第16話

 リリスの思い出。

 リリスが語ることはない何か。

 震えだした体。

 僕が知ることは許されるのか。もしここに……リリスが現れたら。


「ユウナ、リリスは僕達を見てるんじゃないかな。リリスが来たら」

「ここは私とハムスター達の世界。誰が来ようと恐れることはない。安心したまえ」


 何を根拠にした安心なんだろう。

 だけど不思議だな。ユウナの笑みは何にも負けない気がするんだ。子供の姿で上から目線のくせに。


 ユウナから渡されたリリスの思い出帳。震える手でめくり見えた見知らぬ文字。何処かの国の、壁画に書かれたようなもの。


「なんだこれ。こんなの読めないよ」

「読もうとせず感じ取れ。記されたものが、何を見せようとしているのかを」


 難しいことを言いやがって。

 感じ取るってどうしろって言うんだ。どれだけ文字をなぞっても、見えてくるものはないんだけど。



 体が揺れる感覚とまぶたが感じだした重さ。

 夢が……終わろうとしてるのか?


「客人、次の夢に向かう時が」


 ユウナには消えかかった僕が見えるのか。まぶたを閉じ見える闇の中思う。


 まだ終わらないでくれ。

 次の夢なんて見たくないんだ。


 せめて今だけは


「終わらないで……くれ」


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 チビの声が響く。

 僕を呼び戻そうとするように。

 優しいなチビは。僕が困ってるのをわかってくれるんだから。




「なんだ?」


 闇の中に現れた真っ白な光。

 それは滲むように広がり、ひとつの姿を作りだした。


 僕を見る赤い目と、輝くような白銀の毛。長い耳と闇の中で揺れる何本もの尻尾。

 なんだ……あのヘンテコ。


 「望みを叶えよう、人間」


 しわがれた声が闇の中に響く。

 もしかして、ヘンテコの声か?


 「お前が見るはずの、新たなものは我がすべて喰らう。今の夢に留まるがよい」


 喰らう?

 夢を食べるって何言ってんだ。

 バクじゃあるまいし。


 「我は夢守ゆめもりであり夢の狩人」


 ヘンテコの口の中、いくつもの牙が見える。

 地響きのような咆哮が僕を弾いた。




 呆気に取られたようなユウナと、チビにしがみつくピケが見える。

 走り回るハムスター集団と開いたままの思い出帳。

 狼を思わせる白銀の獣。

 今の、幻だったのか?


「驚いたな、今の声はなんだ? それに客人」


 体の揺れもまぶたの重みもない。

 僕は……夢守りの力で。


「夢守りが現れたんだ。ユウナが聞いたのはそいつの咆哮だよ」

「夢守り? なるほど、見るはずの夢は喰われたということか」

「ユウナ様、大丈夫なんでチュウ? 今のは怪物の声でチュウ‼︎」

「ピケにとっての怪物は私だろう?」

「かっ怪物だなんて思ってないでチュウ‼︎」


 慌てるピケの顔でズレ落ちた眼鏡。


 ワンッ‼︎

 ワンッ‼︎


 ピケを励ますチビにユウナが微笑む。


 開かれたページをなぞり目を閉じた。

 自分の意志で呼び寄せた闇。

 見知らぬ文字。

 ユウナが言うように、感じ取ることが僕に出来るのか。

 わからないけどそれでも。

 脳裏に浮かぶリリスの残像。

 彼と同じ顔に浮かぶ笑みに、リオンの残像が重なっていく。








 闇の中で感じ始めたものがある。

 僕を包む涼やかな風。

 闇が崩れだし、見えてきた見知らぬ光景。

 青い空と緑の草原。草原の中に見える真っ白な塔。空を突き破るような、途方もない高さだ。


「何処だ……これ」

「客人、見えるものはなんだ?」

「塔が見える。あとは、空と草原」

「おそらくは天界。天使と死神が住む世界だろう」


 天界。

 いつかの日、リリスが見ていた光景ものだろうか。


 ——リリス、神様に問いただそうとしても、門前払いで終わりよ? 私達に与えられたものを変えることは出来ない。


 女の声が聞こえる。

 見えてきたのは褐色の肌の女。


 ——無理と思うなら私から離れて。カレン、変だとは思わない? 私達は何故生き続けなければいけないのか。生きることを否定する訳じゃない。命の重みを感じるからこその疑問なの。天使と死神……何故、にだけ不死の命が与えられたのか。


 ——神様には考えがあるのよ。それよりもリリス、リオンがまだ戻らないわ。人間界から。


 カレンと呼ばれた女の顔に宿る翳り。


 ——この頃、リオンは人間界に降りてばかりだわ。


 ——彼が気になるの? リオン……確か死神の中ひとりだけ、黒い翼を与えられた子ね。


 ——そうよ、真っ黒な翼‼︎ リリスにだけ教えてあげるわ。彼の翼はね、陽に照らされると虹色に輝くの。私も与えてほしかったな。リオンと同じように、私の翼も輝けばいいのに。


 カレンの褐色の肌が赤みを帯びたように見える。

 弾むような笑顔。

 カレンは……リオンのことが。


 ——そう願うなら、神様に頼めばいいわ。私の疑問と一緒に門前払いで終わるでしょうけど?


 ——リリスってば、意地悪ね。


 カレンの笑い声が空に流れていく。

 リリスとカレンが向かう塔。そこに神がいるんだろうか。空に雲はなく、眩しい陽射しが草原を照りつける。


 ——リリス、私達は与えられた仕事と一緒に自由を与えられている。不死の命は無限の自由なの。難しいことは考えないで、時の流れを楽しむべきよ。


 ——そうかしら? 私達が見守り、降りていく地球。人が生きる姿は私達よりずっと、輝いて見えるけれど。

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