第2章 真の目的

エピソード12 眠らない街 新宿歌舞伎町

 肉じゃが、ほうれん草のおひたし、カツオのタタキブロックをスライスしてたっぷりのさらしタマネギを添えた。それに味噌汁と白ご飯だ。人に食べてもらうとなると作り甲斐があるものだ。


「いただきます」

 曹瑛も食事前には手を合わせる。

「これ、お刺身ですけど、外側が炙ってあるから食べやすいですよ」

 曹瑛は伊織を一瞥し、カツオに手を伸ばした。一切れ食べて、続けて箸を伸ばしている。中国人は苦手と思われた生ものも口に合ったようだ。


「肉じゃがは制作過程が途中までカレーと同じなんですよ。ルーが無いと気付いて、そのまま肉じゃがにして食べることもよくあったなあ」

 曹瑛が黙々と食べる中、伊織は一方的に話し続ける。

「瑛さん、聞いていいですか」

「なんだ」

「おいしい?」

「ああ」

 短い返事だが、伊織は嬉しく思った。料理は得意というよりは必要に迫られてのことだ。1人暮らしを始めた頃、一時期でも料理を頑張ったのが役に立った。勘は失われていないものだ。


 食後の片付けを終えて曹瑛が身支度を始めた。夜の街に繰り出そうということか。

「歌舞伎町に行く」

 伊織は固まった。歌舞伎町、接待でクラブに入ったことがあるが、あの初心者お断りな雰囲気は田舎者の自分には到底相容れない。

 入る店を間違えたら噂に聞くぼったくりバーなんてことも平気であるらしい。


「どんな店を考えていますか」

 おそるおそる伊織は尋ねる。高級クラブだのガールズバーだの、それこそいかがわしいサービスの風俗店なら、外で待つことにしようと思った。

「この店だ」

 曹瑛のタブレットを覗き込むと、GOLD-HEARTという店のホームページが表示されていた。黒を基調にした洒落た雰囲気のデザインで、ずらりと並ぶ酒瓶の写真からお酒を楽しむ通好みの店というイメージだ。


「場所は調べた。新宿二丁目だ」

 伊織は眉根を寄せる。いわゆるゲイバーの多い通りだ。曹瑛は知っているのだろうか。

「行くぞ」


 夜の新宿。ネオンの煌めきが夜空を燃やすように照らしている。駅前の居酒屋やレストランは大勢の若者やカップルたちで賑わっている。

 伊織は雑踏の中を苦も無く進む曹瑛の背を懸命に追う。長身なのにやたらフットワークが良い。

 夜の新宿も立派な日本観光だが、場慣れしていない伊織には不得手な場所だ。最高に気が進まないが、曹瑛がついて来いというのだから断る訳にはいかない。


「ここだ」

 雑居ビルの前に看板が出ている。蔦を絡めたロゴで”GOLD-HEART”と書いてある。

 狭い入り口を抜けて入った店内は、ブルーのダウンライトで演出された落ち着いた雰囲気のショットバーだった。


 伊織は物珍しそうに店内を見回す。少人数のグループやカップルがグラスを傾けながら会話を楽しんでいる。男女もいれば、同性同士も多いようだ。親密な雰囲気からカップルであることが伺われた。

 おおっぴらにゲイバーと謳ってはいないが、性的マイノリティに差別は無い店という印象だ。雰囲気に圧倒され、ぼやっと突っ立っていた伊織の手を引いて、曹瑛はカウンターへ向かう。


「飲みやすいカクテルを、こっちにも」

 曹瑛は場慣れしている様子だった。マスターが酒の解説をしながらカクテルグラスを二つ差し出す。

 聞いたことのない洒落た名前のカクテルだ。そもそも伊織は下戸で酒の知識はさっぱりだった。横を見れば、曹瑛がグラスを傾けている。やや影のあるその姿はえらくサマになる。


「タカヤって子は今日来てるか」

 曹瑛がマスターに尋ねる。マスターは店内を見回し、店の一番端のテーブルで飲んでいる男二人組を指さした。

 知り合いなのか、伊織は曹瑛の顔を見上げた。曹瑛はグラスを持ち、二人組の方へ向かった。

「タカヤはどっちだ」

 曹瑛は二人を見比べる。

「どっちだと思う?」

 突然の不躾な質問に、男の一人が前に出て、形の良い眉をつり上げ、舐めるような目つきで曹瑛を値踏みしている。

 曹瑛は動じることなく、冷ややかな目で男を見下ろしている。その瞳に宿るただならぬ光を察したのか、連れの小柄な金髪の男の背を押した。

「行きなよ」

 促されてその場から去ろうとした金髪男の腕を曹瑛が掴んだ。


「は、放せよっ」

 金髪男は小さく悲鳴を上げるが、店内のムーディーなBGMにかき消されてしまった。

「瑛さん、なにやってんの」

 伊織は曹瑛の怪力とも言える握力をよく知っている。慌てて止めようとするが、曹瑛は邪魔をするなと伊織を睨みつける。


「お前がタカヤか」

 掴んだ腕を軽く捻っているだけに見えるが、関節は確実に極められていた。金髪男はその場にへたり込みそうになる。しかし曹瑛はそれを許さない。

「痛い、お、折れる」

「俺だ、俺がタカヤだ」

 横にいた連れの男が見かねて名乗り出た。曹瑛は手を放す。金髪男は腕をさすりながら人混みをかき分けて逃げるように出ていった。


「せっかくナンパした子だったのに、あんた責任取ってよ」

 タカヤらしい男が挑発的な目で曹瑛を見上げる。曹瑛はニヤリと笑う。伊織はその笑顔に背筋が凍った。筋肉だけを使って口角を吊り上げている。そこには全く感情が無い。

 タカヤもその凄みに押されたのか、軽口を叩くのをやめた。

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