第六話 赤白鳥の奏鳴(7)ー2
跳ね返ったフィフティフィフティのボールを、長い足で無理やり自分のものにしたのは、チームの司令塔、九条圭士朗だった。
ボールをキープした瞬間に首を回し、一瞬で周囲の状況を理解する。
激しい三人のプレスが彼を襲ったが、接触されるより早く、圭士朗さんは右サイドのフリーとなる位置に走っていた鬼武先輩へとボールを戻す。
いつタイムアップの笛が吹かれても不思議ではない。ゆっくりとゲームを作る暇はない。
鬼武先輩にパスを送ると、そのまま圭士朗さんは敵選手の間をすり抜けて、前線へと駆け出していた。即座に司令塔の進行方向へと、鬼武先輩がダイレクトで力強いパスを戻す。
ハーフウェイライン上でボールをトラップすると、そのまま圭士朗さんは前線へとボールを持ち上がる。彼の前に走っている味方の選手は二人だけ。常陸に代わってワントップに入ったリオと、右サイドを駆け上がる天馬だ。どちらにもしっかりとマークはついている。
つい数分前、似たような場面で圭士朗さんは葉月先輩へと意表を突くパスを送った。しかし、もう先輩はおらず、体力の限界を迎えている仲間たちは圭士朗さんを追い越せない。
ボールを戻して時計を確認する暇を主審に与えれば、笛を吹かれてしまうかもしれない。リオと天馬以外にパスの選択肢はなかった。
その時、圭士朗さんが選んだのは、よりフレッシュな天馬だった。右サイドを疾走する天馬の内側を、敵のSBが並走している。足下へのパスでは届く前にカットされるだろう。
そう判断した圭士朗さんが蹴り出したのは、
追いつけずにタッチラインを割るほど、強いパスではない。CBがカット出来るほど、弱いパスでもない。天馬のスピードを信じた、最高精度のスルーパスが通り、覚悟の一歩で身体をSBの前に入れた天馬が、ボールに足を伸ばす。
ここを止めればゲームは終わりだ。ファウルでも構わない。
弱い心は、弱い人間に
身体を前に入れられたSBは、天馬の腕を引っ張り、バランスを崩した天馬はたたらを踏んで膝を折る。即座にSBは両手を上げて、
よろけながらも右手を地面につき、倒れる寸前でバランスを取り戻すと、そのままダッシュを続ける。ファウルからのセットプレーではなく、この場で勝負することを選んだのだ。
ゴールラインを割る寸前でボールに追いつき、天馬はクロスのモーションに入る。しかし、直後に天馬が蹴り込んだのは、中央に走り込んだリオへのクロスではなかった。
後ろを確認する余裕などなかった。リオ以外の仲間が見えていたとも思えない。それでも、天馬は後ろから仲間が走ってきていることを信じて、地面を転がるマイナスのボールを、斜め後ろへと戻していた。
そこに走り込んだのは、天馬に完璧なスルーパスを送った圭士朗さんだった。
絶対に仲間が走り込んでいる。そう信じた天馬の想いに応え、ペナルティエリアに踏み込んだ圭士朗さんは、迷わずシュートモーションに入る。
リオに引っ張られたCBも、ほかの選手も、誰も圭士朗さんをマーク出来ていなかった。
ゴールまでの距離は十五メートル。圭士朗さんの前を遮るのは、GKただ一人。
これが、ラストプレーだ。
仲間たちの祈りと願いを込めて、九条圭士朗の右足が振り抜かれる。
完璧にミートされたボールは、地を
GKの爪先に当たり、軌道がずれたボールは、鈍い音を立てて左ポストに直撃する。
最後の最後でビッグセーブが生まれてしまったのだ。
「ぶち込め、伊織!」
自陣ペナルティエリアで強烈なシュートをスライディングでブロックし、直後の決定機も顔面からの飛び込みで防いだ背番号5番、桐原伊織。
彼はルーズボールを圭士朗さんが拾ったのを見てとると、瞬時に跳ね起き、最後尾から迷わず全力疾走で前線に駆け上がっていた。
サッカーでは何が起こるか分からない。ボールは丸いから、最後には強い気持ちを持つ人間の方へと転がる。そう信じて、伊織は百メートル近い距離を疾走していた。
右足を伸ばしてシュートをセーブしたGKは、もう一歩も動けない。
全速力で前線に突っ込んだ伊織は、身体を斜めに倒して無人のゴールにボールを蹴り込む。
そのまま伊織は身体ごとゴールマウスの中に転がり込んでいった。
準決勝、後半五十七分。
キャプテン桐原伊織の同点ゴールで、レッドスワンは試合を振り出しに戻す。
歓喜と狂喜の悲鳴が爆発した次の瞬間、タイムアップのホイッスルがピッチに鳴り響いた。
ゴールマウスの中で吠えた伊織に、仲間たちが次々と飛びかかり、ベンチメンバーもフィールドへと飛び出していく。
「ナイスゴール!」
予想外の声が届き、振り返ると、青白い顔をした常陸が医師の肩を借りて立っていた。意識を取り戻し、最後の瞬間を見守りに戻って来ていたのだろう。その両目に涙が浮かんでいた。
赤白鳥は何度でも
日本で一番熱い冬は、まだ、終わっていなかった。
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