第34話

 時雨さんは微笑む。

 彼がこの絵を見たのはいつなのか。わからないけど、絵を前に足を止めたままの彼が見える。


「彼に話したのは少しだが、この絵を売りに来たのは恋人を亡くした女性ひとだった。恋人は車椅子に乗り、命尽きるまで空を見るのを楽しんだという。子供の頃からの宇宙飛行士の夢。叶わなかったかわりに、恋人は宇宙そらを描いた。真っ白な星は宇宙と共に生きる夢の光。恋人は願ったそうだ。永遠とわの旅を続けるために、この絵を売りに出してくれと」

「どうして時雨さんは、彼にこの絵を」

「言っただろう? 彼の未来に寄り添っていくだろうと。僕の勘に過ぎないがね」


 振り向くと小人達が時雨さんを見上げている。

 話を聞いてるのかな。

 指を立てて、ひとりひとりを数えるように動かすと、小人達は驚き商品のうしろに隠れてしまった。見えるのが時雨さんだったら、みんな大喜びで走り回るんだろうか。


「彼は苦しみを秘めているね。それが何かはわからないが」

「彼と少しだけ話せたんです。彼が背負うもの……僕には、受け止めきれないものでした」

「それでも、颯太君は受け止めようとしている。その想いが、彼の背中を押していくと僕は信じるよ」


 時雨さんは不思議な人だ。

 どうして時雨さんが話すことは、こんなにも温かく僕を和らげてくれるのか。いつかは僕も時雨さんみたいになれるのかな。


「時雨さん、信じてくれますか? 僕は天使に会ったんです。リリスという名の綺麗な女性ひと。彼女がいたから彼を知ることが出来た。彼女がいたから僕は……知らなかった世界を知り、巡り会える奇跡を知ったんです」

「信じるさ。僕は何ひとつ嘘だと思ったことはないんだ。騙されようとも、信じれば変わっていくものがあるから。颯太君、未来も同じだ。信じれば変わっていくものがある。変えていけることもある」


 兄貴と紅葉さんの弾む声と、可愛らしく響く風丸の声。リリスを助けだせたら、みんなで集まれればいいな。


 リリスは喜ぶ気がするんだ。

 みんなが笑い、喜ぶ場所を。


 壁から外された絵が僕に渡された。

 振り向き僕を見る彼の残像。

 そうだ、渡さなきゃ。

 時雨さんに……羽根を。


「時雨さん、渡したいものがあるんです。絵のお礼に」

「気持ちだけでいい。茶飲みに戻るとしよう」

「でも、これは」


 物が秘める思い出を知ることが出来る。

 時雨さんに持っててほしいのに。


「紅葉さん、土産の礼にお茶を淹れよう。郁人君が大福餅を買いに行ってくれるそうだ」

「時雨さん、僕は一言も」

「はいはい、お兄さん。買ってくれるなら豆大福にしておくれ。時雨さんには敵わないね、大福餅に振り回されちまう」


 時雨さんってば、僕からは受け取らないくせに。


「時雨さん、僕は」

「颯太君の気持ちだけでいいんだ。僕に渡そうとしているものは、君が託されたもの。そして、君が託すべき人は僕じゃなく彼だ。これも、僕の勘に過ぎないがね」


 温かい笑みを前に思う。時雨さんには未来が見えてるのかな。オルゴールが語った時雨さんは神様だって話。もしも……それが本当だとしたら。


 神と呼ばれる者が生みだした世界。

 天使と死神を包む、不条理な夢物語とは違う。


 時雨さんが描くものは優しさに包まれた夢物語だ。

 捨てられ、忘れられた悲しみが知る優しさ。



 僕を包む夢物語は



 限りある未来を知っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る