第一次六角包囲網(2)強訴

 

 ・天文五年(1536年) 十月  山城国紀伊郡桃山  磯野員宗



 とりあえず桃山一帯に土塁と逆茂木は作れたか。

 しかし、南軍の普請も手際が悪くなったものだな。京の再建を普請組に任せきりにしていたのが不味かったか。桃山砦の普請を機に、簡単な普請であれば南軍の中で手早く済ませられるように一度工夫してみるか。良い考えがあればお奉行様(蒲生定秀)に進言してみよう。


「おーい!磯野ぉ!」


 二番組の小倉左近(小倉実綱)が慌てた様子で駆けてくる。普段冷静な左近があれほどに慌てるとは珍しい。


「どうした?左近。そんなに慌てて」

「京から火急の報せが参った!山法師共が御所に強訴すると息巻いて、神輿を担いで八瀬を下って来ているそうだ!」

「何!?」


 強訴などと穏やかではないな。御所へと言うが、事実上は御屋形様に対しての抗議であろう。


「比叡山は一体何に怒っているのだ?」

「それが……御屋形様が近江国内の山門領を没収し、座を解散させたらしい」


 なるほど。それでは坊主共が怒り心頭になるのも無理はない。観音寺城への陳情ではなく御所への強訴に出るところを見ると、御屋形様に恥をかかせて武威を貶めるつもりか。


「お奉行様(蒲生定秀)は全組頭を急ぎ本陣に集めよと申されている。お主も普請の監督をしている場合ではないぞ」

「わかった!すぐに参る!」



 左近と共に普請用の粗末な仮小屋に参ると、陣幕を張って仮の本陣とされていた。こうして見ると、やむを得ぬとは言え天下に武威を轟かせる『今藤太』殿の本陣としてはあまりに貧弱だな。

 陣幕を上げると、お奉行様と四番組の多賀、五番組の栗田が座っていた。儂と小倉左近で最後か。


「遅くなり申した!」

「よし、揃ったな」


 左近と共に末席に座ると、お奉行様が一座を見回す。お奉行様も顔つきが厳しいな。なかなかに容易ならざる事態ということか。


「皆も聞いていると思うが、比叡山から山法師共が強訴の為に入洛を図っているとの報せが参った。松ヶ崎城で食い止めるべく伊勢守殿(伊勢貞孝)が城に籠ったとのことだが、如何せん多勢に無勢だ。山法師は三千の僧兵を揃えているらしい」


「伊勢守殿はどれほどの兵を率いて籠られたのですか?」

「兵数二百。それも搔き集めてやっとのことだ」


 一座にざわめきが広がる。いかに相手が烏合の僧兵崩れとは言え、十倍以上の兵力差ではそう長くは保つまい。


「小泉城に居残る三番組の三雲八郎(三雲孝持)と六番組の高野瀬小次郎(高野瀬秀頼)はすぐに松ヶ崎城の後詰に出るように下知を出したが、桃山の陣からも兵を出す。磯野、小倉」

「ハッ!」

「ハッ!」


「その方らの両組は儂と共に松ヶ崎に参る。すぐに組下の者をまとめて出立の用意を整えよ」

「承知いたしました!」


「多賀は桃山の守備、栗田は空になった小泉城の守備に戻れ。砦普請は一旦中止とする」


「承知いたしました!」


 戦か。僧兵相手では敗れることはあるまいが、伊勢守殿が万一にも討ち死にされれば公方様に対して御屋形様が面目を失うことになろう。

 進軍を急がねばならんな。




 ・天文五年(1536年) 十月  山城国乙訓郡物集女城  松永久秀



「では、行って参るぞ!」

「ハッ!ご武運をお祈りいたします!」


 馬上の殿の一声に合わせて三好勢二百が物集女城の城門から続々と出ていく。今回は米の収穫期に合わせて反抗的な地侍の領地を刈り働きに出られた。

 元より近江からの援助で物集女城には今年の兵糧はおろか、来年の収穫が無くとも兵を食わせていけるだけの蓄えがあり、出陣の目的は地侍共の兵糧を枯渇させることにある。地侍共を糧食で追い詰めようとは、我が殿も若いのに似合わず考えることが恐ろしいな。

 まあ、主君としては頼もしいというものだが。


 近頃は弟の甚介を好んで召し使われる。今回も先手衆として甚介に兵を率いさせて下さっている。もちろん儂としても有難い限りだし、儂はどちらかと言えば戦働きよりも算勘の働きの方が得意ではあるから、それは構わん。構わんのだが……。


「さて、松永よ。今日も殿が出陣されている間にしっかりと講義をして進ぜよう」


 見送りの頭を上げた途端にご家老様(篠原長政)の手が肩に置かれる。これだけは何とかならぬものか……。

『新参者にはまず三好家のことをしっかりと覚えてもらわねばならぬ』と言われて毎日毎日一刻ほども三好家の由来や歴代の事績を話して聞かされる。

 いい加減この爺様には付き合い切れぬぞ。


「は、ははは。ご家老様、有難いのですが今日は収穫を終えた綿の実の検分を致さねば……。それに、米の出来も見回らねばなりませぬし……」

「ふむ……。確かにそれは重要なお役目だな」


 ふう。ちょうど綿花の収穫があってよかった。今日は殿がお戻りになるまで蔵に籠っているとしよう。


「ならば、今日の講義は半刻ほどでまとめよう。今日はいよいよ殿の曾祖父である之長公が等持院の露と消えるくだりだ。憎っき道永(細川高国)が近江より逆襲を仕掛けた痛恨の一事を聞けば、何故我らが道永を討ち果たさんと阿波から海を渡ったのかも理解できよう」

「あ、いや、その……」

「わっはっはっは、遠慮はいらん。お主のような新参者にはまず三好家のことをしっかりと覚えてもらわねばならぬからのぅ。さあ、ついて参れ」


 やはりこの爺様からは逃げられんのか……。


「さあ、どうした?早く儂の部屋まで参るが良い」


 仕方ない。せめてものこと、今日は早く終わるように祈ろう。


「ハッ!ただいま!」




 ・天文五年(1536年) 十月  摂津国島上郡芥川山城  細川晴元



「上屋形様(細川晴元)。三宅城の三宅出羽守(三宅国村)が細川八郎(細川晴国)の首を届けて参りました」

「うむ。見せよ」


 越後守(三好政長)が合図すると、近習が縁先に布を敷き、その上に首桶を置く。立ち上がって縁先まで出ると蓋が外され、塩漬けにされた首が顔を覗かせている。

 さぞや苦しんだようだな。苦悶の表情をしている。


「ふはははは。良いザマだ。亡き道永の最期を見てもなお儂に逆らうからこうなる」

「これで摂津で上屋形様に逆らう者は居なくなりましたな」

「うむ。ここまで長かったわ」


 儂が阿波を出てから既に十年か。本当に長かったな。


「いよいよ京に上って天下に号令する時が来たな。今の幕政は六角に握られておるが、本来は我が細川京兆家が管領として天下を差配するのが当然だ。いつまでも六角に天下の権を預けたままでは居られまい」

「そのことですが、今はまだ時をお待ち遊ばされるがよろしいかと」


 ん? 越後守め。もしや臆したのではあるまいな。


「妙に弱気ではないか。比叡山からも六角を攻めて欲しいと要望が来ていたであろう。木沢や北畠と力を合わせれば六角をすり潰すこともできるだろう」

「公方様の動きが見えませぬ。首尾よく六角を追い落としたとして、その後に公方様との仲が悪くなっては何かとやりにくくなりましょう」


 ふむ……。

 確かに公方は管領たる儂が居るのに、あてつけがましく『内談衆』などを作って独自の政をしようとしておる。公方には管領が居れば十分だというのに、内談衆などは無用の長物でしかなかろう。


「しかし、ならばどうする?」

「木沢に援軍を送られませ。今はそれで充分にございます。木沢を先鋒と考えれば、本軍たる上屋形様は京の情勢が決まってからご出馬遊ばされるのが常道にございます。木沢が六角を打ち破れれば良し、勝てずとも六角が近江に引っ込めば、公方様は自然と上屋形様を頼って参ります。

 交渉は相手から頭を下げさせるのが上策かと」


「木沢が負ければどうするのだ?」

「その時は、我らが南山城を抑えれば良い。摂津・南山城・北河内を抑えれば六角とも十分に渡り合っていけまする」


 ふふふ。越後守め、相変わらず良く知恵が回る。


「良かろう。ならば越水城の孫四郎(三好長逸)と右衛門大輔(三好政勝)を援軍に向かわせよ」

「ハッ!」




 ・天文五年(1536年) 十月  山城国 京 室町第  足利義晴



「何故だ!かように猫丸が怯えているではないか!」

「ですから、近江宰相様からは『公方たる者軽々に移座されるは天下の侮り払い難く』と申し送って来ております。伊勢伊勢守も蒲生左兵衛大夫も松ヶ崎城にて山法師と戦っておりますれば、ほどなく強訴の衆徒は退けられましょう」


 何故だ。何故宰相は余を京に留めおこうとする。今は一刻も早く近江に迎える手筈を整えるべきであろうに、余の命を軽んじておるのか。


「近江宰相様は移座されるにしても菊幢丸君と御台所様だけに為されませと申されております。そこまで申す以上は近江宰相様が責任を持って事を収められましょう」

「しかし……しかし、これほどに猫丸が怯えているではないか」

「ならば、猫丸君も菊幢丸君と一緒に瓜生山に参られるようにされれば……」

「たわけ者!猫丸が余の側を離れたがると思うのか!」


 常興は何を見ておるのか。余と猫丸は今や互いに離れて生きてゆくことなど出来ぬ。かほどに固い絆で結ばれた者を引き離すとは、鬼畜の所業とはこのことだ。


「ならば、猫丸君共々心安らかにこの御所にてお過ごし下さいませ」

「……もう良い。下がれ」


 常興が一礼して下がっていく。まったく、宰相はああ申している、宰相はこう申しているとうるさい男よ。貴様の主は余か宰相か一体どちらだと思っておる。


 ……しかしまあ、常興の申すこともわかる。確かに宰相は神輿を入洛させぬように手を配っている。その宰相が申すのだから、この室町第まで神輿は決して運ばせぬという決意なのだろう。


 どれ、猫丸と共に菊幢丸の顔を見に行くか。近頃は菊幢丸も活発に動くようになったし、猫丸にも興味を持っておる。余の大切な菊幢丸と猫丸が仲良く戯れる様はいつまで見ていても飽きぬものだ。



 そういえば近頃では怒りを覚えることが少なくなってきたな。先ほどは思わず怒鳴ってしまったが、声を荒げるのも随分と久方ぶりに思える。以前は何をしていても苛々イライラしてしまい、時には眠れぬこともあった。だが近頃では眠れぬというほとでは無くなってきた気がする。


 何をやっても気持ちが晴れぬ時はあるが、そんな時でも猫丸と菊幢丸だけはいつまでも見ていられる。

 幼子とは不思議な物よな。

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