深夜の参内

 

 ・天文三年(1534年) 五月  近江国蒲生郡 観音寺城下蒲生屋敷  蒲生定秀



「では、行って参る」

「御武運をお祈りしております」


 妻の辰が大きな腹を抱えて見送りに出てくる。遊女遊びの件ではだいぶ叱られたが、それもこれも戦陣を渡り歩く生活を心配してのことだと言っていた。

 辰には悪いことをしたな。辰がこれほど気の強い女子だとは思いも寄らなかったが、思えば辰も某の居ない間に奥向きのことを取り仕切る責任がある。余程に重圧が掛かっていたのだろう。


「此度は御屋形様も話し合いに赴かれるだけだ。戦になることはひとまずあるまい。安心致すが良い」

「はい。お早いお帰りをお待ち申しております」


 幾分か顔が柔らかくなった気がする。

 御屋形様がお方様に頭が上がらぬ気持ちも分かるな。勝手な話だが、妻にはやはり笑っていて欲しいものだ。つくづく男とは自分勝手な生き物だな。


 玄関を出て城門を出ると、石寺楽市の前に馬廻衆が整列している。


「では、出立する」


 いつものことだが、石寺楽市の大路を出陣する時は人々から羨望と憧れの混じった視線が投げかけられてくる。彼らの前では英雄俵藤太の再来であるが、屋敷に戻れば妻に怒られる一人の男に過ぎない。人とは不思議な物だ。己は確かに一つだけの己だが、他人の目に映る己の姿は千差万別、いくつもの蒲生定秀が居る。


 ……ひょっとすると御屋形様もそうなのかもしれんな。

 稀代の英雄、近江をまとめ上げた偉大なる守護としてのお姿は御屋形様が作られた自らの虚像に過ぎないのかもしれない。本当の御屋形様は某や新助殿と馬鹿をして笑い合う、それが本来ありたい御屋形様のお姿なのかもしれない。

 遊女屋遊びは少し過ぎてしまったが、ご無理が重ならないように何かと気がけてゆこうか。




 ・天文三年(1534年) 六月  山城国宇治郡 醍醐寺  六角定頼



 ニヤけ面が気に入らない男だな。本人はニコニコと笑っているつもりなのかもしれないが、なんだかニヤニヤと嫌らしく笑っているように見えてしまう。

 腹に一物抱えてますと顔に書いてあるような男だ。


 木沢長政


 初めて会ったが、俺はコイツ嫌いだわ。


「此度は六角弾正様にお目に掛かり、恐悦至極に存じます」

「世辞はいい。用件は分かっているだろう」


 俺の発言で周囲の空気がピインと張り詰める。ようやく木沢もニヤけ面を引っ込めた。


「無論、承知しております。法華宗の武装解除の件にございますな」

「その通りだ。帝の宣下も下った今、法華宗に総堀を棄却させて兵を召し放つように申せ」

「何ゆえそれを我らに?」

「惚けるな。六郎殿が法華宗を指揮していることは先刻承知だ。それに法華の庇護者たる三条相国(三条実香)も六郎殿に孫娘を嫁がせている。六郎殿からの言葉ならば坊主共も従うだろう」


 木沢が少し俯いてこめかみを掻く。困った顔してないでさっさと承諾の返事をしろや。こっちは寝不足で最近イライラしてるんだ。


「無駄にございましょう。我らが言ったとて聞き分けるとは思えませぬ」

「馬鹿を言うな。お主らは法華宗を指揮下に置いているんだろう」

「指揮下というよりも共闘関係でございます。一向宗と戦うという目的の為に手を結んだに過ぎません。彼らの行動を一から十まで指図することはできませぬ。ここはひとつ、弾正様から法華一揆を懲らしめて頂ければ我らとしても幸いでございます」


 再び木沢長政がニヤけ出す。この野郎、何故だかわからんが今すぐ殴りたい。


「我らが懲らしめるとなれば武力で制圧することになろう。京洛を焼き払って全てを灰燼に帰すことになるぞ。六郎殿は……三条相国(三条実香)はそれで良いと言っているのか?」

「やむを得ませぬ。それ以外に法華坊主に武装解除させる方法はございますまい。まあもっとも、それこそまさに天魔の所業。京を焼き払うなどと日ノ本の歴史上あったためしがありませぬ。

 かの応仁の大乱ですら京そのものを焼き払うことは無かった。仮にそれを行う者が居るとすれば、悪鬼羅刹としてそしられましょうな。そのようなことが出来る者が居るとすれば……ですが」


 そうか……。

 どうせ出来る訳がないと高を括っているということか。


「一つ聞きたい。お主らは法華一揆の力を借りて一向一揆を駆逐したはずだ。その法華一揆が我らに討たれることはどう思うのだ?」

「難しい問いでございますが、やむを得ぬというところですかな。ほれ、狡兎が死ねば走狗も煮られる宿命さだめにございましょう」


 それが六郎の本音か。三条も馬鹿な奴と手を組んだものだ。

 六郎は自分のことしか考えていない。三条の地盤である法華寺院をこうもあっさりと見捨てるのだからな。


「よく分かった。お主のその言葉、覚えておこう」


 これで話合いで決着を付ける道は断たれたな。俺や近衛が何を言った所で法華宗が聞き分けるはずがない。近衛には朝廷対策を頼まないといかんな。




 ・天文三年(1534年) 六月  山城国 京 相国寺  六角定頼



「御屋形様、このような夜更けにどこへ行かれるのですか?」


 お寅がキッツい顔で迫って来る。頼むからもうちょい離れて……。


「近衛様のお屋敷に参る。そなたが心配するような場所へ行くわけではない」

「真ですね?天地神明に誓って遊びに行かれるわけではありませんね?」

「ああ、表向きの用事だ。女子の立ち入る話ではない」


 なんとか宥めて奥に下がらせた。身から出た錆とはいえ、もうちょい信用してもらいたいもんだ。


 お寅は確かに綺麗な顔立ちなんだが、志野と違ってツンと澄ました所がある。委員長キャラだな。かけてないのに眼鏡の幻覚が見えそうだ。

 それはいいんだが、もう少し柔らかく対応できないもんかね。こうもツンツンされちゃあこっちの神経が持たない。それにあの臭いが……。


 まあ、お寅も志野から監視するように言い含められているんだろうし、キツい物言いも責任感ゆえのものだろうから腹を立てるのは筋違いだ。もう少し信用を積み上げないといかんな。

 それにしても、何の臭いなのかなぁ。昔嗅いだ覚えがある臭いなんだが……。


 おっと、今は近衛稙家の所に急がないと。大っぴらに昼間に話せることじゃないからな。



 夜陰に紛れて近衛屋敷を訪れる。昼のうちに使いは出してあったから、ほどなく奥に案内された。

 屋敷は立派だがあちこちに綻びや汚れが目立つ。おそらく充分なメンテナンスは行き届いていないんだろうな。公家の暮らしも大変だ。


「少弼。待っておったぞ。細川六郎との話が決裂したというのはまことか?」


 会って早々に近衛稙家が慌ただしく問いかけて来る。近衛も相当に焦っているんだろう。


「まことにございます。細川六郎は法華宗を抑えるつもりはありません。某に法華一揆を懲らしめよと申してきました」

「むぅ……しかし、それならば法華の寺院を破却させればよいのではないか?」

「当初はそのつもりでございました。しかし、細川六郎がそのような態度であれば寺院を破却したところで法華坊主は止まりません。京の町に潜伏してさらに治安を悪化させるでしょう。

 近頃では幕府や朝廷への地子銭の支払いも拒否しているのでございましょう?」

「……」


 近衛稙家にも言葉が無い。武力を持った法華宗は帝の武装解除の宣下を無視し、報復とばかりに王侯除外を捨てて法華門徒以外には一切の銭を支払いを拒否し始めている。

 六郎もそうだったが、法華寺院自体が増長している。やれるものならやってみろと言わんばかりだ。


「法華宗は我らが出来るはずがないと高を括っております。ここで我らが妥協すれば、法華坊主はますます調子に乗りましょう。被害は小さくありませんが、やらねばなりませぬ」

「しかし……京洛を全て焼き払うなどと……」

「恐れ多くも帝の御意志をないがしろにした罪は償わせなければなりません。お覚悟をお願い申す」


 しばし沈黙が落ちる。

 俺はこれから法華宗を京から根絶やしにする。寺院を潰したところで京の町に潜伏してゲリラ戦を仕掛けられれば京の治安維持が出来なくなるし、そこに比叡山が介入したりすれば京の町そのものが宗教戦争の巷になる。

 もう交渉で何とか出来る段階は過ぎた。あらゆる政略を駆使して法華宗の武装解除を狙ったが、そのすべてを法華坊主共は拒否した。


 やれるものならやってみろと開き直った馬鹿共に対して、妥協することは相手を調子づかせる結果にしかならない。俺に逆らえばどうなるか、心の底に恐怖を刻みつけなければ今後法華宗は俺を甘く見続けることになる。

 一向一揆の失敗を繰り返さないためにも、ここは毅然とした対応をするしかない。


「……内裏に使いを出す。主上からのお許しが出次第、共に参内しよう」

「……某もですか?」

「左様。どうしてもやらねばならぬ理を少弼自ら申し上げてくれ。主上は京が焼かれることを快くは思われまい。麿の言葉だけでは駄目だ。少弼自らの言葉で主上に申し上げてくれ」

「承知しました」


 なんか妙な成り行きだな。こんな夜更けに参内するなんてアリなのかな?


「一つ、お願いがございます」

「何じゃ?」

「束帯の用意がありませぬ……」

「ええい、麿の物を貸してやる。心配するな」


 近衛稙家の衣装か……ツンツルテンにならないかな……。




 ・天文三年(1534年) 六月  山城国 京 清涼殿  近衛稙家



「佐々木源朝臣定頼にございます」


 少弼が御簾の向こうに対して平伏する。主上からの許しを得て深更に緊急の参内となった。介添えは麿一人だ。異例づくめのお目通りだな。


「定頼。話は近衛から聞いた。この京の町を焼き払うとは穏やかではない。宣下を下したとはいえ朕はさようなことは望んでおらぬ。考え直すことはできぬか?」


 主上からも直接に少弼にお言葉を賜る。納言なごんを介さずに直接に会話をされることも異例中の異例だ。それだけ主上も今回の少弼の話を重く受けとめておられのであろう。


「帝のお気持ちは御察し致します。ですが、ここで法華宗に対して甘い顔をすれば法華宗はますます増長するは必定。一向一揆の再来をこの京で起こさぬためでございます」

「しかし、寺院を破却して兵を放てばそれで良いのではないのか?」

「法華寺院が自ら行うのであればそれで良うございました。ですが、帝の宣下を無視したことでその道も消えました」

「何故だ?今からでもそのようにすれば良いであろう」

「……法華寺院の無くなった京には比叡山が出て参りましょう」


 帝が絶句する。

 麿も少弼に言われるまで気付かなかったが、確かに法華が寺院を破却すればその後に比叡山が口出ししてくることは必定だ。京の町に潜伏する法華門徒と比叡山の僧兵が京の町で争うことになれば、戦火はどこまで広がるか見当もつかぬ。


「比叡山には戦を控えるように改めて綸旨を下す。それではどうだ」

「……恐れながら、無駄にございましょう。後白河院の時代より山門は帝の御意志を何度も無下にして来ました。今回ばかりは聞き分けると思うのはいささか楽観に過ぎると思われます」

「どうしても避けられぬか?」

「ここで手緩い対応をすれば京は今まで以上に戦が横行する巷と化します。京の町を抑えた比叡山は法華の独占していた銭を自らに供出させようとするは必定。法華と比叡山の争いが長引けば京洛の民の苦しみは今の比ではなくなります。

 某は一向一揆を止められなんだことを今もって後悔しております。二度と宗門の争いに民草を巻き込まぬため、非情の決断をお願い申し上げます」


 最後まで民を心配する主上のお心は少弼にも伝わったであろう。返す返すも、法華の銭を朝廷に入れたことがそもそもの間違いだったのだ。


 しばしの沈黙の後、主上のお言葉が辺りに響く。

 虫の声に混じって響いたお言葉は悲痛な色が混じっていた。

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