天王山の戦い

 

 ・享禄四年(1531年) 閏五月  越前国足羽郡永平寺砦  浅井亮政



 物見櫓に立つと九頭竜川の向こうに広がる福井平野が一望できる。

 今年はやけに雨が多いな。ここ数日雨ばかりが続いている。今も九頭竜川の水嵩が増し、激流のように流れている。

 洪水などが起きねば良いが……


「備前殿、ここに居たか」

「これは敦賀郡司様」


 物見櫓の梯子を敦賀郡司の朝倉九郎左衛門尉様(朝倉景紀)が登って来る。あわてて膝を着くが手で制されて儂の隣に立たれた。


「一向一揆の様子はどうだ?」

「何やら様子がおかしゅうござる。今の一向一揆の動きはまるで加賀に向かっているように見えまする。あちらはあちらで何やら事情を抱えておるのやもしれませんな」

「ふむ、今のうちに一向宗に痛撃を与えておければよいが……。打ち続く雨で今年の稲は根腐れを起こすかもしれん。雨が降らぬのも困るが、降り過ぎるのも困る。まこと、天候とはままならぬものよ」


 確かに、今年は例年に比べて雨が多すぎる。このままでは今年の稲は全滅してしまうかもしれん。


「今は梅雨でござればやむを得ません。また夏になれば暑い日差しが戻って来ましょう」

「……だといいがな。今年の米が取れなければ一向宗は飢えた暴徒と化すだろう。九頭竜川を越えて米を奪いに乱入してくるかもしれん。相手が混乱しているならば九頭竜川を越えて進軍したいところだが……」


 言いながら郡司様が足元の九頭竜川に視線を落とす。

 この天候で川を越えようとすれば濁流にのみ込まれる者が大勢出る。進軍するのは無理だな。


「……本当ならば今頃は近江へ再遠征をしているはずだったのだが、こちらの事情に付き合わせて済まないな」


 郡司様が儂を労わるように肩に手を置く。

 確かに北近江に再び戻ることは我が浅井の宿願ではある。だが……


「今は朝倉のお家こそが第一。北近江を追われ、流浪するしかなかったこの老骨を拾って下された郡司様の御恩に報いることができるのならば、何ほどのことはありませぬ」

「そう言ってくれると助かる。そなたの武勇と武略は大いに我が軍の助けとなっている。この一揆を鎮めれば、そなたを北近江に戻す軍を起こす事も出来るだろう」

「お心遣いかたじけなく。されど、今は目の前の一向一揆を鎮圧することに全力を傾けましょう」

「そうだな。そなたを頼りに思っている。これからもよろしく頼む」


 今は六角への恨みは一時忘れよう。このお方を助け、朝倉家の武威を回復させることがこの老骨に与えられた役目。

 北近江への復帰は倅の猿夜叉(浅井久政)が果たしてくれればよい。


 しかし、こう雨が続くと物憂い気分になるな。




 ・享禄四年(1531年) 六月  山城国久世郡淀城 六角定頼



 蒲生定秀の援軍要請によって再び京方面に軍を動かした。

 もっとも、今回は義晴に挨拶だけして京を通り過ぎ、南山城の淀城まで出張った。定秀の努力で前線はここまで確保できているということだ。

 少ない軍勢でもコツコツと前進拠点を確保してくれた働きは有難い。おかげで京の防衛もやりやすくなっている。


「此度の御屋形様の御来援。まことにありがとう存ずる」

「いや、北伊勢遠征の間よく京を守ってくれた。それで、状況はどうなっている?」

「先月芥川城を出陣した三好勢が天王山砦に攻めかかりましたが、相手も小手調べだったのか多少の小競り合いのみで今は若山に陣を敷いて睨み合っております」


 蒲生定秀が絵図面を指し示しながら敵味方の布陣を説明しだす。


 こちらは蒲生軍が勝竜寺城を中心に大山崎と天王山に砦を築き、淀川の北を確保している。俺の本陣は淀城に置き、木津川を挟んで南山城と対峙する格好だ。

 天王山を挟んだ向こう側には芥川城に三好元長が布陣している。本来ならば南山城には木沢長政が進出してくるはずだったろうが、今は木沢長政も飯盛山城に引きこもっている。


 あっちはやっぱ内紛を抱えて四苦八苦だな。

 まあ、無理もない。三好はあくまで戦で決着をつけるつもりだろうが、摂津国人衆にすればこれ以上の戦は避けたいのが本音だろう。道永との戦で利益を得たのは河内十七箇所を与えられた三好元長だけだからな。義を訴えても利が無ければ人は容易に動かない。


 優柔不断な細川晴元は元長以外から総出で説得され、再び足利義晴と和睦を結ぶという考えに傾いているようだ。三好政長、木沢長政、柳本甚次郎、茨木長隆らはこぞって俺との戦に反対しているらしい。

 特に柳本甚次郎なんかは三好元長が見捨てたせいで父親の柳本賢治が討たれたと言っているそうだ。


 おかげで堺では不穏な噂が絶えないらしい。柳本甚次郎が父の仇の三好元長を暗殺しようとしているとかなんとか……

 三好元長を疎んじて堺を追い出したのは当の柳本賢治たちなんだから、客観的に見れば逆恨みも甚だしいわけだが、当の本人は固くそう信じて疑わない。


 いやあ、内紛って大変だねぇ。俺だったら戦以前に味方の足並みを揃えるだけでストレス過労死してしまいそうだ。

 これならうまくやれば負けなくて済むかな?


 連れて来た近江兵は八千。それ以上は兵糧の備蓄を進める為にも動かすことが出来なかった。

 堺方の総兵力は三万以上は動員できるだろうが、それは陣営が一枚岩であればという条件付きだ。三好元長だけならどれだけ動かせても二万だろう。

 しかもそれを全て俺との戦に投入できるわけでもない。はっきり言って今の三好元長は堺方で浮いている。


 三好元長に賛同しているのは細川持隆と畠山義堯だけという情勢だ。しかも阿波に地盤を持つ細川持隆はともかく、畠山義堯は木沢憎しの一念で木沢と対立する三好元長の肩を持っているに過ぎない。

 木沢は木沢で、三好元長と細川晴元が一心同体ではないとわかると手のひらを返して三好元長反対派に回った。ひたすら細川晴元に尻尾を振りに行っているだけで信念もクソもない。


 こちらが何もせずとも堺方はボロボロだ。

 しばらく睨み合いながら相手の自壊を待つとするか。



 内紛と言えば越前の一向一揆もひどいらしいな。

 加賀の三カ寺と呼ばれた本泉寺、松岡寺、光教寺は富樫氏を傀儡の守護にして事実上の一向宗の自治政権を樹立していた。

 ところが、総本山である山科本願寺は北陸地方を直轄下に置こうと画策しだした。門徒の自治政権の中に武士のような中央集権を持ち込んだんだから、荒れるのは当然と言えば当然だな。


 加賀の三カ寺は元々本願寺八世法主である蓮如の子らが住職となっていた寺だが、蓮如の末子である蓮淳が十世法主の証如の名の元に加賀の服属を求めた。

 要するに盛大な兄弟喧嘩の末の内ゲバだ。付き合わされる門徒はたまったものじゃないだろうな。


 蓮淳が送り込んだ山科本願寺系の僧侶が加賀の荘園の代官として北陸の米を京に勝手に送ろうとしたことで武力闘争に発展した。こちらの読み通り、今年の北陸の物成りは絶望的な状況らしいから、ただでさえ不足する米を勝手に京に送られては加賀の門徒に火が付くのも当然だ。


 あっちもこっちも内紛だらけで大変だよ。この時代にダラダラと戦が続くわけだ。

 俺も気を付けないとな……この上近江国内で内紛だなんてシャレにもならん。近江だけは一枚岩の体制を維持し続ける。それが他の陣営に対して大きなアドバンテージになるはずだ。



「こちらは天王山砦を堅守しながら淀川の北の大山崎の線で防衛線を敷きます。とりあえずはすぐに落とされることはないと思いますが、万一の場合は御屋形様の後詰をいただければ幸いです」

「わかった。俺の本陣は淀川の東側を制圧しつつ河内・大和方面からの軍を警戒しよう」

「よろしくお願いいたします」


 さて、今回の戦は京の防衛戦だから無理はしない。

 摂津・河内にも飢饉の影響が出れば三好元長も戦どころじゃなくなるはずだ。堺方にどの程度の被害が出るかは未知数だが、その時を見計らってもう一度和睦交渉を行ってみるかな。




 ・享禄四年(1531年) 六月  摂津国島上郡芥川城  篠原長政



 殿が芥川城の廊下を足取りも荒く進む。何が何でも堺に行かれるおつもりか。


「殿!お待ちください!今殿がご本陣を離れては……」

「くどいぞ大和守。儂自ら堺に参ってもう一度六郎様を説き伏せる。六角は近江から遠く遠征軍を率いており、軍勢も一万を少し超える程度だ。今全軍を持って上洛に掛かれば六角を粉砕して京を奪還することも出来るだろう」


 確かに六角は何故か今回軍勢を絞っている。まさに千載一遇の好機と言っていい。


「ですが、六角が小勢であるとは言え討って出て来ぬとは限りませぬ。ここで後退を余儀なくされれば一気に士気が崩れる恐れもありますぞ!」

「わかっている!だがこればかりは儂が行って申し上げねばならん。腰抜け共の甘言に惑わされ、六郎様が再び揺れていると讃岐守様(細川持隆)からは報せがあった。

 もう一度儂が上洛することの義を唱え、六郎様の目を覚まさせねばならん。戦に勝てると知れば六郎様も腰抜け共も手のひらを返すだろう。道永を敗退させた時と同じだ。今度は六角を破って堺方の心を再び一つにまとめる」


 殿は焦っておられるのか。目の前に六角軍を迎えながら、後ろがゴタついていることに苛立っておられる。これはいつもの殿ではない。何としてもお留めせねば……


「使者ならば某が参ります。柳本が殿のお命を狙っているとの噂もござる。今殿に万一のことがあっては阿波勢は畿内でバラバラになってしまいます。どうかご自重ください」

「くどい!儂が行かねば六郎様の目が覚めぬと申したであろう!大和守は陣を守り、六角軍の急変に備えよ」

「しかし!」

「……三度は言わぬぞ」


 殿の手が脇差に掛かっている。そこまで思い定めておられるとは……


「では、せめて軍勢を率いて堺に御上り下さいませ。柳本の噂が真であっても軍勢を二百も率いれば柳本も諦めましょう。この大和守、心からのお願いでござる」

「……わかった。兵二百を率いて堺へ上ることとする」


 足取りも荒く行ってしまわれた。殿はそれほどまでに思い詰めておられるのか。


 何故こうなったのだ……。


 確かに殿は摂津国人衆には鬱陶しい存在かもしれない。

 しかし、我らが目指すのはあくまで上洛であり、それは六郎様に従う摂津国人衆にとっても決して悪い話ではないはずだ。まして六角との先陣は阿波勢が務めると言っている。にも関わらず摂津の国人衆は此度の戦を快く思っておらぬ。殿の言われる通り、あ奴らは自らの保身しか考えておらぬのだろう。


 やはり阿波を出たのは間違いだったのかもしれん。殿がどのように仰せになられても、例え儂が腹を切ってでもお留めするべきだったのかもしれん。

 畿内の戦など放っておけば、今頃は殿も阿波でゆったりとした時を過ごされていたかもしれぬのに……


 いや、例え阿波に残ったとしても殿は畿内に御心残りを抱えて鬱々とした日々を過ごされたかもしれぬ。

 儂は一体どうすべきだったのか……


 わからぬ。このまま儂が殿の意に従い続けることはまことの忠義なのであろうか……

 儂は……儂は、どうするべきなのだろうか……


――――――――


ちょっと解説


史料に見える篠原長政はまさに三好元長の忠臣と言うべき家臣でした。

この享禄末の三好元長の摂津進軍に篠原長政が従軍していたかどうかはわかりません。阿波で留守居を務めていたんじゃないかなとも思いますが、この物語では従軍したことにしました。


忠臣であるがゆえ、元長の為に元長の意に沿わぬ行動を起こす長政の悲哀がここからしばらくの物語の軸になります。

定頼の生涯という主軸からは脱線してしまいますが、こんな人間ドラマがあったとしたらという視点でしばらくお楽しみください。

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