彫金の技

 

 ・天文九年(1540年) 四月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼



 …………。


「お寅、どうした?」

「ふぁっ、ふぁい!?」


 裏返った声でお寅が返事をする。何がなんだか……。


 まあ、状況としては今日はお寅と寝所を共にする日なんだが、寝所に入って来たお寅が何故か真っ赤な顔で巫女装束を纏っている。

 何を言っているのか分からないと思うが、俺も何が起こっているのか訳がわからない。

 物凄く恥ずかしがっているのだけはわかったんだが、恥ずかしいのならやらなきゃいいのに……。


「お花さんから……御屋形様は巫女姿がお好きだと言われて……」

「それでその姿に?」

「お花さんが私たちも何かしなければいけないと……」


 ……ああ、なるほど。

 鈴の事を聞いて俺が巫女好きだと思ったってわけか。そういや、お花は前からそういう所はあったな。だけど鈴の本当の素性をお寅やお花に教える訳にはいかん。しばらくは勘違いしておいてもらおう。

 それにしても、お寅まで巻き込まれているとは……。


 第一、お寅とお花って仲悪いんじゃなかったっけ?

 共通の敵である宇宙の帝王が現れれば、宿敵のはずの下級戦士とも手を組むとかいう例のアレか?


「あの……似合いま……せんか?」


 消え入りそうな声で顔を真っ赤にしてお寅が聞いてくる。


 まあ、何というか……アリだ!

 お花は堂々としすぎてて恥じらいという物が無いし、お鈴なんかは表面上は恥じらっていても本心から恥じらうことがあるのかどうか疑問だ。あの女狐は本心がどこにあるのか見当もつかん。

 それらに比べて、お寅のコスプレ姿は初々しくてイイ!


 いかんな……あんまり浮かれているとまた進藤に説教食らいそうだ。




 ・天文九年(1540年) 五月  近江国浅井郡 小谷城跡地  六角定頼



 出雲からの鉄はまだ到着してはいないが、ともあれ試作品の鉄砲五丁を使って鉄砲隊の核になる物頭の育成を始めている。鉄砲の構造を理解し、射手に的確に指示を出せる人材を育てなければいくら鉄砲を量産しても意味が無い。

 その為には、まずは物頭候補の者達が鉄砲の扱いに熟達しなければと思い、小谷城の跡地に囲いを作って鉄砲の練習場を作らせた。鉄砲演習は今のところ極秘の軍事機密だから、人目に付き辛い小谷城跡地だけで運用している。


 鉄砲物頭の筆頭は滝川一益だ。

 史実でも相当の鉄砲の達者だったというが、やはりセンスが段違いなのだろう。鉄砲の構造や強み弱みをあっという間に理解し、善兵衛と共にさらなる改良に取り組んでいる。

 今日はその一益から鉄砲について重大な報せがあると言われて足を延ばしたというわけだ。


「御屋形様! わざわざお運び頂きありがとうございます」

「いや、鉄砲の事となれば観音寺城に来させるわけにもいかん。俺がこちらへ来るのは当然のことだ。して、何があった」

「まずはこちらをご覧ください」


 言いながら一益が差し出した鉄砲を見る。一見すると問題など無いように見えるが……。


「ここの絡繰り部分です。引き金を引いて火縄を火皿に落とす絡繰りが破損し、引き金を引いても火縄が動かぬようになってしまっております」


 一益に言われて絡繰り部分を詳細に点検する。

 ……そうだな。一益の言う通り、絡繰りの心臓部である板バネが破断してしまっている。試しに引き金を引くが、絡繰りはピクリとも動かない。


「どのくらいでこうなった?」

「おおよそ二か月の間、晴れた日は毎日射撃練習に使っておりました。他の鉄砲も程度の差こそあれ同じ不具合が出ております。無論、毎日手入れは欠かさず行っておりました」

「ふうむ……素材、かな?」

「恐らくは。どれも同じような時期に絡繰りが壊れるというのは絡繰りを作る材料に問題があるのかと……」


 絡繰りは青銅製だったな。本物は何で作ってあったんだろうか。

 国友資料館で見た鉄砲の絡繰りは黄金色に輝いていた。恐らく銅合金の一種だと思うんだが……。


「実戦で使用するとして、絡繰りの耐久性は問題になるか?」

「ひと戦やふた戦で駄目になることは無さそうです。恐らく合戦の合間に新たな絡繰りに交換すれば実戦には十分使えるかと思います」


 要するに現状の絡繰りを使い続けるなら、合戦の度に絡繰り部分を交換しなきゃならんというわけだ。コストが馬鹿みたいに掛かってしまうな。



 ……そうだな。新素材の開発は善兵衛にさせるとして、素材はそのままで強度を上げる工夫が出来ないかやらせてみよう。

 ちょうど京から彫金師の後藤四郎兵衛を招いている。


 四郎兵衛を招いたのは、天下一品と言われる彫金技術――特に銅板に文様を刻む技術を近江に伝えてもらうためだ。八幡山の辺りに四郎兵衛の住む屋敷を作らせ、六角家臣の子弟の中でも手先の器用な者を弟子として鍛えてもらうように依頼した。


 目的は米切手の改良だ。


 あれから色々考えたが、米切手を通貨として運用するという発想そのものは悪くないように思う。六角領は米が豊富だから、貴金属と違って米を本位とした兌換紙幣ならば六角領内で完結できる。いわゆる石高制をブラッシュアップした制度に移行するわけだ。

 米切手を高額紙幣として発行し、その下に銀貨・銅貨を硬貨として導入する。それならば、最悪石見銀山からの銀が途絶えたとしても経済的混乱は限定的だ。


 戦前の日本において、硬貨というのは戦略物資を国内に滞留させるという側面もあった。アルミニウム、銅、ニッケルなどの重要な戦略物資を硬貨という形にして国内にストックしてあったということだ。特にニッケルやアルミはほぼ輸入に頼っていたから、有事の際に海外からの調達が途絶えた場合は民間から回収した硬貨を鋳つぶして必要な機械類や道具類――つまり、兵器の材料として活用した。


 銀貨や銅貨も同じ目的で滞留させればいい。

 六角領内に銀の流入が止まった際には銀貨・銅貨の代わりに新たな小額紙幣を発行する。そうすれば、対外貿易用の貴金属をある程度領内から調達できる。通貨の形であれば、民間の両替屋や商人の蔵に滞留しているわけだからな。


 だが、そのためには最大の問題がある。

 紙幣ならば偽造の危険が付きまとうということだ。事実、今回の米切手でも偽造切手がかなりの量出回った。紙とインクで作れるのならば、これほど手軽な金儲けは無い。

 例えば堺や河内の商人あたりが大量に偽札を作り、それを六角領内にばら撒けばあっという間に金融危機が訪れる。


 だから、六角家の彫金技術を向上させることにした。つまり、余人には偽造できないような精密な原版を作らせればいいということだ。

 戦国時代の日本にも印刷技術はある。主に経典の印刷に用いられる五山版などが代表的だ。印刷技術のさらなる発展と精緻を極めた芸術品レベルの原版があれば、紙幣の偽造は限りなく困難となるはず。それだけの版を真似られる技術を開発するには途方もないカネと労力が必要になるし、相手が開発している間にもこちらの技術は進展する。


 コストとリターンが見合わなければ偽造紙幣を手掛ける者は少なくなる。現代で何故米ドルや中国元に対して日本円の偽札が少ないかと言えば、まさにそのコストとリターンの問題があるからだ。


 世界的に見ても最高品質の芸術品とも言える日本円札は、偽造するための莫大な手間に対して使えるのは日本国内だけという超限定市場であり、かつ偽札が発覚すれば地の果てまでも追う優秀な警察組織が目を光らせている。米ドルのように一発作れば世界中で使えるという物でもなければ、中国元のように手軽に偽造できるような品質でもない。要するに偽札を作る手間に対して割に合わない。だからこそ日本円の偽造は極端に少ない。


 この時代なりの最高水準の印刷技術を米切手に詰め込めば、少なくともそう易々と偽造出来る物にはならないはずだ。仮に偽札が出回ったとして、それほどの技術水準を持つ者となれば容疑者はかなり絞り込める。偽札の摘発も格段に容易になる。


 そういう訳で、当面の間は出雲から輸入した銀で代用しつつ六角家お抱えの彫金師の育成を始めた。

 後藤四郎兵衛がお抱えになってくれればいいんだが、四郎兵衛は既に足利幕府お抱えの彫金師だ。今回の招聘も義晴に頼み込んで貸してもらっているのが実情だ。


 その四郎兵衛の技術を盗ませるのに、絡繰りの改良というのはちょうどいい試験問題になるだろう。四郎兵衛を中心に絡繰りの強度を上げる彫金細工を工夫させれば、その過程である程度四郎兵衛の技を盗むことができるはずだ。


 それに、本当に加工によって強度を確保することが出来れば一石二鳥だしな。


「わかった。素材や構造の強化についてはこっちで考える。久助(滝川一益)は引き続き、鉄砲隊の運用の工夫をしておいてくれ」

「ハッ!」


 次々に問題は出て来るが、必要な物も見えて来た。

 結局は産業技術の発展が通貨問題も鉄砲問題も解決するということだ。今後も様々な技術開発は続けていかねばならん。商売とは別に、何か大学のような専門の研究開発機関を作ってみるのもいいかもしれんな。




 ・天文九年(1540年) 五月  摂津国武庫郡 越水城  松永長頼



 ”松永ー! 松永はおらんか!”


 近くでご家老様(篠原長政)の声が響く。どうやら兄上を探しておられるようだ。


「おお、甚介。お主の兄上を知らんか?」


 廊下で後ろから声をかけられて振り向くと、ご家老様が立っておられた。


「これはご家老様。あいにく今日はまだ姿を見ておりませんが」

「そうか。見かけたら儂が探していたと伝えておいてくれ」

「承知しました」


 儂が頭を下げると、ご家老様が踵を返して向こうに行かれた。城内には再びご家老様の声が響く。

 まあ、恐らく兄上はあそこだろうな。



 物見櫓に登ると、予想通り兄上が櫓から城の外を眺めている。やれやれ、城代として越水城を任されて二月が経つというのに、兄上も良く飽きないものだ。


「ここでしたか」

「甚介か。どうした?」


 今にも泣き出しそうな眼差しを外に向けながら、兄上が背中越しに返事をする。殿から越水城を任せて頂いたのが余程に嬉しかったようだな。


「よく飽きませぬな」

「飽きるものか。何度見てもここから見る景色は最高だ。なにせ……」

「兄上が殿より任された領地でありお城ですからな」

「そうよ。うだつの上がらぬ我が身に降って湧いた好機と思い、殿の元に馳せ参じて四年。一郷くらい任せていただける身になれればと思い働いてきたが、まさか一城を任せて頂けるとは……」


 フルフルと感動に肩を震わせながら相変わらず外を眺めている。まあ、兄上の気持ちも分かる。

 殿の分国が摂津一円に広がったことで西岡から付いてきた者達も様々に取り立てられた。中でも兄上は西岡衆では一番の出世頭だ。


 名目上は播磨や淡路島への備えとなっているが、越水城は元々殿が幼時を過ごされた城でもあるし、お父上の頃から三好家の摂津の本拠として使われて来た由緒ある城だ。殿は越水城よりも京に近い芥川山城を本拠とされているが、それでも越水城を任されるというのは相当に殿からご信任頂いた証と考えて良いだろう。


 兄上が感激するのも当然と言えば当然か。


「甚介。儂は必ずや殿のご期待に応えてみせるぞ。播磨を切り取り、三好家をお父上の頃よりも大きくして見せる」

「頼もしいことですな。ですが、播磨の前に丹波です。間もなく某も丹波攻略の先陣を仰せつかるとのこと。兄上には負けませんぞ」

「うむ。丹波は丹波で疎かに出来ん。殿の御為、お互いに励んでゆこう」


 そう言って兄上が振り返った瞬間、櫓の下から再びご家老様の声が響いた。


「あ、そういえばご家老様が探しておられましたよ」

「ば、馬鹿者!それを早く言わんか!」


 やれやれ、城代になってもまだご家老様には頭が上がらぬようだ。

 まあ、新任の兄上の相談役として殿から付けられた故、無理もないか。


「松永ー!ここにおったか!」

「ご、ご家老様!気付くのが遅れて申し訳ございません!」

「かまわぬ。それより、儂はこれから堺に参る。しばし戻らぬから留守の間しっかり励め」

「ハッ! して、堺へは何用で?」

「近頃巷で風氣の病(風邪)が流行っておるだろう。お方様がどうやらその病に罹られたそうでな。京より医者を招いているが、堺からも薬を手配するようにと殿から直々に文が参ったのだ」


 風氣の病……確かに近頃では摂津のみならず京でも病を得る者が少なくないと聞く。熱によって死ぬ者も出ているそうだ。

 お方様がそれに罹られたのならば、殿も気が気ではないだろうな。


「承知いたしました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「うむ。儂が留守の間も郷村の見回りを欠かしてはならんぞ。城主たるもの常に領内の変化に目を配らねばならん。公事の裁きも大事だが、領内の事をしっかりと知っておくことも大切だ」

「ハッ!」


 やれやれ、頭が上がらんのは相談役だからというだけでもなさそうだな。

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