第二次桶狭間の戦い(3) 動き出す六人衆

 

 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 桶狭間  柴田勝家



「かかれー!」


 五番組の長柄隊が槍衾を揃えて前に出る。

 昨日の大物見の兵は中々の手練れだったが、我らとしても退くわけにはいかん。守勢に回れば徳川の圧力の前に一気に押しまくられることになる。ここは苦しくとも前に出るべきだ。


「槍先を揃えろ! 隙間を作るな! 空隙があれば徳川は一気に押し込んでくるぞ!」


 ”おおー!”


 横一文字に展開しながら長柄隊が前進する。これならば騎馬が出て来ても槍衾で食い止められる。それに敵は隊伍をしっかりと整え切れてはいない。対して我が軍は視界の悪い中でも左右と足並みを揃えて進軍できている。

 進退の訓練に明け暮れた日々は無駄では無かった。



 ”進めー!”


 む。

 三左(森可成)の六番組も前進を始めたか。このまま六番組と共に徳川を押し込んでやる。


 しかし、厄介な霧だな。

 隣の六番組の動きくらいは見えるが、正面を受け持つ一番組や二番組の動向が掴めん。徳川の攻撃の重点がどこに置かれているかさえ見えれば……。


 突然前から喚声が上がった。あの声は我が五番組の右翼、中央に近い辺りからだな。さては徳川に切り崩されたか。


「騎馬五十ついて来い! 右翼の破れを直しに行く」

「ハッ!」


 号令に続いて五十の騎馬が儂に続く。大身槍を抱え込んで疾走するこの高揚感だけは戦場でなければ得られぬ物だ。

 やがて視界が開けてくると、予想通り右翼の隊列が崩れて乱戦になっている。走っている最中に徳川の旗と騎馬がチラリと見えたが、どうやら騎馬突撃を受けたようだ。周囲には葵の旗を指した騎馬がおよそ三十ほど、それに太刀を持った足軽が数十。

 一か所に一塊になって突撃してきたか。


「雑兵どもを始末しろ! 物頭は騎馬を潰せ!」


 号令と共にこちらの騎馬も乱戦に参加する。儂も騎馬武者を一人突き殺し、右横に迫った馬の脚を払う。槍の柄が前足に直撃し、敵方の馬が足を折って倒れ込む。同時に馬上の男も落馬し、周囲で戦う足軽達が次々に群がる。後は足軽に任せよう。


 もう一人……。


 あの兜首は強敵だな。そこらの者では相手にならぬか。だが奴がこの突撃隊の頭分であることは間違いない。あ奴を葬れば敵は逃げ散っていくはず。


 よし!


「む! いずれ名のある将と見受ける。某は徳川家臣、大久保左衛門次郎忠次!」

「柴田権六勝家! いざ参れ!」

「おお! 本多吉左衛門殿(本多忠豊)を討ち取りし柴田権六とはお主か! 相手にとって不足なし! いざ!」


 左衛門次郎の得物は薙刀か。儂の馬の脚を払おうと薙ぎ払いを繰り出してくる。

 槍の柄で受け止め、返す刀で唐竹に一振り。左衛門次郎が薙刀に両手を添えて頭上で受け止める。儂の槍を軽々と受け止めるとは、出来る。


「さすがは音に聞く柴田の武勇。聞きしに勝る剛腕よ」

「その剛腕を軽々と受け止めるお主の技量も見事」

「まだまだ!」

「おお!」




 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 桶狭間  森可成



「五番組の右翼が敵に食われているようです!柴田様自ら後詰に向かっている模様!」


 権六め。あれほど突出するなと申したのに、組頭自ら前線の後詰に行くとは……。

 やむを得ん。


「こちらは五番組の左翼に重なるようにしろ! 柴田が居らぬ間に五番組が食われては我らも苦しくなるぞ!」


 まったく、いつもいつもあ奴の尻を拭かされる儂の身にもなれ。

 まあ、今回に限ってはあ奴の気持ちも分かるか。


 我らは尾張軍の左翼側に位置しているが、徳川の攻め口はどうやら中央に固まっているように観て取れる。太鼓や打ち鐘の音が右側から大きく聞こえて来るからな。

 とすれば、権六が側衆を率いて右翼に居るのは結果的に悪い判断ではないかもしれん。我ら左翼が大きく旋回すれば、場合によっては徳川の横腹を突く態勢ともなるだろう。権六自身は気付いておらんだろうがな。


 それにしても鬱陶しいもやだ。日も昇り、辺りはすっかり明るくなっている。そろそろこのもやも晴れて来るはずなのだが……。


 ……む。風が出て来た。


「伝令! 三左様! 正面に徳川の軍勢が見えました!」

「慌てるな! 槍衾を敷いて弓隊を後ろに配置! 後続が次々に来るぞ! 槍合わせに入るまでは弓隊はひたすら撃ちまくれ!」

「ハッ!」


 百人隊長が二人、弓隊を率いて前線へと向かう。既に右翼では大きな戦闘が始まっているようだが、我らは我らの仕事をするのみだ。


「長柄隊は右側に重点を置け!」


 百人隊長がまた二人、前線へと向かった。




 ・天文九年(1540年)  十月  尾張国愛知郡 高針村  海北綱親



「止まれ!」


 岩崎城へ向かう全軍に停止を命じる。しばし馬のいななきや人の足音が絶えないが、やがて全軍に停止が伝わると辺りは静けさを取り戻した。


 この音はやはり勘違いではない。かすかに……かすかにだが、風に混じって太鼓の音のようなものが聞こえた。それに、これは鬨の声ではないのか?


「善右衛門! いや、お奉行! 突然停止命令を出して一体どうした?」


 滝川彦右衛門(滝川資清)の後任として一番組組頭となった孫三郎(赤尾清綱)が騎馬で駆けて来る。あ奴はいつまで経っても儂を上役と思っておらんようだな。


「孫三郎、聞こえぬか?」

「む……鬨の声……?」

「そう聞こえる。もしやすると徳川が動き出したのかもしれん。御屋形様のご本陣を目指しているとすれば、我ら北軍は見当違いの方向を進軍しているのかもしれんぞ」


 我ら北軍に与えられた下知は岩崎城の先に陣を取り、徳川の北を扼すこと。だが……。


「孫三郎。お主一隊を引き連れて桶狭間周辺に大物見(威力偵察)に出てくれぬか?」

「……その必要はないようだぞ」

「何?」


 孫三郎が指し示す方角から四半の赤布に金糸で『楽』の字を縫い上げた騎馬が三騎駆けて来る。御屋形様の使番だな。

 軍勢の間を縫うようにして儂の目の前まで来るとヒラリと騎馬から降りて膝を着く。さすがに見事な馬術だ。


「御屋形様からの伝令にございます!」

「うむ!申せ!」

「ハッ! 徳川三河守(徳川清康)は全軍を持って桶狭間に進出。本陣は尾張軍・南軍と共にこれを迎撃する。北軍は南下して徳川の横腹を突け。 以上でございます!」

「相分かった! 急ぎ手勢を桶狭間へ向かわせると申し伝えよ!」

「ハッ!」


 使番が再び馬に跨ると、颯爽と来た道を駆けてゆく。

 やはり徳川が動いたか。


「善右衛門。いや、お奉行。今から全軍で桶狭間へ向かったとしても一刻(二時間)はかかるだろう。騎馬だけ先行させるか?」

「いや、徳川からは我らの足止めの為の部隊が出ているだろう。下手に全軍で南下しても無駄に時間を食うだけだ」

「ならばどうする?」

「お主の一番組は六番組と共に岩崎城の南を目指してくれ。恐らく敵が出て来るから、そ奴らを討ち取ってくれればよい」

「残りはどうする?」

「残りの者は、桶狭間に向かう」

「お前……まさか!」


 ふっふっふ。何の為に我ら北軍が日々走り込みをしていると思っている。


「二番組から五番組は全軍駆け足!今から走って桶狭間に参る!」

「馬鹿はやめろ! 第一槍や弓を持っては走れんぞ」

「槍や弓は置いて行け! 太刀一つあればよい!」


 孫三郎が絶句しておるな。だが、既に賽は投げられたのだ。今は陣形云々よりも一兵でも多く戦場に送り込むことが重要だ。

 四の五の言っているヒマは無い。


「桶狭間まではおよそ二里半(約10キロメートル)。儂の足ならば四半刻(30分)もあれば走り切れる」

「お主を基準にするな。それに皆具足を身に着けておるのだぞ」

「グダグダ言っている間に御屋形様が討たれれば、儂らは一戦もせずに敗退することになるぞ。それでよいのか」

「む……それは……」


 だから言っておるのだ。四の五の言っているヒマは無い。


「全軍! 走るぞぉぉぉぉぉ!」


 ”オオーー!”


 うむ。

 やけくそ気味にも聞こえるが、良い返事だ。さあて、久々に北軍の機動戦術を見せてくれる。




 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 清水山  蒲生定秀



 清水山に登ってようやく桶狭間周辺を視界に捉えた。日が昇り、もやも晴れて来たか。

 御屋形様からは徳川の横腹を突けと下知が来たが、戦況がどうなっているか。


 ……ふむ。


「尾張軍が押し込まれていますな」

「左近(小倉実綱)か。徳川は次々と前線に部隊を送っている。あれでは正面を引き受ける尾張軍は相当に苦戦しているだろう」


 苦戦どころでは無いな。尾張軍の正面は壊滅に近い。左翼から中央に後詰が向かっているが、徳川軍の勢いの前に押し返せずにいる。

 御屋形様の本陣からも後詰が出ているようだが……。

 それに、若殿の旗はどこだ。



「お奉行様。あれを」

「む。若殿の旗。あんなに近くまで徳川が迫っているのか」

「尾張軍の正面は抜かれたようですな。このままでは若殿に徳川の槍先が届くかもしれません」


 迷っている時間はないか。


「左近。徒歩の者はお主に任せる。儂は騎馬を率いて若殿本陣へ救援に参る」

「ハッ! 存分にお働きを!」

「頼んだ」


 箕浦河原以来か。まさか儂自ら槍を振るうことになるとはな……。

 だが、この高揚感はどうだ。久しく前線で戦うことなど無かったからか、自軍の危機だというのに不謹慎ながら気分が高揚している。


 槍を二、三度握りなおす。赤樫の槍のズシリとした重みが腕に伝わってくる。

 日々の鍛錬は今でも欠かしたことは無い。こうして前線で戦う日を心の底では待っておったのかもしれんな。


「各組の組頭は騎馬だけを連れて儂に続け! 徒歩の者は一番組の小倉左近に続け! 尾張軍を救援に参るぞ!」


 ”オオー!”


 馬腹を蹴って一息に駆け出す。後ろからは次々と騎馬隊が動き出す音が響いてくる。

 二千に近い騎馬軍団の突撃を受ければ、いかに三河兵が精強だろうと蹴散らせるはずだ。


 駆けだしてすぐに数騎の騎馬が儂の周りを囲み始めた。

 各組の物頭達だな。


「お奉行様! 露払いは我らにお任せを!」

「源三郎(多賀貞房)か! 生意気な真似をするな!」

「一騎駆けなどと傾いた真似はさせませんぞ! 我ら南軍は『今藤太』殿と共に駆けたいと思って集まった者達にござる!」


 ふん。生意気な。


「ならば必死になってついてこい! 我ら南軍が若殿をお救い申す!」

「ハハッ!」



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