夜の街

 男は上流階級を恨んではいない。

 ただ純粋に嫌悪している。


 彼から言わせれば貴族は役に立たない。怠惰に富を独占し、安全圏に留まるばかりだ。

 早急に始末するべきである。そうでなければ、ゴミが増えるばかりだ。

 視界に入れるだけで鳥肌が立ち、踏み潰したくなる。


 その感覚は地を這う虫に対する不快感と似ていた。

 ゆえに彼は貴族街を壊滅に追いやった。

 正確にいえばその手引きをしたのだ。


「街に魔性が潜んでいるぞ」


 とある屋敷。執事の前に姿を現し、法螺を吹き込む。

 別の相手には違う言葉で情報を与え、彼らを操った。

 結果、住民同士で殺し合いが発生。

 あっという間に街は壊滅した。


 全ては男の手のひらの上。

 手を汚さぬまま全てを終わらした。

 残ったものはなにもない。

 それでも彼は街に留まり、なんとなく屋根に上ると、闇に沈んだ街を見下ろす。


 実に清々しい気分だった。

 重労働の後にシャワーを浴びて、氷の入ったドリンクを飲んだような気分。

 その実、貴族に対しては無関心だった。


 男は復讐者ではない。

 彼にとって貴族の間引きとは、仕事の範疇だ。

 不要なものを処刑しクリーンにする。

 身分だけが高貴な有象無象は、単なる障害物。

 今となっては彼らの顔も名前も覚えてはいなかった。


 なにも感じない。

 喜びも後ろめたさも。

 乾いた気持ちが胸に広がっている。

 彼にあるのは自身が悪である自覚のみ。

 それならばそれらしく『振り』をするべきかと、彼は思いっきり口を開けた。


「フッ、ハハハハハ」


 高笑いが闇夜に広がる。

 貴族街にはなにもない。まるで廃都。最初から人などいなかったかのように寂れ、物哀しい雰囲気が漂っている。


「満足そうでなによりです。生憎と私は最悪の気分です」


 背後に足音が迫る。

 男は口を閉じると、視線のみで相手を見た。

 血の臭いのする女だった。

 短い髪も、凛とした制服も、鎧も――全てが闇に溶け込んでいる。

 その中でシグナルレッドの瞳だけが光り、浮き上がっていた。


「貴様かアレクサンドラ。久しいな。相変わらず、くそったれどもの味方をしているのか?」

「気軽に話しかけないでください。私は君のことなんて、知らないです」


 対する女は目の前の男を認識できない。

 黒い霧で掛かっているように見える。

 それは今が夜だからではない。

 男が自身に認識阻害の術をかけているせいだ。


 彼の正体は分からないが、引っかる部分はある。

 おそらく知り合いだ。

 もしかして……と答えを言い当てようとした途端に、頭痛が発生する。

 既のところでストップを食らって、単語が脳から消し飛んだ。


「君が何者なのかなんて、関係ないです」


 剣を抜く。

 紫黒の刃が露出し、闇に溶けた。


「今度こそ捕まえます」


 確かな意思を言葉に込め、挑みかかる。


 刃は実質透明だが、斬撃の方向は確認できた。

 なにせ禍々しい妖気を放っている。

 しかも、当たるとまずいと判断できるほどの。

 ゆえに男は相手の攻撃を避けた。


「やめときな、相手が悪い」


 彼が呼びかけるとアレクサンドラは動きを止める。

 現在は互いに屋根の上。

 いまだに武器を構えている彼女に対して、彼は攻撃を繰り出す気配すらない。

 そこがまた不気味な印象を強めていた。


「仲良くしようぜ、同じ魔の好・・・・・でよ」

「一緒にされたくないです」

「違うのか?」


 彼女は答えなかった。


「なあ、人類の庇護者アレクサンドラ。守るなら善人だけにしておけ。邪魔なやつらはぶっ殺しておこうぜ。ゴミクズどもを生かす意味が、どこにあるんだ?」

「それこそ捨て置けばいいです」


 貴族など無価値だ。

 人間だって皆、同じである。

 それを理解しておきながら、アレクサンドラはおのれの役割を遂行しようとしていた。


「ハ。そんなに歪な天秤に固執してぇなら、やってみろ。手始めに俺を捕まえてな。だが、できねぇだろ? それだから貴様は三流なんだよ」


 口の端から嘲た笑いがほとばしる。


「せいぜい、直接手を下されなかったことに、感謝しな」


 彼が最後まで言いきるが早いか、アレクサンドラは駆け出す。

 紫黒の剣を握りしめ、攻撃に打って出た。

 しかし、刃は届かない。


 その前に男の足元から邪気が発生した。

 漆黒の闇は建物を侵食。

 足場が崩れる。

 彼女は落下。

 着地をして、顔を上げる。


 屋根に影はない。

 天には漆黒の闇が広がるばかりだった。

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