浅井備前守
・大永三年(1523年) 七月 近江国浅井郡尾上城 浅井亮政
「浅井備前殿。近頃の御屋形様(京極高清)のなさりようをどう思われるかな?」
尾上城主の浅見対馬守殿(浅見貞則)が顔を近づけて目を覗き込んでくる。
なるほど、呼び出した用件はそれか。やれやれ、最初からそう言えばいいものを……
「お招きいただいた用件はそれでしたか」
「いやいや、此度はあくまでここらでは珍しい『茶』が手に入ったから、備前殿にもぜひ一服差し上げようと思っただけよ。今の話はあくまで世間話だ」
ふっ。白々しいことを言う。まあ、こちらとしても言わんとすることはわかる。
「左様ですな。近頃の御屋形様は、御嫡男の六郎様(京極高延)を廃して御次男の五郎様(京極高吉)を跡継ぎに据えられようとしているように見受けられます」
「備前殿もそう思われるか。四十を超えてから設けられた御子ゆえ、御屋形様が可愛がるお気持ちはわかる。しかし、筋目を無視しては道理が成り立たん。
六郎様に明らかな非があるのならばともかく、そうでないのならば廃嫡などと軽々に行うべきではない」
確かにな。最近の御屋形様は五郎様可愛さのあまりに目が曇っておられるように見える。新しく将軍宣下を受けられた義晴公の『御代始の儀』にも名代として五郎様を遣わされた。
本来であれば名代は六郎様でなければいかんというのにな。
「しかし、守護代様は五郎様こそ跡継ぎに相応しいと申されていると聞き及びますが?」
「それよ。
上坂の若造こそは君側の奸というべき者だ」
我が意を得たりというように饒舌に話し出したな。
ふふん。浅見殿の本音はそちらであろうに、本当に白々しい御仁だ。
「先代の
「備前殿はあの若造の味方をされるのか?あの者は守護代でありながら筋目を無視して五郎様を跡継ぎにしようと画策する痴れ者だ。とても今後の京極家の家政を任せておくことなど出来ん」
「……浅見殿こそ執権に相応しいと?」
「そうは言わぬが……まあ、国人衆の声望のある者が上坂に代わって家政を取り仕切るべきではあるだろうな」
ふふふ。素直に自分が上坂に取って代わりたいと言えばいいものを、どこまでも
「仰ることは良く分かります。確かに治部少輔様(上坂信光)では国人衆はついて行きますまいな。お父上に比べてご器量がやや心許ない」
「やはり備前殿もそう思われるか」
「ええ。領内の仕置も治部少輔様に変わられてから眉を顰めることが多くなっております。このままではいずれ皆の不満が高まりましょう」
浅見殿が満足気に笑う。
どのみちわしも上坂治部が執権のままでは気に食わんことも確かだ。ここは浅見殿を立ててやるとするか。
汚名をかぶるのはわしでなくとも良いしな。
「ま、下らぬ世間話よ」
「左様ですな。浅見殿も真に御戯れがお好きなようで……」
お互いに笑いあって茶を口に運ぶ。
ほう。苦みの後に爽やかさがあるな。茶とはこういう味であったか。
「しかし、初めて頂きましたが茶とは美味いものですな」
「そうであろう。最近よく我が領内に出入りしておる保内の者から買い求めたのだ。実を言うと、兵糧や武具などもいくらでも調達すると言ってきておってな。商売熱心な者達よ」
……ん?
浅見殿は鷹揚に笑っているが、果たして笑いごとで済むのか?
「左様ですか。保内といえば六角弾正様のお膝元の……」
「うむ。六角の動きも逐一教えてくれる。六角家から北近江に何かと口出しされるのではと心配しておったが、今の所弾正は北近江に関心がなさそうだと言っておった」
六角領の者の言うことを信じるのか?少し軽率に過ぎるのではないか?
「まあ、六角に口出しされぬ為にも、北近江はしっかりとまとまらなければなりませんな」
「備前殿の言う通りだ。グズグズしていると厄介ごとが起こるかもしれん」
六角か……
九里殿が六角の動きを牽制するから手を貸してくれと言っていたな。
ちょうどいい。九里にももう少し意を通じておくとするか。念のためにな……
・大永三年(1523年) 九月 近江国蒲生郡 観音寺城 六角定頼
「京極中務少輔(高清)様は御次男の五郎様と共に尾張に逃れられたとのことにございます」
「上坂はどうなった?」
「中務様親子と同道して尾張に落ち延びたと聞き及びます」
ふむふむ。順調のようだな。
伴庄衛門の報告によれば、この七月から蜂起した浅見貞則を中心とする北近江国人衆は京極高清の嫡男の京極高延を担いで反乱を起こし、京極高清・京極高吉親子を追い出したらしい。
いいねいいね。史実通りだ。
次はいよいよ浅井亮政が浅見貞則を追い落とすはずだな。
「北近江の国人衆には充分に食い込めているか?」
「浅見様や多くの方にはご贔屓にして頂いています。ですが、浅井様や三田村様からはあまり引き合いをいただけませんで……」
そうか……やっぱ保内衆を行かせたのはマズかったかなぁ。浅井亮政は保内衆を警戒しているのかもしれん。
だが、保内衆でなければ俺がどういう情報を求めているかが分からんだろうしな。
頭の痛いところだ。
「北近江の百姓たちはどうだ?」
「まだ肥料を買ってもなお儲かるということに半信半疑でございますな。ここいらも最初はそうでございました。まあ、北近江へは関所をいくつも通らねばならんので、南近江の倍近い値がついてしまうことも原因ではありましょう。
ともあれ、一年経てば実際に綿花を作り始めた者からの評判が人の口に上るかと思います。出来上がった綿花は我らが責任もって買い求めると言い含めておりますし」
「そうか……ご苦労。また何かあったら知らせてくれ」
「承知いたしました」
庄衛門が一礼して下がって行く。
アイツも遠慮があるのか、相変わらず裏庭からこっそり出ていくよな。堂々と玄関から出入りすりゃあいいのに。
さて、北近江はこれで一旦は浅見貞則が実権を握る。しかし、再来年にはその浅見は浅井亮政によって追い落とされる。
このままいけば問題はないが、何かの手違いで来年に浅井の反乱が成立してしまうとマズいかもしれん。
こちらも警戒しておかないとな。
こっちはこっちで細川高国や近衛稙家へ贈り物を送ったり、飛鳥井や山科を観音寺城で接待したりと忙しい。遊んでいるわけではなくて、これもれっきとした浅井攻めの布石というヤツだ。
端的に言うと、朝倉を味方に付けるためにやっている。
朝倉家は、次の小谷城攻めでは六角に味方して出陣している。援軍の大将はかの朝倉宗滴だ。
いやぁ~会うの楽しみだなぁ。なにせ伝説のチートジジイだからな。一万の朝倉軍を率いて三十倍の一向宗を撃破した戦いは、この時代でも語り草になっている。
史実に倣う意味でも、一回会ってみたいという意味でも、朝倉は意地でも味方にしないといかん。
公家に誼を通じたところで味方にならん場合の方が多いが、どちらに味方するかで揺れている場合には案外そういった外野からの援護射撃が決め手になったりもする。
まあ、やるだけのことはやっておこうということだ。
北近江の絵図面にそれぞれの国人衆の勢力図を書き込んでおいた。
黒い碁石が保内衆が食い込んでいる土地、白の碁石が食い込めていない土地。
こうして見ると、やっぱり南近江に近い辺りは真っ黒になっている。坂田郡あたりは元々南近江の商人も大勢出入りしていたから、拒絶反応はあまりないんだろう。
絵図面を片付けて山科言綱の待つ一室に向かう。
「失礼いたします。お待たせしてしまって申し訳もございません」
「おお、弾正殿。悪いがお先に頂いてますぞ」
「それは構いませぬが、お口に合いますかどうか」
「いやいや、鮒は粟津の鮒がやはり一番だが、常楽寺の鮒も中々悪くない」
山科言綱の前には酒と共に去年仕込んだ鮒鮨が供されている。近江と言えばやっぱり鮒鮨。
……なんだけど、俺はどうしても匂いが苦手だ。発酵した匂いが強烈で
「お気に召していただけたのならようございました。お土産には瓜などもご用意しております。
楽しんでいただければ幸いでございます」
「弾正殿は食さぬのか?」
「いや、某は無粋者故こちらの方を頂きます」
俺の膳には茹でたサトイモが載せられている。塩を付けて食べるとウマイ。
「時に、右大臣様へのお取次ぎの件は……」
「心配要らぬ。弾正殿のご家中からも三条家や三条西家への贈り物を多数預かっておる。決して粗略には扱われまいよ」
「それを聞いて安心いたしました。何分、お公家衆とのお付き合いは不案内なもので……」
「しかし、おかしな話よの」
一頻り鮒鮨と酒を堪能した言綱がようやく箸を置くと、口元を拭いながらこちらを見据えて来る。
「三条右大臣殿(三条実香)とは管領殿が親しくしておる。弾正殿ならば管領殿を通じて誼を通せば、麿に頼むよりもはるかに早かろうに」
痛いところを突いてくるね。まあ、こっちにもいろいろと事情があるんだよ。
「管領様はどうやら西への対応でお忙しいようですので」
「ふむ……」
その覗き込むような目はやめなさい。痛くもある腹なんだから探られたくはないんだ。
「まあ、そういうことにしておこうか」
含みのある言い方でニヤリと笑う。これだから公家というのは油断ならない。
下手すると武家よりも武家のことをよく観察している。
そう、再来年の小谷攻めが終われば、いよいよ俺は上洛軍を起こすことになるはずだ。
その為もあって、朝倉とは今敵対するわけにはいかないんだよ。
朝倉と連合して、細川高国と足利義晴を擁して上洛軍を起こす。つまりは、あと数年で細川高国は京を追われることになるはずだからな……
――――――――
ちょっとだけ解説
北近江守護の京極高清は、嫡男が京極六郎高延、次男が京極五郎高吉とけっこうややこしい名前になっています。
書いていても本当にややこしい……
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