宗教の根

 

 ・享禄四年(1531年) 七月  山城国宇治郡山科本願寺  顕証寺蓮淳



老僧ろうそ様(蓮淳)。六角弾正殿からの呼び出しとは何用だったのですか?」

「我ら本願寺にくれぐれも武家の戦に介入せぬようにと念を押してまいりました」

「加賀のことを言っているのでしょうか?」

「おそらくは……。ですが、加賀のことは加賀の三カ寺が我ら本願寺の指示に従わなかった為に門徒を動員しただけのこと。むしろ三カ寺に肩入れしてこちらに兵を向けたは武士にございます。我らは降りかかる火の粉を払っただけ。言いがかりでございますよ」


 六角は本願寺から加賀へ門徒兵を出したことに釘を刺して来たのだろうが、あれは加賀の末寺が我ら総本山たる本願寺の命令を無視したから行ったことだ。言わば浄土真宗内部の話。我らは朝倉や畠山が介入してくるから戦っただけのこと。武士の方こそ宗門のことには口出しを控えてもらいたいものよ。


「……そのこと、六角には?」

「無論、申し上げました。図星である為に言い返せなかったのでしょうな。苦虫を噛み潰したような顔をしておりましたが、理はこちらにありましょう」

「うむ……」


 そもそも、我らは今までの法難の反省から武家や他宗と共存するために一家一門制を取ったのだ。加賀の三カ寺はその法主の決め事に逆らう姿勢を示したが為に誅しただけ。

 我らが加賀を放置すれば、それこそ統制を失った門徒たちはどのように動き出すか知れたものではないのだぞ。


「しかし、六角に対して強気に出ても大丈夫であろうか?六角の率いる近江兵は精強であるし、京も抑えて公方様や帝の覚えも目出度いと聞く」


 お上人様(証如)は六角を恐れておるのか。やれやれ、法主とは言えまだまだ十六歳の若造か。

 我が父蓮如上人が築き上げた教団は六角などに引けを取らぬ。近江にも門徒は大勢居るし、堅田の本福寺は破門して以降は勢威も衰えている。本福寺にはもはや我らに逆らう力は無い。近江で我らに対抗してくるのは比叡山くらいものだ。

 仮に六角が我らに害をなすならば、六角領内で一揆を起こさせれば良いだけのこと。何を恐れることがあるのか。


「ご心配には及びません。近江にも門徒は大勢居りまする。我らがその気になれば六角など右往左往するしかありませぬよ」

「左様か。いや、さすがは老僧様だ」

「お上人様にはお心を安らかにお持ちいただき、より一層法主の権威を高める為に尽力していただければよろしいかと」

「うむ。わかった」


 ふん。やはりこの教団は私が指導せねばならんな。

 いかに法主とはいえ、巨大になった我が教団の舵取りは若造には難しい。やはり大叔父である私が事実上の指導者として率いねばならん。法主など飾りで充分よ。




 ・享禄四年(1531年) 七月  山城国 京 相国寺  山科言継



 今日の少弼殿はすこぶる機嫌が悪いな。いや、今日だけでなく一向宗や法華宗の代表者と会われてからずっとだ。また何か殿上人から苦情が入ったかな?


「少弼殿。しかめっ面をしていかがなされた?またぞろ苦情でござりまするか?」

「うむ。今日は三条様(三条実香)から文句を受けた。どうせ妙顕寺の日広から泣きつかれたのだろう」

「ははは。三条様は法華との繋がりが深いですからな」

「笑いごとではない。こうも公家から文句を受けてはたまらん。商人と法華坊主を切り離そうとしても、事あるごとに公家から苦情が入る。せっかく保内衆が頑張っているのに俺の方が身動きが取れなくなりそうだ」


 なるほど。不機嫌の理由は三条様か。

 まあ、妙顕寺四世の月明は三条実香様の曽祖父に当たる三条実冬様の御子だ。三条様自身は法華門徒ではないが、妙顕寺からは多額の寄進を受けていると聞く。

 妙顕寺から泣きついてくれば三条様とて動かぬわけにはいかんだろう。


「さほどに急がれては却って事を仕損じるのではないですかな?少弼殿が思っておられるより朝廷と法華宗の繋がりは根深い。少しづつ繋がりを剥がしてゆかねば公家衆からはそっぽを向かれかねませんぞ」

「そうは言うが、こちらは武家の争論や戦に介入するなと言っただけだ。ただそれだけで気が触れたように騒がれてはたまらん。坊主は坊主らしく、法事だけしておれば良い。十月には日蓮聖人の二百五十遠忌の法会があるのだろうに」

「ああ、それならば麿も伶人(楽器演奏者)として招かれておじゃります。いやあ、妙顕寺は銭払いが良いので山科家の台所も助かって……」


 少弼殿に見据えられて思わず口を噤む。

 そんなに睨まれても、麿とて三条様から出席するように言われているのだ。前左大臣さきのさだいじん様より是非にもと言われれば内蔵頭くらのとう如きが断れるわけがない。


「……ふぅ。やはり一筋縄ではいかぬな」

「京では少しづつではありますが保内衆の勢力が増しつつあります。今少し時を掛ければ法華の勢威も衰えましょう。銭の出せぬ法華であれば、公家衆も相手をしなくなります」

「摂津や河内の情勢が読めぬのでな。あまりのんびりもしておれんのだ」


 ふむ。情勢が不安定なのはわかるが、何故それほどに急がれるのか。今日明日に法華門徒が戦を起こすわけでもあるまいに。


「公家の中でも法華宗を苦々しく思っている者は居ないのか?」

「左様……三条西様(三条西実隆)や近衛様(近衛稙家)などは法華の横暴を苦々しく思っているという噂は聞いておじゃります。

 特に近衛様は三条様とは政敵であります故、法華を憎む気持ちは並々ならぬものがありましょうな」

「近衛様が?近衛家は三条家よりも妙顕寺との付き合いは古いのではなかったか?」

「左様ですが、今は妙顕寺も近衛家より三条家に近寄っております。今の妙顕寺の貫主(住職)は三条様の方が縁故が濃いですからな」

「ふむ……その線から攻めてみるか。まずは三条家の口出しを封じねば京の改革が進まんな」


 やれやれ、ようやく少し機嫌が直ったか。これで本題を切り出せる。


「ところで、今日参ったのは今少し米と銭の援助を頂ければと思いまして……」




 ・享禄四年(1531年) 七月  山城国 京 相国寺  六角定頼



 パチン


 パチン


 久しぶりに蒲生定秀と将棋を打っている。やはり定秀はまだまだだな。筋は良さそうなんだが、定石を知らんから翻弄される。

 まあ、俺の知っている定石は今から四百年かけて名人たちが洗練した定石だから、定秀がいきなりひっくり返せるはずはないんだけどな。けけけけ。


「むむ……」


 定秀が手を止めて麦湯を啜る。長考に入ったか。

 麦の供給が増えたことで京や近江では麦湯が流行っているようだ。あちこちで麦湯を売る屋台が増えてきた。もちろん、屋台に麦を卸しているのは保内衆だ。


 麦湯と言えば耳馴染みがないが、要するに麦茶だ。夏はやっぱりこれだよこれ。

 ビールがあれば尚良しなんだが、麦はあってもホップが無い。それにビールの作り方なんか知らない。こんなことになるなら作り方勉強しておけばよかった。



 法華と公家の分離はどうするかな……


 山科言継はじっくりと時間を掛けろと言っていたが、そろそろ一向一揆や法華一揆が起きてしまうはずなんだよな。俺は歴史を知っているから分かっているが、確かに事情の分からん者から見れば急ぎ過ぎているように見えるんだろう。


 蓮淳も加賀の事と勘違いしていたようだが、まさか『もうすぐ摂津で一揆を起こすはずだが起こすなよ』なんて言えるはずがない。

 本願寺自身も今は一揆を起こそうと思っているわけじゃないんだから、そんなことを言ったら気が狂ったかと思われるだろう。


 一揆が正確にいつ起こったかを覚えてれば、それなりに対処もできるんだけどな。さすがにそこまで明確には覚えていない。近江の外の事はそれほど詳しいわけじゃないし……。


 だが、順序立てて事を運んでいかなければ余計な反発を生むのは道理だ。

 山科言継が言っていた通り、三条実香は法華の銭を背景に朝廷で勢威を振るっている。一時は俺も三条実香にすり寄ったが、法華宗との癒着がひどいから手を引いた。法華宗を庇護する三条家は保内衆を庇護する俺とは相性が悪い。

 だが、朝廷での六角の代弁者が山科言継だけでは少し心許ない。


 公家の家格は摂関家を筆頭に清華家、大臣家、羽林家、名家、半家と続く。羽林家と名家は同格の扱いになる。山科は頭も良く話のわかる男だが、所詮は羽林家の当主だ。こう言っちゃ可哀想だが、清華家の三条相手じゃあ使い走りみたいな扱いをされてしまう。

 その点、摂関家の近衛家と大臣家の三条西家を味方に付ければ、三条家にも充分に対抗できる。

 近衛稙家は近々妹を足利義晴に嫁がせると言うし、六角家からも祝儀や使者を出すことになるだろう。そこで繋がりを作っておくか。



 パチン


「ふむ……。中々良い手だな」

「恐れ入ります。某も御屋形様に負けぬよう精進致しました」


 やるなぁ。独力でこの手を考えたのか。歩を取れば角道が空いて一気に香車までいかれる。こっちの左陣がズタズタになる。かと言って、歩を放置すれば次に銀を取られて玉頭を取られる。

 さて……どうするか。


 パチン


 パチン


 パチン


「む……これは……」


 銀を犠牲にして桂馬の上がる道を作った。これで少しは迷いが出るはずだ。

 さて、また定秀は長考だな。



 三条西家も今は河内の荘園が木沢長政に横領されてやむを得ず妙顕寺に付き合っている。妙顕寺は木沢とも繋がりがあるから、その線から年貢を納めてもらえるように交渉しようということだ。

 妙顕寺と三条西家を繋いでいるのは当然ながら三条実香だ。


 これに関しては俺の力は及ばんな。さすがに木沢長政と交渉する伝手は俺にはない。まして摂津からも手を引いているのに河内の荘園の権利をどうこうは出来ない。

 どうやって三条西家に近付くか……


 近江で替地を出そうか。そうすれば三条西実隆も法華宗に拘る理由も無くなる。三条西家は元来浄土宗に帰依しているから、河内の荘園の事が無ければ法華とは手を切るのにやぶさかではないだろう。

 それに摂津・河内は今色々とキナ臭い噂が絶えないから、安定している近江から収入が得られるとなったら三条西実隆も喜ぶだろう。


 問題はどの伝手で交渉するかだが……。

 あ、そういえば連歌師の宗牧が近衛家や三条西家に出入りしていると言っていたな。宗牧は俺も連歌の手ほどきを受けたし、それなりに関係も保っている。交渉役になってもらうにはうってつけだろう。

 一度宗牧の主宰で連歌の会を開いてもらい、それに出席させてもらうという口実で会う機会を作ってもらおうか。宗長の一番弟子である宗牧主催の連歌の会ならば、当主自らが来るだろう。それに、その後茶を献ずると言えば密談も可能だ。


 少し光が見えて来たな。保内衆が頑張っているのに、俺が身動き取れなくなっては申し訳ないからな。

 となれば、まずは京への食糧援助は意地でも続けよう。帝を始め、朝廷のお偉方の覚えを目出度くしておけば三条実香包囲網も作りやすくなる。



 パチン


 う……。そこに桂馬を打たれたら俺は身動きできない……。次に銀を打たれたら詰む。


 定秀がニヤリと笑う。この野郎、負けるか。

 まだ打つ手はあるはずだ。盤面をもう一度よく見直せ。じっくりと隅々まで盤面を読み込むんだ。


――――――――


ちょっと解説


ここで登場した蓮淳は伊勢長島一向一揆の中心拠点である『願証寺』を建立した僧侶として有名なために『願証寺蓮淳』と呼ばれることが多いですが、蓮淳自身は主に『大津顕証寺(近松別院)』を拠点に活動することが多かったようです。

本人も顕証寺と署名することが多かったらしく、参照した資料にも『顕証寺の住持』とあったので『顕証寺蓮淳』という名前にしました。


ちなみに、大津近辺では堅田本福寺が有名ですが、顕証寺と本福寺は勢力範囲がかぶっていたために檀家を取り合う事態も発生し、本願寺蓮如の六男である蓮淳が三度に渡って本福寺を破門するという事件も起こっています。

定頼の説得後に堅田海賊衆への一向宗の影響力が下がったのも、この『本福寺破門事件』の影響でした。

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