第五話 貴顕紳士の黄昏(3)-1


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 監督のために用意された個室には、パソコンが三台と、大画面のテレビが運び込まれていた。

 ワークチェアに腰掛けた先生が、珍しく真剣な眼差しで僕を見つめており、二日前にさんから聞いた、たかつきりようと先生自身にまつわる推測を告げていく。

「そっか。凄いな。なんかより華代の方がよっぽど探偵に向いているのかもね」

 僕がすべてを話し終えると、先生はそんな風にささやいた。

「……探偵? 零央さんって大学生でしたよね」

「うん。今は三年生なんだけど、探偵になるって言い張って、父親を激怒させてたの。私は他人の夢も目標も笑わない。でも、夢を見る力と、目標を実現させる力って、実はほとんど相関関係にないんだよね。時々、それが哀しいなって思う」

 夢を見る前に現実を見なければならない。

 それは、チームを強化していくにあたって、しばしば先生が口にしていた言葉だ。

「うちも市条も勝ち残れば、いずれは誰かが涼雅さんのことに気付くと思っていた。ただ、何年も前に話した私の教育実習先を、華代が覚えていたのは想定外。チェックメイトかしら」

「じゃあ、やっぱり前に話していた先生の恩師が、あの高槻涼雅って男なんですか?」

 微笑をたたえたまま、世怜奈先生は頷く。

「教えて下さい。あの人は僕の父親なんでしょうか?」

「その答えを伝える前に、少しだけ昔話をしても良いかな。自分の話をするのは好きじゃないんだけどね。これはゆうにとって繊細な問題だから、順を追って説明したい」

「はい。僕も正確に理解出来るなら、そうしたいです」

 手元にあったペットボトルの水に口をつけてから、先生は話し出す。

「私は子どもの頃からサッカーが大好きだった。ジュニアユースにも所属していたけど、残念ながら才能がなかったんだよね。好きな気持ちだけじゃ、どうにもならないこともある。私はユースにすら昇格出来なかった。それでも、毎日、CSでサッカーの試合ばかり見ていたし、友達と買い物に出掛けるより、ボールを蹴っている方が楽しかった。私がなみ高校に進学したのは、女子サッカー部があったからなの。女子は年齢が進むにつれて、一緒にボールを蹴ってくれる人を見つけるだけでも苦労することになる。優雅にはそんな気持ち分かる?」

 首を横に振る。サッカーというスポーツを知った時から、いつだって隣にはおりがいた。

「小学生の頃は、人より練習すればどうにかなるんじゃないかって思ってた。でも、成績表が教えてくれたの。体育の授業でさえ平均以下なのに、プロになんてなれるわけがない。私の夢は絶対に叶わないんだって、思い知らされたのよ。サッカーに関係する仕事は沢山ある。医療スタッフ、代理人、報道記者、色々と考えてみたけど、思いつく職業はどれも本当にやりたいことじゃなかった。現実を突き付けられてからは、かつとうばかりの毎日だった。そんな風にして人生で一番すさんでいた大学二年生の冬に、東京代表になった黎明館のことを知ったの」

 コーチだった高槻涼雅が事実上の監督を務めていたという私立高校だ。

「どう見てもサッカーになんて力を入れていない高校だったのに、黎明館は選手権に足跡を残していた。圧倒的な戦力の敵に立ち向かう姿に感動して、私、泣いちゃったんだよね。それで、どうしても練習風景が見たくなって、翌年の教育実習先に黎明館を希望したの。そこで高槻涼雅さんに出会った。私にとっては衝撃的な出会いだった。腐っていた自分が恥ずかしくなるくらい、涼雅さんは目の前のことに全力だった。『知性を使って勝利を目指す』、『神頼みの前に、やれることは全部やる』。格好良く見えちゃうくらい徹底していて、二十四時間のすべてをサッカーにささげている人だった。そんな人だったからなのかな。私がサッカーへの愛情を持て余して悩んでいることにも気付かれちゃってさ。実習が終わった後も、部活の指導を手伝わせてもらえることになったの。だから、やっぱり彼が指導者としての恩師になるんだと思う」

 まいばらという監督のを作った男は、僕の父親だった。

 喜びでも嫉妬でもない。形容し難い感情が胸の奥でぜる。

「涼雅さんはもっと上のステージでだって指揮をれる人だった。だから、ある時、意地悪をして聞いてみたの。『どうして、たかだか高校の部活動に、すべてを捧げられるんですか?』って。その時に返ってきたのが、『自分は妻と子どもを犠牲にしたから』という答えだった。涼雅さんの妻はとても身体の弱い人で、彼女の母親に、結婚も、出産も強く反対されていたらしい。でも、彼女は子どもを望み、妊娠し、息子を産んだ際に命を落としてしまった」

 そこまでは僕の知っている両親の話とそうなかった。

「妻がようだいを急変させたことを、涼雅さんは教えてもらえなかったみたい。仕事で遠征していた彼が新潟に戻った時には手遅れで、息を引き取った妻には会わせてすらもらえなかったって言っていた。『お前のせいで死んだんだ』って、泣きながらなじられて、妻と共に子どもも死んだって教えられたらしい。妻は自分を犠牲にしてでも、子どもを産みたがっていた。その意思は医師にも伝わっていた。息子も死んだという話は噓かもしれない。そんなことも考えたみたいだけど、結局、彼は義母の怒りに追い立てられて新潟を去った」

 世怜奈先生は淡々と言葉を続ける。

「愛せなかった息子の分まで、子どもたちに愛情を注ぎたいんだって、涼雅さんは言っていた。自分にはサッカーを教えることしか出来ないけれど、子どもたちを笑顔にしたいんだって」

 それから、世怜奈先生は苦笑する。

「優雅、ごめんね。私はその時、馬鹿じゃないのって思った。だってさ、もしも本当に息子が生きているのなら、今からでも出来ることなんて幾らでもあるじゃない。何でびびってるんだろう。ただの臆病者が、自己満足で正当化しているだけじゃんって思っちゃった」

 相変わらずの歯に衣着せぬ発言に、思わずつられて笑ってしまう。

「私は指導者として、涼雅さんのことを尊敬している。でもさ、サッカーでは絶対に迷わないくせに、自分の過去についてはたいがい情けないことを言ってたわけ。それで、むかついて調べちゃったんだよね。涼雅さんが抱える傷跡が、本当に実在する傷跡なのか確かめてやろうと思ったの」

 世怜奈先生のそうぼうに、いつもの生気に満ちた輝きが戻る。

「優雅。華代の推理は正解だよ。高槻涼雅は君の父親だし、私が大学を卒業してから二年待って赴任先を決めたのは、優雅に会うためだった。私は涼雅さんに救われたから、彼の息子に恩返しがしたかった。そんな風に言ったら綺麗にまとまるのかもしれないけど、正直に言うと理屈じゃないの。まだ中学生だった優雅の試合を、軽い気持ちで観に行ったのに、一瞬で魅せられてしまったんだよね。ああ、この子は私が欲しかったものを、全部持っているんだって思った。その時に、単純に指揮を執ってみたくなっちゃったの。君がプレーするチームの監督をやりたくなってしまった」

「……先生は僕のことを、父に話したんですか?」

「いいえ。話していない。優雅、これから私の気持ちをはっきり言うから、言葉の通りに理解して」

 笑顔の向こうに、まされた意志が覗く。

「私は優雅に対しても、涼雅さんに対しても、何もしない。今までも、これからもね。高校教師としての私が抱く願いはたった一つ、彼が率いるチームを倒すことだけよ。そこで二人が出会っても、出会わなくても、関与しない。優雅、未来を決めるのは君自身なんだよ」


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