かつて響いた言葉と似たものを、彼は少女に捧げた

 剣を下ろす。

 ダガーは元の状態へ戻った。聖なる輝きは失われ、短かった刀身は普通の剣のサイズになっている。


 敵はいない。

 亡霊は倒され気配すら消え失せていた。

 本当に終わったのだと実感する。

 それでもなおエミリーは浮かない顔をしていた。


「君、これからどうしたいんだ?」


 クリスが振り返る。

 彼の瞳がエミリーをとらえた。


「働くこと。誰かの役に立つことよ」


 堂々と、ハッキリと答えた。


「本当にそれでよかったのか? 僕は本心を聞きたいんだ」


 青年と向き合う。

 彼は確信を突くような目をしていた。


 エミリーは口を閉じ、目をそらす。

 おのれの心を内をさらけ出すなんて、できない。

 困ってしまう。


 いったい最初に自分は、なにをしたかったのだろうか。

 それが見つかったとしても、答えられる自信がない。

 なにより許されるはずがないと、考えてしまう。


 エミリーは賢者の一族ではありながら、才能がなかった。

 地上から魔力や神秘が薄れゆく今、魔法の才能も当然のように薄れていく。

 現代ではかろうじて平均よりも上という程度。

 中には先祖返りにより、異質な能力を持つ者もいる。

 彼らと比べると、エミリーはひどく劣る。

 両親はその先祖返りと似た存在。突然変異だった。

 理不尽だとは思う。おかしいのは母や父のほうだというのに。


 それでもエミリーは両親と比較をされ続けた。

 傍観者たちは面と向かって告げる。


「お前は醜いんだよ」


 魔法学校では才能が全て。

 上位にいる者たちからの視線は厳しい。

 時には稽古と称して集団で攻撃を受けることすらあった。 

 弱い者いじめの被害者。

 それが彼女を弱い存在――醜い存在だと証明していた。


 たとえ理不尽であろうと、事実は事実。

 エミリーはただの娘に過ぎない。

 賢者として有名な父や、戦士としての強さを持った母。

 実績を残す二人に対して、娘はなにもできるにいる。


 こんな自分では、彼らに顔向けができない。

 そんなものだから見放される。

 そう、エミリーは考える。


「帰ったところで、誰も祝福してくれないわ」


 ポツリとこぼす。


「あたしの居場所なんて、どこにも」


 誰にも求められないのならせめて、両親のために犠牲になるべきだった。

 彼らのために死ねたのなら、まだ。

 そんな考えが頭をよぎる。


「居場所がないって? 君がそう思うなら、そういうことでいいよ」


 クリスはあっけらかんと返す。


「でも、君の価値をなに一つ理解してないこの世界は、きっと正しくない。だから、だったら――」


 急に彼は真剣な目になる。


「僕が居場所になってやるよ」


 ほかならぬ、彼自身がそうしたいから――


 瞬間、エミリーの中の時間が停まる。


 聞き間違いではない。

 信じられないわけでもない。

 だけど妙に現実味が薄かった。


 なぜなら、面と向かって彼のような言葉をかけてきた者はいなかったからだ。

 今の今まで、一人も。


 心が震える。

 熱い思いがこみ上げてきた。


 温かな風が吹く。

 長く伸びたストレートヘアがなびいた。


「本当に、それでいいの?」


 石ころでしかない人間が、このような結末を迎えるなんて。

 そんなこと、許されてもよかったのだろうか。


「この期に及んで、なにを考えてるんだ?」


 なにを今さら。

 そんな言い草だった。


「喜んでもいいんだよ。君を縛り付けるものは、もうない。完全な自由なんだから」

「そうはいっても、あたしには、価値がないのよ」


 こんな自分だから、悪人の屋敷にとらわれる羽目になる。

 そしてそれはただの独り言のつもりだった。

 答えてほしいわけではない。


 それでも、彼は動いた。

 青年はゆっくりと近づいて、少女の頬を触れる。


「価値ならあるよ。ほら、君はこんなにも美しい」


 まっすぐな言葉。

 照れもせず、からかいもしない。

 ただ純粋な気持ちをぶつけただけ。


 ただ、それだけなのに、どうしてここまで心が熱くなるのだろう。

 体が燃え尽きてしまいそうだった。

 心臓が跳ね上がるのが、自分でも分かった。


 同時に信じられないという気持ちも湧く。

 いままで、誰も自分を褒めてはくれなかった。

 天才の娘だから魔法は使えて当然。それができなければ、それは単なる失敗作に過ぎない。

 誰もが彼女を醜いと揶揄した。未熟者の彼女は醜い。

 ユーロンも言った。

 常に灰にまみれた女にはふさわしい待遇だと。


 それなのに、彼は告げる。


「だって君はいつだって、一生懸命だったじゃないか」


 ストレートに、隠しもせずに。

 それだけのことで、心が震えて仕方がなくなる。

 心の底から様々な感情が溢れ出しそうで、たまらない。


 この感情はいかにしようか。

 どのように隠そうか。

 それでもただ、嬉しくて、どうしようもなかった。


 ああ――と。

 思う。

 きっとそれは、彼女にとっての止めだった。


「そう、ね」


 吐息混じりに口を動かす。


「決まったわ」


 本当のことを言えば、やりたいことはある。

 それは単なる物欲ではない。

 言い換えるのならば、理想。


 それを隠して、彼女は告げる。


「ついていくわ」


 顔を上げ、彼へ向かって自分の意思を繰り出す。


「あたしはあたしの目的のために、あんたと手を組むのよ」


 それが彼女の答えだった。

 それを聞いて、青年もにこやかに笑んだ。


「あんたは敵対者じゃないんでしょ。だから、付き合ってもいいのよ」

「恋人になるってことか? そいつはいいな。僕、誰かに養われたいタイプだし」


 クリスははにかみ、鼻の下を指でかく。

 エミリーは焦った様子で身を乗り出す。


「違うわよ」


 両の拳を握りしめながら、主張する。


「でも、従ってはあげるわ。これは単なるお礼。あんたはあたしを解放したでしょ? だから、義理を果たさなきゃ」

「つまり、僕の望みも叶えてくれるってこと?」

「そういうことに、なるわね……」


 無茶なことを要求されたらどうしよう。

 そんな不安が頭をかすめるが、クリスなら大丈夫だろう。

 エミリーは勝手に信頼しておく。


「とにかく、協定。あたしたちの関係はそれだけ。分かった?」

「ああ。そういうことにしとくよ」


 クリスはあっさりと受け入れる。

 結局、頼み事の件は空に消えた。


 そうした中でも、エミリーの頭にはクリスの発した言葉が残っていた。


『美しい』


 何度も木霊のようにリフレインする。


 あれは心に対する賞賛だ。

 目の前にいる娘の容姿を美しいと讃えたわけではない。


 実際にクリスの頭は空っぽだ。彼は相手が醜女であったとしても、先ほどの冗談を口にしただろう。

 彼の目には女は全員、同じ見た目に見えているはずだ。


 分かっているのに、意識してしまう。

 ふわふわと落ち着かない気持ちを、持てあます。

 持って行き場のない感情は、なにもない空間を漂うばかり。

 そうした中で彼女は全てを呑み込んだ。

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