第一話 年満月の月天心(2)ー1


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 全国の舞台で戦うための戦術ベクトルは明確になった。

 とはいえ、僕の前にはぜんとして大きな問題が立ちはだかっている。

 放課後、チームジャージに着替えてグラウンドに向かうと……。

ゆう先輩、すみません! 授業が終わった後で教室まで迎えに行ったんですけど……」

 セカンドキーパーを務める一年生、おうろうが気まずそうな顔で頭を下げてきた。

 グラウンドにはだかとリオ、三馬鹿トリオ二人の姿があったものの、リーダー格であるさかきばらかえでの姿が見当たらない。

 昨日の記者会見を経て、チームはようやく落ち着いた練習が出来るようになっている。しかし、アシスタントコーチである僕にGKゴールキーパーの指導を任せるという先生の案に納得がいかない楓は、昨日も早々にグラウンドから脱走していた。

 楓が公言している野望は、世間に認められることでも、全国大会で優勝することでもない。

 中学時代からのライバルであり、妹のおもい人でもある僕、たかつきゆうを倒すことである。最大の敵である僕の指導に従うなど、きんに触れる行為以外の何物でもないのだろう。

 過密日程を加味してのなのか、高校選手権では決勝戦以外で延長戦がおこなわれない。準々決勝までは八十分、準決勝では九十分を戦い、同点ならば即PK戦となる。

 県予選で優勝を決めた後、僕とおりは前監督に会いに行っている。全国大会で戦うためのアドバイスを求めると、にゆうねんにPK戦の準備をしておくようにとの答えが返ってきた。

 守備的に戦うと決めた以上、ドロー決着を避けられないゲームとも遭遇するだろう。

 GKの出来次第で、結果は天国にも地獄にも裏返る。選手権予選以上にPK戦への対策を練っておかねばならない。楓に準備して欲しいことは数え切れないほどにあった。

 レッドスワンの初戦は一月二日だ。残された期間は、たったの一ヵ月しかない。

 楓が心を入れ替えるまで待つ余裕などない。そもそも時間が解決する問題だとも思えない。

 入部届で自宅の住所を確認し、僕は一人、練習を切り上げて楓の家を訪ねることにした。


 午後五時半、携帯電話の地図機能を頼りに、榊原家へと到着する。

 仲の良い風変わりな妹がいるということ以外、僕は楓のことをよく知らない。大会の観戦に家族が訪れる家も多いけれど、楓の両親を認識したことはなかった。

 楓の自宅は手入れの行き届いた庭が広がる、なんおうふうれいな一軒家だった。

 チャイムを押すと、受験生である楓の妹、あずさちゃんが現れる。

 試合の観戦に訪れる際、彼女はいつでもゴシックロリータのファッションに身を包んでいる。非常に目立つ少女なわけだが、あれはあくまでもお出掛け用の装いなのだと思っていた。

「……優雅様。どうされたのですか?」

 玄関の扉を開けた梓ちゃんは、目を丸くして口元を手で隠す。

「梓ちゃんって家でもその格好なんだね」

「サッカー選手のユニフォームと同じで、ロリータは正装ですから」

「よく分からないけど、一貫した信念があるのはすごいことだね」

「ありがとうございます。優雅様に褒めて頂けるなんてせいてんへきれきです」

 両手を頰に当て、彼女は幸せそうに微笑んだ。

「お兄ちゃんに会いに来たんですよね? また何か問題を起こしたのでしょうか?」

「ああ、まあね。選手権までGKの練習を、僕がコーチングすることになったんだ。楓の奴、それが気にくわないみたいで、昨日、今日と立て続けに逃亡したってわけ。梓ちゃん、抽選会の前に放送された特番は見た?」

 彼女はしんみような顔で頷く。

「あんなことがあったばかりだから、気が立ってるのも仕方ないと思うんだけど、選手権の開幕は一ヵ月後だから、そろそろ問題を片付けておきたいんだ」

 榊原家を訪ねた理由を説明すると、家に上がるよううながされた。

 この家で待つ以外に逃げた楓を捕捉する方法はない。

 促されるまま自宅に上がり、楓を待たせてもらうことにした。


 暖色系のカラーでまとめられたリビングは、楓の自宅であるということが不思議なくらいにせいとんされていた。しかし、ソファーの前の机にだけサッカー雑誌が散乱している。楓はよくサッカー雑誌を読んでいるし、きっと彼の物だろう。

 リビングには年配の祖母がいたが、耳が遠いので気にしないで下さいと言われ、案内されたソファーに腰を下ろす。来客にすら気付いていないのか、ロッキングチェアに座る彼女の祖母は、一心不乱に編み物を続けていた。

「フォションのブルーベリーティーです」

 せんさいな装飾の入ったティーカップを僕の前に置き、梓ちゃんは向かいの座席に腰を下ろす。

「ごめんね。突然の訪問だったのに、気を遣わせてしまって」

「お気になさらないで下さい。悪いのは優雅様をわずらわせているお兄ちゃんですから」

「特番で楓に告白したさくらざわななって子、梓ちゃんも会ったことがあるの?」

「はい。九年前にこの家が建てられるまで、私たちの家族は西区のちんたいマンションに住んでいたんです。七海さんはその時のお隣さんでした」

「じゃあ、やっぱり幼馴染ってことか」

「この家にはお兄ちゃんが小学二年生の秋に引っ越したんですが、その年の夏休みに、七海さんの家族も東京へと引っ越しているんです。榊原家も櫻沢家も共働きで両親が忙しい家庭でしたので、親同士の交流はまったくありませんでした。だから両家が共に引っ越したことで、お兄ちゃんと七海さんの交流も終わったと思っていました」

「でも、向こうは楓のことを忘れていなかった」

「そういうことだと思います」

 彼女が所属する事務所は、所属タレントに恋愛禁止を命じているらしい。しかし、そんなルールなど完全に無視して、櫻沢七海は生放送の最中に、楓への愛を叫んでいた。

「びっくりしたよ。最初は何かの演出かと思ったけど、あの涙を見ちゃったらね。本気なんだってことが痛いくらいに伝わってきた」

「そうですね。七海さんはお兄ちゃんのことを今でも好きなのだと思います。ただ……」

 梓ちゃんはその瞳に、オブラートに包まれていないとげを見せる。

「あの特番での涙は間違いなく演技です。あの人は子どもの頃から、天才的に人をあざむくのがかった。天性の女優なんです。七海さんが今でもお兄ちゃんのことを好きなのは本当でしょう。思い込みの激しい人でしたから、子どもの頃の想いを引きずっていても不思議ではありません。ですが、あの日の涙と告白は、間違いなく計画的なものです。七海さんは子どもの頃から、恐ろしいくらいにようしゆうとうな人でした。世怜奈先生と優雅様の存在で、レッドスワンには春の時点から大きな注目が集まっていました。拡散された映像を通して、お兄ちゃんが大会に出場していることを知ったのかもしれません。そして、事務所が止められない場所で涙の告白を実行した。それが真相だと思います。もっと言えば、自ら応援マネージャーに立候補した可能性さえあるはずです」

 有り得ない話ではないだろう。レッドスワンの映像は観客によって幾つも動画投稿サイトにアップされている。あの高身長に、あの態度のでかさだ。楓が目立たないわけがない。

「根本の話を聞いて良い? 恋愛のことはよく分からないんだけど、相手は一応、人気女優なわけでしょ。楓の中にあの子を受け入れてみようかな、みたいな気持ちはないのかな?」

「思い込みが激しいのは、お兄ちゃんも同様です。子どもの頃、お兄ちゃんは七海さんに振り回されて、何度も恐ろしい目にいました。七海さんは非常識な策士ですので、完璧ないんぺいに成功していますが、彼女に付き合わされて死にかけたことさえあったはずです。そのせいでパブロフの犬のごとく、七海さんの存在が恐怖と等号で結ばれているんだと思います」

「何だか凄い人だったんだね」

「優雅様も気をつけて下さい。あの人は目的のためには手段を選びません」

「そうだね。まあ、人気女優に会う機会なんてないと思うけどさ。いずれにせよ、楓をサッカーに集中させたいなら、櫻沢七海とのいざこざを何とかしなきゃってことか」

 人間は悩みがある状態では集中出来ない。楓の心が櫻沢七海への恐怖に支配されている以上、それを取り除かなければ、あいつは……。

「ここに来て良かったよ。梓ちゃんの話を聞いて、やっと状況が整理出来た気がする」

 冷めかけてしまったブルーベリーティーに口をつける。

「楓はレッドスワンのかくだ。あいつが力を発揮出来なきゃ全国では勝てない」

「お兄ちゃんが優雅様に頼りにされているのはうれしいです」

「梓ちゃんが身内だから言ってるわけじゃないよ。僕は本当に、あいつが高校ナンバーワンのGKになれるって信じてる。だから絶対に何とかしたいんだ」


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