第27話

 血色が覆う左目。

 痛々しさが僕に震えを呼んだ。


「遠のいた過去、僕はこの顔を切り裂いた。死神の記憶から逃れるため。死神が愛した女、マリーが黄昏庭園と呼んだ場所で」

「黄昏庭園?」

「屋敷の庭、樹々に囲まれ鮮やかな花が咲く。血塗れの僕を前にリリスは笑った。それが蔑みでないと誰が言い切れる?」


 夢道さんが持つミルクティーに彼の手が伸ばされていく。蓋が開けられ流れてくる甘い匂い。


「痕を残す代わりに渡されたノート。死神の記憶と向き合い自分を探す。リリスに言われるまますべてを書き記した。僕はリリスの操り人形にすぎない」


 音を立てず飲まれていくミルクティー。

 抱き続けた憎しみの深さ。返す言葉がなく、あとを追うようにミルクティーを飲む。考えるのは霧島のこと。


「雪斗君との日々は幸せですか。リリスとの繋がりにも、幸せな何かが」

「生まれた時にだけ、リリスの優しさを感じた。僕が何者なのか……わからず震える僕を、リリスが抱きしめた時」


 開かれたままの左目。

 血で固められ、閉じることを許されなくなった痛みの代償。それでも、彼の中に残るリリスの優しさの記憶。

 いつかそれが、リリスへの憎しみを薄れさせていく魔法に変わるなら。


 僕が今出来ることは信じること。

 その時が彼にやって来るように。


 彼の隣に座り、夢道さんが飲みだしたココア。

 夢道さんは僕に微笑み、買ってきたおにぎりを差しだしてきた。オムライス風味……なんだってこんな時に。夢道さん、ほんとに空気読んでるのかな。


「都筑君、お昼休みに食べてみたら? 雪斗様はオムライスが好きみたいなの。ふたりで半分ずつもいいと思うし、遊びに来る楽しみも出来るでしょ?」


 霧島邸。

 みんなで行っていいのかわからなくなってきた。霧島が手紙に入れた招待状のこと、彼は知ってるのかな。


「霧島さん、いいんですか? 僕と友達が屋敷に訪ねても」

「雪斗は僕のあとを継ぐ。雪斗が決めることに口出しはしない」

「楽しみですね貴音様。私も先輩達もお客様が来るのを楽しみにしているの。都筑君、雪斗様をよろしくね」

「美結、缶を捨てて来るんだ。彼のものも」


 彼から缶を受け取った夢道さん。

 立ち上がった夢道さんを前に僕は残りのミルクティーを飲む。


「都筑君ったら。急がなくてもいいのに」

「2時間目には遅れたくないんで」


 缶を手渡すと、夢道さんはすぐに離れていった。

 再び訪れたふたりだけの時。気まずさが僕を包む。


「僕が何故、左目を見せたかわかるか?」

「リリスのことで。霧島さんがどれだけの憎しみを秘めているか」

「それだけじゃない。だ、黄昏庭園には近づくな」

「どういう……ことですか」


 警告という重苦しい響き。

 それが何を意味するのか。


「君達が来るのを雪斗は望んでいる。来たければ何度でも来るがいい。僕からの条件は黄昏庭園に誰ひとり近づかないことだ。警告が意味するのは、黄昏庭園に棲む妖魔のこと」

「……妖魔?」


 彼は何を言ってるんだろう。

 黄昏に包まれる世界は綺麗な場所なのに。


「遠のいた黄昏時、ふたつの血が黄昏庭園に流れ落ちた。翼を斬り落とした死神と顔を切り裂いた僕。不死の血が混じり生みだした妖魔もの。それは、黄昏時に目を覚ます」


 不死。

 体から流れたあとも生きているもの

 それが生みだした……異形の


「傷ついた左目には、妖魔の姿だけが映り見える。黄昏と共に響く僕にだけ聞こえる声。それは人への羨望を持ち続けている」

「どうして、僕に?」

「君が言った。リリスは罰を受け閉じ込められたと」


 どくりと体の何処かから音がする。


 緊張。

 恐怖

 予感。


 何が音を立てたのかわからない。


「数日前、妖魔の叫び声を聞いた。喜びとも悲鳴とも取れる響き。これは僕の憶測だが、リリスの命を妖魔が飲み込んだとしたら? 死神の願いと、僕の憎しみが混じり合うままに」


 氷に閉じ込められたリリス。

 生気を失くした肌の色……あれは。


「君の話を受け止め、リリスを許そうと……妖魔の中で憎しみは生き続けるだろう」


 神と呼ばれる者の逆鱗。

 それは長い時の流れの中、リリスが訴え続けたものを……残酷な形で


「憶測に過ぎない。罰を下した者でない限り、リリスが落とされた地獄を知りうる者はいないのだから」



 憶測……だけど、それでも。


 リリスの命は何処にある。




 リリスは今……どんな想いを。










 次章〈黄昏庭園の妖魔〉

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