天賦の才
・天文七年(1538年) 三月 山城国紀伊郡 横大路 磯野員宗
「耐えよ!今しばし耐えよ!ここを抜かれれば京を木沢に渡すことになるぞ!者ども、耐えよ!」
おのれ木沢め。越水城で戦をしていたかと思ったらいきなり京に襲い掛かって来るとは、一体何を考えている。急変を聞いて急ぎ小泉城から駆け付けたが、たったの三千では十分に支えきることが出来ん。せめて桃山砦があったなら……。
いや、今更言っても詮無き事。
「あと一日耐えればお奉行様が南軍全部隊を率いて参られる!御屋形様もおっつけ京に来られる!今この時を耐えよ!」
「磯野様!右翼の陣が崩れ出しております!」
「後詰に今井隊二百を入れろ!一旦前線を下げて陣を建て直す!」
「無理です!右翼に攻めかかっている部隊が猛烈な勢いで進撃してきます!」
くそっ! 先頭のあの男か!
我が組の右翼が散々に食い破られているではないか!
「矢を射かけて先頭の男を始末できんのか!」
「既にやっていますが、太刀で悉く払い落とされます!」
おのれ、何者だ。あれほどの手練れならば噂の一つくらい聞こえて来ても良いというのに、あの旗印は今まで見たことも無い。
「やむを得ん。儂が右翼の後詰に回る!」
「しかし……あっ! 磯野様、あれを!」
副長の目賀田次郎(目賀田忠朝)の声で視線を向けると、桂川の向こうに軍勢が出現したのが見えた。あの馬印は……。
「三好孫次郎様か……」
孫次郎様には小泉城の守りをお願いしていたが、我らが苦戦すると見てこちらに後詰に来て下さったか。
しかし、無茶なことを。孫次郎様に万一のことあらば、我らは御屋形様に申し開きできぬというのに……。
だが、正直助かった。崩れかけた右翼が援軍を得て息を吹き返している。これならばもうしばらく戦える。
中央、左翼はなんとか保っているな。問題は右翼のあの部隊だけか。
「磯野様、三好軍が川を渡って駆け付けてくれています」
「見ればわかる。儂らも右翼へ行くぞ。孫次郎様に万一のことあらば我らは生きていられぬ。続け!」
「ハッ!」
・天文七年(1538年) 三月 山城国紀伊郡 横大路 松永長頼
「そりゃそりゃそりゃぁぁぁぁぁ!」
よし! 敵の横腹に風穴を開けた!
六角軍の右翼に食らいついていた敵の動きが止まったな。この傷口を広げれば、後ろから殿の本軍が突撃して来られるだろう。
「者ども!ここで死ねることを最大の武功と思え! 儂と共に死ね!」
「オオー!」
よし、軍勢の気勢も上がっている。これならば十分に戦って行ける。
馬を駆けさせながら長巻を振るう。
一つ、二つ、三つ、
首が飛び、あるいは骨の折れる感触が手に伝わる。さすがは厚重ねの剛刀だ。並みの長巻では全力で振ると折れてしまうことも多かったが、これは折れる気配一つない。
「道を開けろ! 儂の行く手を塞ぐ者は弾き飛ばされるぞ!」
敵の足軽が算を乱して逃げ散っていく。わはははは。もう一息で六角軍の右翼に到着してしまうぞ。
む!
儂の前に立ちふさがる者が居るか!
「どけえ!」
長巻を振る。……手ごたえが無い?
儂の斬撃が難なくいなされたというのか。
ぬ!
返す刀で馬の脚を狙って来る。長巻を引き戻して敵の太刀を受けたが、危うく馬から振り落とされるところだ。太刀一本で馬上の敵にも対応して来るとはなかなか見事。我が軍の後続も次々に到着している。ここは儂も徒歩になってこの男を抑えねばなるまい。
「馬を任せる! 周囲の敵を蹴散らせ!」
「ハッ!」
副将に周囲の制圧を任せて目の前の男に集中する。太刀を中段に構えるとは、変わった男だ。戦場ではほとんどの者が上段から振り下ろすというのに。
「ゆくぞ!」
「参れ!」
一足飛びに飛び掛かり、上段から長巻を振り下ろす。敵の太刀の間合いの外だ。正面から受ければ太刀ごと頭の骨をへし折ってくれる。
ぬ!
まただ。太刀の腹で滑らせて受け流された。こやつ、出来る。
態勢の崩れた儂に向かって逆袈裟に斬撃が来る。危ない!
飛び退って避けたが、顔の皮を斬られたか。
「やるな! ゆくぞ!」
「応!」
今度は長巻を水平に薙ぎ払う。これならば受け流すことは出来まい。
ぐぬっ! 今度は上へ弾き飛ばすとは。
いかん! 敵の突きが来る!
「おお!」
「くっ!」
態勢を崩しながらの蹴りだ。儂も尻もちをついたが、敵も態勢を崩した。
・天文七年(1538年) 三月 山城国紀伊郡 横大路 柳生家厳
この若造、なんと器用な男だ。
態勢を崩した所へ首に突きを放とうとした瞬間、まさか蹴りを出してくるとは。おかげて受けた腕が痺れておるわ。
だが、一旦倒れれば起き上がる隙を与えぬ。
「ちぇい!」
む。儂の斬撃を転がって避けたか。
益々気に入った。太刀筋を見るにまともに兵法を学んだとも思えぬが、天賦の才だけでこれだけの動きが出来るとは。
だが、逃がさん!
「せい!」
「くそ! くらえ!」
うぬ!
土を目に投げつけおったか。右目が痛んで開けられん。これでは間合いが計れぬ。
立ち上がった若造が再び長巻を水平に構える。
弾かねば……。この剛腕で切りつけられれば、太刀を折られる。
くっ! 受け損ねた。太刀が半ばから折れてしまったか。
そして、敵の後詰も到着した。これまでだな。
「あっ!逃げるな!」
「若造!勝負は預ける! 名を聞いておこう」
「儂は三好家臣、松永甚介長頼!」
「松永甚介。その名、覚えておくぞ! 儂は柳生新次郎家厳だ!」
「待て! 首を置いて行け!」
待てと言われて待つ馬鹿がどこにいる。
右目がようやく開くようになってきた。何とか脇差で敵を切り開いて逃げなければ……。
・天文七年(1538年) 三月 山城国久世郡 淀城 木沢長政
くそっ。
六角め。いつの間にか京の部隊を三千に増やしていたとは……。
だが、それでも十分すぎるほどにこちらが優位だったのだ。まさか六角の本軍がこれほど早くに上洛して来るなど計算外もいいところだ。
どうする……このまま京で六角と睨みあっていても後ろを越後守(三好政長)に突かれれば終わりだ。
「殿! 信貴山城の中務丞様より火急の報せにございます!」
「信貴山からだと……申せ!」
「ハッ! 遊佐河内守(遊佐長教)が高屋城に兵を集めているとの由。ほどなく信貴山城に攻めかかるものと思われる。至急後詰願いたい。
以上です!」
くぬぬぬぬ。
信貴山城は未だ普請が完成しておらん。今攻められたらひとたまりも無い。信貴山城を抜かれれば、飯盛山城まで一息に攻められる事態となってしまう。越後守に加えて遊佐までも動くとは……。
つくづく越後守は嫌らしい手を打ってきおる。あの腸の腐れ者が。
「新次郎!」
「ハッ!」
「儂は主力を率いて飯盛山城に戻る。信貴山城を落とさせるわけにはいかん。お主はここ淀城で六角を防ぎ止め、主力が決戦に及ぶ時を稼げ」
「……兵はいかほどいただけましょうか」
「一千を残してゆく」
「……」
新次郎の顔が曇る。六角は本軍の到着で三万の軍勢に膨れ上がっているから無理もないが……。
「良いな、必ず守り通してくれい」
「……承知いたしました」
・天文七年(1538年) 四月 山城国 京 小泉城 六角定頼
木沢が京へ矛先を向けたと聞いた時は焦ったが、三好政長から連絡を受けて南山城再遠征の事前準備として京に軍勢を集め始めておいてよかった。それに、頼長にも助けられたと聞いた。
磯野ら一番組の者と頼長には後でしっかりと報いておかねばならんな。
さて……どうするか。
淀城に籠る兵は少ない。一息に揉み潰して南山城に進軍してもいいが、出来れば兵の損耗は避けたい所だ。
「御屋形様。真木島掃部助殿(真木島晴光)より文が参りました」
「新助か。真木島はどうだ?」
「はっ。我らにありったけの船を提供すると申し出てきております」
「ふふ。真木島の目にも木沢はもう終わりだと映るか」
「そのようですな」
まあ、無理もない。
京の奪取に失敗した木沢長政は柳生家厳を
幕府から逆臣と認定されてしまった木沢からは次々に人が離れている。
木沢を頼りとしていた摂津国人衆も木沢の元を離れ、三宅や伊丹、さらには最初に援軍を求めたはずの塩川までもが木沢と縁を切って遊佐長教の元に逃亡している有様だ。
本願寺には俺からも『木沢に味方すれば、後でどうなるかわかってんだろうな』って文を送っといたから、まあ三好元長の時みたいに一揆に助けてもらうってのも期待薄だ。そして、大和国人衆は柳生を除いて次々に木沢を見捨てて本領に帰っている。それらを追討するにも軍勢が足りず、おまけに高屋城に居た親木沢派の斎藤親子は遊佐長教によって処刑された。
今の木沢は、いつ遊佐が攻めかかって来るかわからない状況で迂闊に信貴山城を離れられないでいる。
細川晴元は三好政長を中心に飯盛山城を窺う体制を保ちつつ南山城や北河内の国人衆を次々に懐柔して行っているし、飯盛山城もいつ攻められてもおかしくない。
よくもまあ、これだけ全方位を敵に回したもんだと逆に感心するよ。どこか一か所とは誼を通じておこうとは考えなかったんだろうか。
ともあれ、淀城は捨て殺しにされたと見ていい。これ以上意地張っても無駄だぞと柳生には使者を送っているんだが、どうも頑固に攻めるならいつでも攻めろという返事を返してくる。
そんなに死に急がなくてもいいだろうに……。
それに、柳生と言えばあれだよな。石舟斎の関係者だよな。
出来れば降って欲しいねぇ。弓術だけじゃなく剣術の道場も開けるんじゃないかと期待してしまう。塚原卜伝は関東に行ったきり戻って来ないらしいし、今じゃどこに居るのかも良くわからん。
それよりも目の前に居る柳生を配下に加えられれば手っ取り早い。
いっそのこと、真木島から借りた船で巨椋池を回り込み、淀城を後回しにして南山城に進軍するかな。
周囲を完全に六角に囲まれれば、いくら柳生でも観念するだろうしな。
「御屋形様、伴庄衛門様が大至急お目通りを願いたいと参っております」
「庄衛門が? 庄衛門は敦賀じゃなかったのか?」
「それが、急ぎの用件であるとかで」
話を上げて来た近習も困惑顔だ。
ふむ。庄衛門がどうしても俺に伝えなければならんということは、それだけ緊急なのだろう。
「分かった。ともあれ通してくれ」
「ハッ!」
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