悲劇のヒロイン
強欲と入れ替わる形でサクは少女の元に姿を現す。
マリアは闇に染まった空をぼんやりと見上げていた。
「無事に終わったようですね」
冷ややかな声に反応してビクッと肩を震わせてから、少女はそちらを向く。
「どこかで見てたの? 趣味悪いわよ」
怪訝な目を向ける。刺すような眼光がほとばしる中、シスターは静かに立っていた。深き闇の中で彼女の白さはよく目立つ。
「やましいことは考えておりません。お許しください」
真面目くさった口調で告げてから、視線を上げる。
「私は不安に思っておりました。あなたが途中で投げ出さないか」
なぜか白々しさの漂う態度。少女の表情が険しさを増す。彼女の放つ空気もピリリと鋭さを増した。
「逃げるわけないじゃない。あたしはやわな女じゃないわ」
「いいえ、あなたは弱い人間です。ゆえに俯瞰を用いて、見張っておりました」
サクは淡々と言葉を吐く。彼女に悪意はない。本当にその自覚がないのだろう。
マリアも相手の行動と心理は肯定する。不安であれば見守るのは正しい判断だ。それはそれとして失態まで把握されているのは、気に食わない。恥じらいを覚えて手のひらが汗ばむ。
「私があなたの前に姿を現したのは、ほかでもない」
無表情に戻って、女は口を開く。
「恋愛相談の続きをしに、参ったのです」
それを受けてマリアは目を丸くし、瞬きを繰り返した。
恋愛相談の続きとは、いまさらなにだというのだろう。アドバイスを受ける気はないし、これからは自力で前に進むつもりでいた。
くわえて自身を悪く言われることに慣れていないし、望んでもいない。妙な緊張感が募り、頬に汗が浮かぶ。雫が流れていった。
「あなたはご自身の悪いところを受け入れねばならない。そうはお思いになりませんか?」
シスターが視線を送る。彼女の瞳は夜の闇に似た濃紺。
目が合った瞬間、凍りつくような感覚が体の中心から全身へ広がった。心が震える。痛いところを突かれたという実感があった。
いままでマリアは他人のせいにし続け、言い訳を繰り返している。
しかし、それがなにだというのか。心の中で苛立ち混じりにつぶやく。
自分は悪くはない。そう言い逃れをしてなにがいけないのだろうか。
「まさか、ご自分が悲劇のヒロインだとでも、お考えですか?」
マリアの哀れな思考を読んだように、皮肉げに問いかける。
シスターは眉と目の間を狭めた表情をし、蔑むような目つきをしていた。
途端に心が揺らぐ。
頭をガツンと殴られたような。
脳もろとも肉体すらも震わすような衝撃が走る。
「あなたは、自己中心的な性格です」
鋭い指摘を受けて知らずしらずの内に、顔に熱が上っていた。
マリアは奥歯を噛む。言い訳をしたい。反論がしたい。
見ず知らずの相手に自分のなにが分かるのだろうか。なにもかもを知ったような口調で、説教を仕掛けるだなんて。
「そうではありませんか? どなたに対しても感謝をなさらず、当たり散らしてばかり。あなたが性格がよいだなんて、ありえませんよね?」
煽るように口を片方だけ、つり上げる。
思わず歯をギシリと鳴らした。
「そんなわけないでしょうが!」
怒号と共に身を乗り出す。
「あたしだって考えてるのよ。こうしなきゃいけない、これじゃ駄目だって。でも、できないの! 言えないの! この気持ちがあんたに分かるの?」
自分は悪くない。
頭の中で何度も繰り返した言葉を、もう一度口の中でつぶやく。
「だって仕方ないじゃない」
淡く、溶けるような、儚く、頼りない声。
マリアは素直になれない性格である。おのれの気持ちを伝えることが怖くて仕方がない。ただそれだけのことなのに、誰も分かってくれなかった。なにもかも、こちらが悪いと決めつける。彼女にのみ否があると言わんばかりに、避けるだけだった。
「悲劇のヒロインになったおつもりですか? ああ、気持ちがいいでしょうね。なにもかもを他人のせいにして、ご自身が被害者でいるのは。そうして被害者のままでいるのが、なによりも楽なのに。あなたは存じておられぬのですね?」
四白眼が少女をとらえる。闇を凝縮した瞳から妖しい光が漏れた。狂気をはらんだシスターの姿は、劇の幽霊役に似ている。
しかし、今はそれよりも。
ただただしスターの発言が、態度が、全てが憎くてたまらない。
被害者が、楽だと。
被害を受けているのだから、楽なわけがない。
相手はなにを言っているのだろうか。
「被害者、楽ですよ。楽で楽で仕方がありません。だって、責任を加害者に押し付けられるのですから。おのれは一切、悪くはない。そう思わせてくださる者がいる。それを補完なさる者がいる」
雲に覆われた思考の隙間を縫うように、シスターの声が耳に届く。
「対して、加害者はいかがです? 弁護してくださる者はいるにせよ、世間は敵に回ります。誰もその人を庇いはいたしません。それはそうでしょう。だって、害を与えたものなのですから」
平坦な声を聞いていると胸がムカムカとしてきた。
相手の口を塞ぎたくてたまらなくなる。
「私がそれが羨ましくてたまりません。ねえ、あなたも、そうなのでしょう?」
淡い色をした唇が弧を描いた。
ふたたび目と目が合う。
シスターは確かに、少女を見ていた。
『あなたも』
『そう』
女の放った単語がパズルのピースのように脳内に散らばり、消える。
自分はいったい、なにを考えてきた?
羨ましい。
羨ましい?
なにに対して?
いままで起きた出来事を振り返る。
脳はあらゆるエピソードを瞬時に引き出し、再生した。
事故に遭った人。
戦争に巻き込まれて死んだ者。
凄惨なエピソードを耳に入れてなんと思ったのか……。
羨ましい。
不幸な目に遭って、羨ましい。
それらを自慢するように語れて、羨ましい。
自分よりも不幸な人間が憎らしくて、たまらない。
「ああ……ああ……」
崩れ落ち、膝をつく。
頭を抱え、うつむいた。
ウェーブのかかった髪が舞う。
嵐に巻き込まれたかのように、情景が揺らめく。
空気が明らかに変わった。
「これは……」
息を吐くようなシスターのつぶやき。
その発生源の少女も、異常には気づいていた。
彼女が放つ禍々しいオーラ。その心にはなにが溜まっていたのか。呪い。憎しみ。視界に入るありとあらゆるものが憎らしくて、たまらなかった。誰かを羨まずにはいられない。今もどうせなら呪い殺してしまいたいと、望んでいる。
その邪悪な願いを叶える権利を持ちながら、それをなす心を持たぬのが彼女であった。
だけど、違う。
こんな醜いあたしは知らない。
こんなあたしは自分じゃない。
呪文のように胸の内でつぶやく。
けれども、否定はできない。いくら漂白をしようと胸に生じた嫉妬は事実なのだから。
「いかがです?」
シスターは淡い声音で、話しかける。
「あなた、結局はそうなのでしょう? 誰もが同情し、嘆き悲しむようなヒロインになりたかった。違いますか?」
違う。
違うと。
ハッキリと言えたら、どれほどよかっただろう。
心が闇に染まっていくような感覚がした。
それが自身の醜さの証明になっているようで、気分が悪い。
「けれども、なれなかった。あなたはむしろ、周りに害を与える側です。ゆえにいつまでも孤立したまま」
「だけど、あたしは。あたしは……!」
顔を上げ、口を大きく開く。
なにかを訴えるような目で相手を見つめた。
シスターは感情を一ミリも宿さぬ瞳で、嫉妬を見澄ます。深い闇に染まった双眸に少女が映る。それは余裕をなくした顔をしていた。
瞬間、心が波打つ。体の内側から海のような感情があふれ出す。色は青。潮気を含んだ匂い。いうなれば、悲しみ。
誰の?
自分に対しての?
自分の運命に対しての?
誰にも認められないことに。
一方的に悪人と扱われたことか。
なぜ、誰も彼もがこちらを責めるのだろう。
なぜ、この世にいてはいけない人間だと、決めつけるのだろうか。
自分はただ生きていたいだけなのに。
分からない。
それでも、自身の肉体からあふれ出した魔力が、感情の色と同じであることに、変わりはなかった。
あふれ出す。
青のオーラをまとい。
波打つ髪が揺れ動き。
風が巻き起こる。
突風に建物が揺れた。
「素直になれない件もそうです。伝えなければ意味がありません。誤解であろうがなかろうが、あなたが周りか性格が悪い・わがままな人間だと思われているのは、事実でしょう?」
シスターの勝ち誇った態度を目にし、世界の闇が凝縮したような絶望を、少女は抱いた。
なぜ、こうなのだろう。
自分が悪いことくらい、心の隅では分かっていた。
だからどうしろと言うのだろう。
いくら考えようと答えは浮かばなかった。
「もういいわ」
求めていた答えは聞けなかった。
そして瞳には、なにも映らなくなる。正確には見ようとしないだけだ。
見たところであたりは真っ暗。黒き景色を背に彼女は立つ。
そしてゆらりと彼方を向く。
青の透けた黒い瞳で。
灰色の建物を見た。
崩れかかったそれを。
「――――」
小さく、唱える。
唇を動かした。
刹那、技が発動。
水が発生。
透明な波動が建物を破壊する。
虚ろな視線を向けた先で、シスターは闇に消えた。
逃げたのだ。
ほどなくしてあたりに静寂が戻る。
心は落ち着いたが体は消耗していた。息が荒い。立っていたくさえなく、いっそ倒れてしまいたかった。
けれども、町にいたくもない。自身が刻んだ破壊の跡が残っているからだ。
そう、全ては破壊された後だった。盗賊団の基地があった場所は、ただの荒野。残るは瓦礫のみ。周りの建物は無人で、生きている者はいなかった。本来なら安堵するべきことだが、今となっては虚無感しか浮かばない。
彼女はゴミと化した全てに背を向ける。
廃墟を歩き、煤けた空を見上げた。夜空には丸い月が浮かんでいる。
なんて大きく広い空。視界に入れると、いかに自分がちっぽけか自覚する。
否、元よりそんなもの。魔族に呑まれ縮小した人類の生活区域ですら、その全体と比較すると、彼女はあまりにも小さすぎた。
混沌とした心も静まるのを感じる中、一つの影が見えてきた。月を見上げる男。彼は相手の接近に気づいたのか、ゆっくりとこちらを向く。
マリアも足を止めた。暫時、気の抜けた表情で突っ立っていたが、すぐに引き締まった顔になり、相手を睨む。
「あんたはよくもあたしを……!」
派手なつなぎにメッシュの入った髪――間違いなく、ルイだ。彼の正体に気づいた瞬間、苦い感情が胸にこみ上げてくる。彼には散々蔑まれ恥をかかされた、因縁の相手だ。即座に槍を握りしめ、突きを繰り出す体勢に入る。
しかし、ルイは彼女の容姿や感情に目を向けてなお、表情を変えなかった。
「やめだ。今はそんな気分じゃない」
冷めた態度。
伏せた目をそらしてから、男は背を向ける。
彼はあっさりと立ち去った。
てっきり戦うと思っていたのに。
あっけにとられて立ちすくみ、うっかり見逃す。
ルイの真意は見えないしなにを考えているのか、さっぱりだ。
なにかを匂わせていた気がするけれど、訊きたいと思ったころには彼の姿はなく、マリアは口を開けなかった。
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