リミット

 途端に男は押し殺すように笑い出す。


「くくくくく……」


 なにがおかしいのか、こらえきれないとばかりに、こぼす。


「ははははははは!」


 ついには解き放たれたかのように高らかに声を上げた。


「頼めば聞くと思ってんのか? この俺が」


 昏く歪んだ瞳から光がほとばしる。


「もろともに消え失せよ」


 彼は矛を構えた。

 歪んだ唇で詠唱を紡ぐ。


「死神よ、現世へ降臨せよ。罪人に罰を与え、心臓を止めよ。その生命は地中へ引きずり込まん」


 穂先から黒い炎が吹き出す。

 思わず青年はぎょっとする。

 確かに毒は防いだが、呪いは有効だった。

 かわせばいいと甘く考えていたが、さすがに早い。

 一か八かで駆け抜けてみるか。


 そんなことを考えていた矢先、目の前に娘が飛び出してくる。

 彼女の姿を見て、思わず「あ」と叫びそうになる。

 だが、彼女は構わず槍を振るう。


「死の力よ、盾となれ」


 祈りを捧げる聖女のように目をつぶり、言の葉をつむぐ。

 その手のひらから暗黒の魔力が流れ、暗黒の炎とぶつかり合う。

 彼女の言葉通りに槍の宿す死の力は、呪いと相殺した。


「やはり、そうみたいね」


 納得したように、彼女がつぶやく。


「なんのことだよ?」

「あたしの槍と、あいつの呪いは、同じものなのよ」


 同じ?

 それは理解ができないと、彼は首をかしげる。

 相変わらず、鈍い。

 苛立ちを抑えつつ、彼女は答える。


「性質が同じなのよ。同じ死の力。だから、相殺し合える」


 先ほど、彼女は自身の力が相殺される様を、この目で見た。

 相殺される。

 すなわち、こちら側も相殺できることを指す。


「あんたの力は見抜いているわ」


 呪いには呪いで返す。

 自信を持って、彼女は一歩を踏み出す。

 対する男は表情を歪め、忌々しげに言葉を吐き捨てる。


「やはり貴様はいらん人間だ。役に立たんどころか、俺の足を引っ張るとはな」


 彼は彼女の価値を本当の意味で理解していない。

 基準は全て自分だ。

 ゆえに彼はおのれの利益をもたらす者以外には、たとえ神であろうと低評価を下すだろう。

 その様は容易に想像できる。

 ゆえにこそエミリーは思う。彼はくだらない人間だと。


「組みましょう」


 青竹色の瞳が、青年の顔をとらえる。

 突然のことで彼は動揺を見せる。

 だが、すぐに真顔に戻ると、ハッキリとした口調で言葉を繰り出す。


「ああ。一緒に戦おう」


 二人は互いに前を向く。

 その眼差しは一人の男をとらえた。

 蛇のような瞳孔を持つ、呪いの使い手を。


 互いの意思は決まった。

 少女と青年は武器を構える。

 戦いに決着をつけるために。


 そうした中、男は冷たく両者を眇め、気怠げに口を開く。


「貴様ら、分かっていないようだな。相殺。それだけで俺の術を封じたと? おい、知ってっか? 形のないものは、相殺できないんだよ」


 ニヤリという笑み。

 瞬間、全ては加速する。


「死神は音もなく迫る。黒き影よ、心臓に刻印を刻め。地獄の氷山の一欠片が輪廻を描いた瞬間、裁きは下る。愚者は朱に染まる」


 詠唱も、術の発動する速度も早すぎる。

 防ぐことはおろか、反応すらできない。


 瞬間、視界の端が黒く染まる。

 心臓にナイフを突きつけられたような痛みが走った。

 だが、実際はなにもない。

 刃が胸に突きつけられた形跡はない。

 だが、明確になにかをされた。

 おのれは呪われている。

 より正確に表すのならそれは、死の予言だった。


「リミットは、一分」


 エミリーが焦ったようにつぶやく。

 つまり時間がない。

 クリスは迅速に理解する。


 対する相手は余裕がある。

 一分間、凌げばいいし、逃げに徹することも可能。

 だが、こちらとしては、彼を逃がすわけにはいかない。


「地獄より這い出し黒炎の蛇よ、罪人を捕らえよ。その身を縛り、貪れ。行き着く先は監獄のみ。その視界から青き空を奪い取れ」


 足止めのための呪術。

 こちらに注意を割けば、敵を見逃してしまう。

 かといって、対処をしくじれば元も子もない。


 この場合は役割分担が必要だ。

 クリスとエミリーはアイコンタクトをかわす。

 互いにおのれの役割を理解し合い、実行に移した。

 第一にクリスが武器を変換。霧がかった刃は斧を模し、彼は両手でそれを掲げる。

 そうしている内に彼女は槍を敵へと向ける。


 しかし、男は分かっていた。

 到底、間に合わない。

 逃げ道はすでに確保している。

 彼女が走っている間に、二人の命は尽きる。

 理解しているからこそ、笑いが止まらない。

 勝ったのは自分だ。

 そんな未来を先読みし、男は敵に背を向けた。


「死神よ、行く手を阻め。我は正しさを押し付ける者。ゆえに真なる咎人は自らの財産で押しつぶされる。残るは荒れ地、もしくは赤き果実」


 長々とした詠唱。

 だからこそハッキリと、男にはある単語が入ってきた。

 そして、脳が認識する。

 彼女がやろうとしていることはなになのか。


 同時に、呪術によって作られた蛇が薙ぎ払われる。

 無傷で突破。

 エミリーが弾幕をかいくぐり、先へと進む。


「決着まで、一秒もかけないわ」


 穂先が天上を向く。

 漆黒の渦が屋敷に広がる。


「貴様、よりにもよって!」


 男が振り返る。

 歪めた表情に危機感が滲んだ。

 彼は即座に矛を敵へと向ける。

 術を繰り出すつもりだ。

 だが、間に合わない。


 死の呪いは屋敷を貫く。

 天上が崩れ、ガラガラと落ちていくる。

 さながら土砂崩れのように。

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