なのは分かっているが、七歳の童子を小姓に召し出したなんて周囲が知れば妙な噂が立ちかねない。七歳で知略や武芸の器量なんて分かるはずもないからな。


 やはり今はこんこんとお花を諭して吉法師の成長を待つか。場合によってはお花に一筆書いてもいい。それでお花の気が収まるのならな。


「吉法師殿を京で学ばせてはいかがですか?」


 志野がいつものにこやかな顔でさりげなく言う。京での遊学か……。


「俺は構わんが、お花が吉法師を手元から離したがらないだろう」

「ですが、近頃吉法師殿はお鈴さんと色々お遊びになっているようです。色々と新しい物に興味を持たれているのでしょう。この際、京で盛んな学問を勧められるのも一つではありませんか?」


 ――鈴と仲良く遊んでる!?


 思わず進藤の方を振り向くと、進藤もポカンと呆気に取られている。進藤にも報告が行ってないということは、鈴に付けた監視の目をかいくぐって吉法師は鈴に会いに行っているということか。

 所詮子供のやることと舐めていたのか、それとも鈴と吉法師が一枚上手だったのか……。


 というか、志野は何でそれを知ってるんだ?


「お鈴さんから直接聞きました。周囲の方が色々とうるさいから内密にしているが、妙なことは教えていないから心配しないで欲しいと。

 私もそっと様子を伺いましたが、吉法師殿も喜んでいるご様子でしたわ。先日にはお鈴さんから柿の干し方を教わって嬉々として干し柿を作っておられました」


 俺と進藤の反応を見て志野が話を補足する。

 なるほど。つまり鈴は進藤家の者は信用していないが、志野には多少心を開いているということか。というか志野も鈴の来歴を知っているんだから、多少注意するなり、せめて俺には報告するなりしてほしいものだ。


「初めて聞いたが?」

「はい。初めて申し上げました。御屋形様は三河に出陣為されて、それ以降も諸々でお忙しくされていて申し上げる機会がありませんでしたから」


 う……。


 確かに、桶狭間の戦の後、すぐに京に行って大内と尼子の仲裁に走り回っていたな。

 内談衆と共に朝廷からの和睦仲介として山科言継にまで出張ってもらったから、その根回しもあって俺自身も京に出ずっぱりだった。

 幕府・朝廷・六角家三者からの和睦仲介で昨年末に双方矛を収めたが、そうでなければ今でも石見銀山を巡って戦の真っ最中だっただろう。

 困るんだよな。石見の銀は安定供給してもらわないと冗談じゃなく死ぬほど困る。ようやく銀貨の鋳造も始めたところだから、今銀の供給が不安定になれば六角家自体の死活問題に発展する。


 志野と奥で会う時間も無かった。かといって、表で堂々とする話ではないのは確かだ。


「京に遊学か。それで学問を学ばせ、ゆくゆくは公家に取り立ててもらうという形か」

「はい。山科様から有識故実を学んでいただければ、御屋形様のお役にも立つのではありませんか?」

「ふむ……」


 公家かぁ……それは盲点だったな。

 だが、現状六角家の朝廷対策は山科家と近衛家にその多くを依存している。俺自身も参議の位を頂いてはいるが、とてもじゃないが参内している暇なんてない。

 その辺りを吉法師が補完してくれるのならば、確かに悪くないかもしれん。それに公家にするのならば俺の猶子とした上で京に送り出す必要がある。織田家では家格が足りないからな。

 つまり、今まで外注に頼っていた朝廷対策を半ば内製化することが出来ると同時に、その過程で吉法師は自然と俺の猶子となってその立場は飛躍的に向上する。確かに六角家にとっても織田家にとっても、そしてお花にとっても悪い話ではないか。


 織田家にしても、一門の嫡流が公家になったとなれば大いに面目も立つ。織田信広はいわば織田弾正忠家の実務を司り、嫡流たる信長はさらに高みへ上るという形になる。

 仮に信長が公卿にでも列せられれば、武家出身の身としては大出世と言える。史実とはかなり形が違うが、栄達の道であることには変わりない。


 ……ふむ。


「……少し真面目に検討してみるか」




 ・天文十年(1541年) 一月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角鈴



 今夜は御屋形様がこちらへ参られるという報せがあった。

 相変わらず宿直は柳生とかいう若者が務めているけれど、いつも周囲に一緒にいる女中達は皆下がらせよとのお達しだった。

 何かよほど重大なことをお話になるようね。


 ……ま、今の私には関係ない。お頭も大内との戦で討ち死にしたと聞いたし、今や尼子で私が知っているのは繋ぎを務める吉兵衛殿だけ。その吉兵衛殿も近頃では六角家の内情を報せろとはあまり言ってこなくなった。六角家と尼子家の関係が良くなってきたことで私を通じて細かな内情を探る必要性も薄くなったのでしょう。


 もはや尼子の為に働く義理も無くなった。それに、六角家にとっても今更私を通じて尼子家に何かを伝える必要はないはず。私の役目は終わった。

 後は、このまま飼い殺されるだけかなぁ。本当、つまらない人生だったわね。


 床に指を突いて待っていると戸が開いて御屋形様が入って来た。

 私の前ではお酒を召し上がることはないから、まずはお茶を点てて差し上げるのがいつもの流れ。


「随分冷え込んできたな。寒くはないか?」

「ええ、おかげ様で良くして頂いておりますわ」


 ニコリと笑って返す。どうせ情けをかける気も無いのなら、気遣いなど無用でしょうに。

 お茶を差し上げると早速に茶碗を取り上げて口に運ばれる。室内は暖かくしてあったけど、それほど外は冷え込んでいるのかしら。


「近頃、吉法師とよく遊んでいるそうだな」

「ええ。色々と珍しい物を披露してくださいますわ」


 御裏方様から聞かれたのかな。でも、妙な物ね。いくらお側女の御子息とはいえ、人質の吉法師殿をそこまで気に掛けるなんて。


「……何が狙いだ?」

「……別に、何も。私の孤独を憐れんで無聊を慰めて下さっているだけですよ」


 途端に気まずそうな顔をする。

 私をそういう立場にしたのは誰あろう御屋形様ご自身なのですから、少しは罪悪感も感じて頂きたいもの。


「何か望みがあるなら遠慮なく言うといい。今ならば観音寺城の外に好みの屋敷を作ってやることも出来るぞ。今よりも多少は自由に暮らせるだろう」


 望み……望みか。


「そうですわね。折角ですから、吉法師殿のを頂戴いたしましょうか」


 ”ブーッ”と盛大にお茶を吐いて咳き込まれる。

 ただの冗談だったのに、いちいち過剰に反応されるのは見ていて飽きないわね。


「オホホホホ。冗談ですわ」

「じょ、冗談でもそういうことは言うな。第一吉法師とお主がそんなことになれば奥は大騒ぎになるぞ」

「分かっております。ですから、冗談ですわ」


 口元を拭いながらまだ疑いの目を向けて来る。

 やれやれ、本当にからかい甲斐のある殿方だこと。


「……実はな、吉法師を京に遊学させてはどうかという意見が出ている。将来は六角家の後ろ盾で公家として取り立てて頂いてはどうか、とな」


 京に……。

 そう。あの子も観音寺城を去ることになるのか。いずれはそうなるものと分かってはいたけれど……。


「まだ吉法師やお花にはこの話はしていない。お主と吉法師が仲が良いと聞いたのでな。本人達に伝える前にお主の意見も聞いておこうかと――」

「先ほど、望みがあれば申せと仰せでしたわね」

「あ、ああ。何か――」

「御子を……授けて頂きとうございます」


 この想いは本当のこと。吉法師殿と触れ合って、子とはかくも可愛いく楽しいものと初めて知った。お寅様やお花様が我が子を慈しむ気持ちも今なら分かる。


 ……私も子が欲しい。それが嘘偽りの無い望み。


 御屋形様がまだ疑いの残る目でじっと私の目を見て来る。

 釜の中でシュンシュンと湯の沸く音が妙にうるさく聞こえる。


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