第一話 年満月の月天心(2)ー1
2
全国の舞台で戦うための戦術ベクトルは明確になった。
とはいえ、僕の前には
放課後、チームジャージに着替えてグラウンドに向かうと……。
「
セカンドキーパーを務める一年生、
グラウンドには
昨日の記者会見を経て、チームはようやく落ち着いた練習が出来るようになっている。しかし、アシスタントコーチである僕に
楓が公言している野望は、世間に認められることでも、全国大会で優勝することでもない。
中学時代からのライバルであり、妹の
過密日程を加味しての
県予選で優勝を決めた後、僕と
守備的に戦うと決めた以上、ドロー決着を避けられないゲームとも遭遇するだろう。
GKの出来次第で、結果は天国にも地獄にも裏返る。選手権予選以上にPK戦への対策を練っておかねばならない。楓に準備して欲しいことは数え切れないほどにあった。
レッドスワンの初戦は一月二日だ。残された期間は、たったの一ヵ月しかない。
楓が心を入れ替えるまで待つ余裕などない。そもそも時間が解決する問題だとも思えない。
入部届で自宅の住所を確認し、僕は一人、練習を切り上げて楓の家を訪ねることにした。
午後五時半、携帯電話の地図機能を頼りに、榊原家へと到着する。
仲の良い風変わりな妹がいるということ以外、僕は楓のことをよく知らない。大会の観戦に家族が訪れる家も多いけれど、楓の両親を認識したことはなかった。
楓の自宅は手入れの行き届いた庭が広がる、
チャイムを押すと、受験生である楓の妹、
試合の観戦に訪れる際、彼女はいつでもゴシックロリータのファッションに身を包んでいる。非常に目立つ少女なわけだが、あれはあくまでもお出掛け用の装いなのだと思っていた。
「……優雅様。どうされたのですか?」
玄関の扉を開けた梓ちゃんは、目を丸くして口元を手で隠す。
「梓ちゃんって家でもその格好なんだね」
「サッカー選手のユニフォームと同じで、ロリータは正装ですから」
「よく分からないけど、一貫した信念があるのは
「ありがとうございます。優雅様に褒めて頂けるなんて
両手を頰に当て、彼女は幸せそうに微笑んだ。
「お兄ちゃんに会いに来たんですよね? また何か問題を起こしたのでしょうか?」
「ああ、まあね。選手権までGKの練習を、僕がコーチングすることになったんだ。楓の奴、それが気にくわないみたいで、昨日、今日と立て続けに逃亡したってわけ。梓ちゃん、抽選会の前に放送された特番は見た?」
彼女は
「あんなことがあったばかりだから、気が立ってるのも仕方ないと思うんだけど、選手権の開幕は一ヵ月後だから、そろそろ問題を片付けておきたいんだ」
榊原家を訪ねた理由を説明すると、家に上がるよう
この家で待つ以外に逃げた楓を捕捉する方法はない。
促されるまま自宅に上がり、楓を待たせてもらうことにした。
暖色系のカラーでまとめられたリビングは、楓の自宅であるということが不思議なくらいに
リビングには年配の祖母がいたが、耳が遠いので気にしないで下さいと言われ、案内されたソファーに腰を下ろす。来客にすら気付いていないのか、ロッキングチェアに座る彼女の祖母は、一心不乱に編み物を続けていた。
「フォションのブルーベリーティーです」
「ごめんね。突然の訪問だったのに、気を遣わせてしまって」
「お気になさらないで下さい。悪いのは優雅様を
「特番で楓に告白した
「はい。九年前にこの家が建てられるまで、私たちの家族は西区の
「じゃあ、やっぱり幼馴染ってことか」
「この家にはお兄ちゃんが小学二年生の秋に引っ越したんですが、その年の夏休みに、七海さんの家族も東京へと引っ越しているんです。榊原家も櫻沢家も共働きで両親が忙しい家庭でしたので、親同士の交流はまったくありませんでした。だから両家が共に引っ越したことで、お兄ちゃんと七海さんの交流も終わったと思っていました」
「でも、向こうは楓のことを忘れていなかった」
「そういうことだと思います」
彼女が所属する事務所は、所属タレントに恋愛禁止を命じているらしい。しかし、そんなルールなど完全に無視して、櫻沢七海は生放送の最中に、楓への愛を叫んでいた。
「びっくりしたよ。最初は何かの演出かと思ったけど、あの涙を見ちゃったらね。本気なんだってことが痛いくらいに伝わってきた」
「そうですね。七海さんはお兄ちゃんのことを今でも好きなのだと思います。ただ……」
梓ちゃんはその瞳に、オブラートに包まれていない
「あの特番での涙は間違いなく演技です。あの人は子どもの頃から、天才的に人を
有り得ない話ではないだろう。レッドスワンの映像は観客によって幾つも動画投稿サイトにアップされている。あの高身長に、あの態度のでかさだ。楓が目立たないわけがない。
「根本の話を聞いて良い? 恋愛のことはよく分からないんだけど、相手は一応、人気女優なわけでしょ。楓の中にあの子を受け入れてみようかな、みたいな気持ちはないのかな?」
「思い込みが激しいのは、お兄ちゃんも同様です。子どもの頃、お兄ちゃんは七海さんに振り回されて、何度も恐ろしい目に
「何だか凄い人だったんだね」
「優雅様も気をつけて下さい。あの人は目的のためには手段を選びません」
「そうだね。まあ、人気女優に会う機会なんてないと思うけどさ。いずれにせよ、楓をサッカーに集中させたいなら、櫻沢七海とのいざこざを何とかしなきゃってことか」
人間は悩みがある状態では集中出来ない。楓の心が櫻沢七海への恐怖に支配されている以上、それを取り除かなければ、あいつは……。
「ここに来て良かったよ。梓ちゃんの話を聞いて、やっと状況が整理出来た気がする」
冷めかけてしまったブルーベリーティーに口をつける。
「楓はレッドスワンの
「お兄ちゃんが優雅様に頼りにされているのは
「梓ちゃんが身内だから言ってるわけじゃないよ。僕は本当に、あいつが高校ナンバーワンのGKになれるって信じてる。だから絶対に何とかしたいんだ」
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