民の知恵

 

 ・享禄四年(1531年) 六月  摂津国上島郡芥川城  三好元長



「何?六角と和議の約定を結んだだと?」

「殿のお下知も無しにことを運んだことは深くお詫び申し上げます。ですが、それが殿の御為になると信じてのことでございます」


 大和守め、何を勝手なことを!


 ……ふむ。


「腹を切る覚悟か」

「某の行いは敵方に通じたと言われても申し開きのしようもありません。ですが、これ以上六角と戦に及べば殿はこの芥川城で孤立いたします。我が一命に代えてもお留めするが忠義と思い定めてございます」


 心を落ち着けて深く深呼吸をする。慣れぬ坊主頭が妙に寒いわ。

 しかし、おかげで頭に上った血が下がって行く気がする。大和守にここまでさせてしまうとは、儂はつくづく見境を失っていたようだな。


「お主の気持ちは良く分かった。讃岐守様からもくれぐれも身を慎むように厳しく言われたばかりだ。お主の忠義心に免じて、六角との不戦の約定は守ろう」

「ありがとうございまする。この大和守、これで思い残すことはございません」

「馬鹿者。勝手に腹を切ることは許さん」

「しかし、殿のお下知に逆らった罪はどのように言い訳しようとも……」


 相変わらずの石頭よ。忠義に助けられたのは儂だというのに。


「どうしても言うのであれば、今日一日居室に籠って蟄居しておれ」

「は、しかし」

「ええい、それで良いと申しておる。まだまだお主には側に居てもらわねば困るのだ」


 まったく。ここで大和守に腹を切られてはたまったものではない。この話はここまでだ。


「それよりも、改めて六角陣に使者として赴いてもらいたい。今度は正式に儂からの申し出として和議を結ぶ交渉をしてもらう」

「……では!」

「うむ。和議が成立した後には一旦越水城に戻るとしよう。摂津の西の端で謹慎の体を取ることにする」

「承知いたしました!」


 嬉しそうな顔をする。

 随分と苦労を掛けたな。まこと、儂のような粗忽者には勿体ない家臣よ。讃岐守様にも言われた通り、今は六角と戦うよりも六郎様の信任を再び得るその時まで雌伏するとしよう。

 いずれ必ず機はやって来るだろう。




 ・享禄四年(1531年) 七月  近江国伊香郡山本山城  浅見貞則



 今日も暑いな。空には入道雲が浮かび、蝉の声がうるさいくらいだ。収穫した麦の実を山本山城の蔵に運び込んでいるが、人足を監督しているだけで額を伝う汗が止まらん。

 しかし、何度見ても蔵に山と積まれた俵は壮観だ。中身が米ではないとは言え、これはこれで豊かな実りを実感させてくれる。御屋形様の御指示通り、きちんと麦の備蓄も目標数量を達成できた。


 今年の初めに綿花を取りやめて麦を植えさせろと言われた時には村方の反発も心配だったが、このようなやり方で目標を達成するとは思わなんだ。

 いやはや、民の工夫というものは大したものだ。


「おや浅見殿、ご精が出ますな」

「おお、多賀殿か。このようなむさ苦しい所へ一体何の御用かな?」

「多賀領で蓄えた麦や豆を納入に参ったのだが……」

「ほう。しかし、多賀殿自らこのようなむさ苦しい所へ来られずとも良いだろうに」

「いやいや、浅見殿がこうして汗を掻いておられるのに某が呑気にしておるわけにもいくまい」

「ははは。まあ、儂も一息入れようと思っていた所だ。ちょっと厨で麦湯(麦茶)でも飲みましょう」


 汗まみれのまま厨に行って麦湯を茶碗に注ぎ、二人で喉を鳴らして飲む。麦の実を炒って煮出してから冷ました麦湯は香ばしく、夏の盛りには水よりも旨い。麦がたんと取れたことで麦湯も気軽に飲めるようになった。


「しかし、驚きましたな。まさか民百姓が冬の田に肥やしを入れて麦を植えるとは。おかげで、綿花畑も潰さずに済み、麦の収穫を終えた田ではそのまま水を引き込んで米作りに掛かっている。民衆の知恵というものは大したものですな」

「いや、真に。御屋形様も驚かれるでしょう」


 とは言え、近頃は日照りで雨が少なく川から遠い田では稲が立ち枯れる所も出ているようだ。御屋形様の見立て通りとは言え、取れ高の少ない村には麦や米を配って行かねばならん。

 飢饉などと本当に来るのかと半信半疑だったが、こうなってみれば御屋形様の仰る通り麦の備蓄をしておいてよかった。


 長門守様(京極高延)のいる場所ではとても言えぬが、商人たちの往来が活発になったことで以前の京極家のご領地であった頃よりも北近江は豊かな土地になりつつある。最初は借銭ばかりが募ることに焦りも覚えたが、六角家のご領地となって結局は良かったのだろうな。


「そういえば、浅見殿の御次男はこのところ小谷城に詰めておられるとか」

「ええ。番役勤めをさせておりますが、非番の日にも城内で弓や槍の鍛錬を欠かさぬようにしておるようです」

「ははは。北河又五郎が伊勢の軍奉行に取り立てられましたからな。若い者は目の色が変わるのも無理からぬことです」

「左様左様。朝倉に圧迫されて御屋形様を頼りましたが、我ら北近江衆は南近江衆よりも一段低い立場に置かれることは覚悟しておった。

 だが、旗本として武功を挙げれば一軍を率いる将として譜代の家臣同様に扱われると皆が知りましたからな。腕に覚えのある者は当主であっても領地を返上し、小谷城に詰めて武芸の鍛錬に精を出しております」


 御屋形様が軍制を変えると言い出された時は一体どうなるかと思ったが、確かに以前よりもそれぞれの者が己の得意とする役目をはっきりと見据えるようになった。

 儂のように村方の管理や田畑の見回りが性に合っている者にも仕えやすい仕組みになっている。

 これも結局は御屋形様の御慧眼だったのだな。


「まあ、一軍の大将になれるかもしれぬと思えば若者が夢を抱くのも無理からぬことでしょう」

「なんの、浅見殿も以前は北近江衆を率いる御大将でおられたでしょう?」

「いやいや。某は仮初めの大将に過ぎませぬよ。今の北河や蒲生のように軍勢を率いて各地を暴れまわるなどとてもとても。近頃ではこのように村方で汗を掻いておるととても落ち着き申す」


 ふふふ。我ながらじじむさいとは思うが、こうして年貢の算勘をしておる方が儂は性に合っておるのかもしれん。

 もう戦はこりごりじゃ。いつまでもこのような平和が続くと良いの。


「浅見様、こちらに居られましたか。蔵への搬入が終わり、村方の乙名達が受領証を頂きたいと申しております」

「おう、わかった。すぐに参る」




 ・享禄四年(1531年) 七月  山城国乙訓郡勝竜寺城  六角定頼



 二日前に三好元長は篠原長政の説得を聞き入れて越水城へと退いていった。

 あの迫力で説得に当たられちゃ、元長も意地を張り通すことは出来なかったようだな。ま、篠原長政の気迫勝ちだ。

 こちらも近江へ帰ることにするか。ただし、軍勢のうち五千は京に残しておこう。


 南山城近隣でも少しづつだが治安の悪化が始まっている。

 おそらく食料が不足し始めているんだろう。三好の進軍は無くなったが、腹を空かせた雑兵達が暴徒と化すこともあり得る。

 京には山科言継や伊勢貞忠を通じて食料の援助を行っているが、さすがに摂津のことまで面倒は見られん。摂津のことは細川六郎に任せるとしよう。


 麦の備蓄は目標数量を達成していると報告があった。なんと冬の間に田に麦を植えて綿花畑を潰さずに凌いだらしい。要するに二毛作だ。

 芋類や豆類なんかもある程度収穫量を確保できているようだし、これなら少なくとも近江国内は食に困ることは無いだろう。


 二毛作自体は昔からよく知られていたようだが、土が痩せ衰えてしまうからとこの時代じゃあまり行われなくなっていた。だが、小幡衆の作った牛糞や馬糞、それに消石灰などの堆肥を土に混ぜ込むことで土地が痩せることを防げるようになったらしい。

 何とかして収入源の綿花を手放さないようにと惣村の乙名達が工夫を凝らしたそうだ。いやはや、民衆の知恵ってやつには本当に頭が下がる。


 このまま堆肥を使った二毛作が定着すれば、今後の飢饉にも対応できる領国づくりができると思う。数日雨が降っただけで梅雨を過ぎてしまって今は雨が極端に少なくなっているから、今年の米の収穫は例年ほどには見込めないだろう。だが、米と同じだけの麦があれば少なくとも食う物が無いという事態は防げるはずだ。


「御屋形様。少しよろしいでしょうか?」

「藤十郎(蒲生定秀)か。何用だ?」


 蒲生定秀が勝竜寺城に設けた仮の執務室に入って来る。


「和議を結ばれた後で今更ではありますが、摂津への進軍は見合わせてよかったのでしょうか?近頃近江では兵糧の備蓄を進めていると聞き及びます。某はてっきり摂津へと本格的に進軍なさる御心積もりかと」


 そう言えば定秀にはまだ話していなかったな。今後のこともある。情報を共有しておいた方が良いだろう。


「実は糧食を備蓄しているのは兵糧の為じゃない。商人たちの見立てでは今年に飢饉が起きるかもしれんとのことでな。それに対応するために備蓄を進めていたのだ」

「なんと、左様でありましたか」

「それでな。何とか京や山城周辺にも糧食を行き渡らせることが出来るように工夫しているが、糧食が足りなくなれば京への援助を行うことも難しくなる」


「……つまり、京でも飢饉が起きると?」

「そうさせぬように努力をしているということだ。だが、万一近江国内の対応だけで精一杯となった場合には、お主には公方様を連れて京を撤退してもらう」

「なんと、それでは京の警備は……」

「やむを得ん。腹を空かせた暴徒相手では万の軍勢でも役に立たん。むしろ、兵糧を奪い取ろうとあちこちから攻めかかって来るだろう」


 定秀がやや不服そうな顔をする。あのなぁ、食料を奪いに来る軍勢は怖いぞ。今まで近江は食に困ることが少なかったから実感が湧かないのかもしれないが、甲斐や越後なんかは毎年それだ。

 飢え死にするか奪って食うかという所まで追い詰められた人間に勝てる者なんかそうそう居ないって。


「良いな。くれぐれも、俺が撤退を指示した時は速やかに近江に戻って来い」

「……承知いたしました」


 ちょっと不安が残るな……念の為進藤をお目付け役に残しておくか。

 その方が俺も進藤の小言からしばらく解放されるしな。進藤アイツは最近説教臭くなってかなわん。常に小姑と一緒にいるようなもんだ。



 おっと、そうそう。帰りに京で一向宗と法華宗の代表者に会っていこう。くれぐれも武士の争いに介入しないように言い聞かせておかねばならん。

 京の商業は保内衆が少しづつだが勢力を伸ばしつつあるし、飢饉対策で米や麦を振る舞えば民衆からの保内衆への支持も上がるだろう。このまま宗教戦争無しで近世に移行できれば言うことなしだ。

 多少は武力で脅さないといけないかもしれないが、民衆の支持がこちらにあれば一向宗や法華宗もそうそう敵対行動は取れないはずだ。


 一向一揆は端的に言えば飢えが根本原因にある。明日の暮らしに不安のない者は武装蜂起なんかしたくないのが本音のはずだ。六角の支配であれば食うに困ることはないと民衆が思えば、一揆に同調する者は少なくなるだろう。

 それでも武装蜂起する者は叩き潰すだけだ。


 おっと……いかんな。最近人を殺すことに躊躇いが少なくなってる気がする。

 戦争の時代だからある程度はやむを得ないとはいえ、人が死ぬのは当たり前じゃない。出来るだけ人は死なない方がいいんだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る